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めめんともり

わたしたちが ふたたび
生きるためのものは

と おそらくは 死
だけだ

こうはなりたくないな、と思ったがきっとなるだろう

2010-03-23 17:43:19 | 日記
むしろ、もうなっているだろう。
それでも、抵抗し続けるべきだろう。

***

おいらは、ただガキなだけで病気ではありません。過去に隷属しなければ生きられないくらい脆弱なだけで、病気ではありません。脳みそが仮におかしく見えたとしても、それは病気のせいではありません。

実際に病気かどうかはどうでもいいのです。ただ、わたしはわたしを病気だとは信じない。だから病院にも行かない。病院嫌いだし。

他の人が病気であろうと障害を持っていたとしても、知ったことではありません。それを理由に大変だなぁと思うことはあるだろうけれど、それだけです。別に病気を嫌っているわけでも、病人を嫌っているわけでもない。

ただ、自分が病気であることを免罪符にしてしまうことが怖いだけなのです。

だからわたしは自分が病気ではないと言い張る。

もっと図々しくなったほうがいい

2010-03-22 17:41:50 | 日記
受験生の面倒を見てて、思うことはいくつもあるのだけれど、その一つが「図々しくなったほうが良い」ということだ。状況に応じて、「最も図々しくなるべき場面で図々しくなれ」ってことね。普段から図々しくしてろ、ってことではなくて。

おいらは、パソコンにせよ他の電化製品にせよ、買うときはお店に行きます。で、店員さんにゼロから全て説明してもらいます。もちろん、ネットとかである程度、評判は調べておきます。良さそうなものを比較するような形で説明してもらうと、違いがよくわかって良いです。必要なら同じ店の別の店員さんや、違うお店の店員さんにも同じように聞きます。新宿とか行けば家電専門店なんて腐るほどあるし、そんなに手間でもないでしょう。

要するにですね、わからないことがあるなら、ちゃんとそれを説明するための教育を受けている人に聞くべきなんです。比べるための判断知識すらないなら、そこから質問するべき。教えてくれたことに感謝する必要はあるけれど、聞いたからといって買わなきゃいけないってわけでもありません。たとえそのとき買わなくても、対応が気に行ったなら後日その人のとこ行って買えばいいのですよ。相手だって仕事なんだから、こちらが失礼なこと言わない限りは怒ったりしません。

要するに、どうせ他人に聞くなら、まともな回答が期待できる人に聞いたほうがいい、ってこと。それは人によっては、2chかもしれないし、友人なのかもしれない。ただ、店にいっても聞けないけど、ネットでなら聞ける、っていうのは、図々しくなるべき場所を間違えてるんじゃねーかなー、と思う。ネットなんて、良くも悪くもモニターの向こう側であり、異界であり、他人だ。だからこそ役に立つ、ということもあるのだけれど。

ちなみに、店員さんもお仕事なので、利益が一番出る物を勧めてくるのは当然です。怒ってはいけません。だから、情報を集めて、自分で見て考えなきゃあかんのです。全てを他人任せにするのは楽でいいが、それで後悔するのも自分だから。

ふつうの日記

2010-03-21 01:26:03 | 日記
・しゅーかつ
未だに面接いってない時点で人生オワタフラグ。
4月に面接2つ確定。1つは筆記通ったやつ。
ES少し出したり、筆記試験受けたりはしてる。
あと説明会。
前半、憂鬱で死んでたのが痛いかもわからんね。
周りが最終とかいってて焦ってないといったら嘘になるけど、
でもなんかどうでもいいんだよね。
どうにかなるよきっと、って思う。
そしてたぶんフリーターで終わるとしてもそうなる。

・ゲーム
メガテン。あんまり進まない。
お気に入りの悪魔はフロストエース。
まじかっけー。
あとは使いやすいのでハイピクシー。

・読書
全然読んでない。
さすがに詩集がたまってるのでよみたい。
あと最近は吉原の不在証明で一つ評論を書きたいなぁと。

親との会話

2010-03-17 04:23:51 | 日記
J( 'ー`)し「彼方さんは元気?」

注:うちのお袋は彼方さんを見たことあるので知ってます。

( ・ω・)「お仕事たいへんそうだけど生きてらっしゃるみたいだよ」
J( 'ー`)し「そうかい。今はお仕事、何なさってるの」
( ・ω・)「うぇぶでざいなー」
J( 'ー`)し「横文字でかーちゃんよくわからんよ」
( ・ω・)「あと、ダイエットしてるって」
J( 'ー`)し「……彼方さん、別に太ってないんじゃ」
( ・ω・)「見えないよね。80キロ切ったってブログに書いてあった」
J( 'ー`)し「あらー、ダイエット凄いわね。スポーツとかなさるの?」
( ・ω・)「うん。学生時代テニスしてたみたいだよ」
J( 'ー`)し「そうかい」
( ・ω・)「うん」


J( 'ー`)し「わたしたちもしなきゃだめよね」
( ・ω・)「そうだね」

命はその人のものであるよ

2010-03-16 01:01:18 | 日記
わたしは人の命が「みんなのもの」であることを信じない。存在ですら。だから、死にたければ死んでしまえばいいと思う。

ただ、わたしが惜しいと思う人が死のうとしてたら、わたしはやめてくれと縋りつく。その結果、その人が生存を選んで地獄を見ようと知ったことではない。もちろん罪悪感はあるだろうが、それだけだ。その人の命はわたしのものではないから。どう生きてどう死ぬかを最終的に決定づけるのはわたしではない。

残されるのが嫌なら、置き去りにされる前に忘れてしまえばいいのだ。それこそ「死んでしまえばいい」。それは結局、わたしがわたしのエゴで死ねだの生きろだの言っているのと大差がない。エゴでもいい。ただ、エゴだと認めるべきだ。

わたしもあなたも覚悟が足りない。

だから、置き去りにされたあと、恨み事を言うはめになる。

ライコウがゴミすぎる

2010-03-15 07:28:50 | 日記
色々計算してたら、実はライコウが水を流せるとか、ただの妄言であることを理解してしまった春の夜。これだから他人の机上の空論はあてにしちゃいけない。前提から間違ってたとき、凄くむかつくから。

最近は、HP48、特攻40、速度40くらいでふったほうが、逆に強いんじゃないかとさえ思ったりする。受けれるわけではないけど、地面以外を殴れる高速アタッカー(しかもそこそこ硬い)みたいな。レンタルで努力値いじるシステムがあれば試せるんだけどな。

HP62、とくぼう34、速度30みたいな中途半端な振り方だと、そもそもメジャーな水(シャワーズ、エンペルト、ギャラドスあたり)と相打ちもしくは競り負ける可能性が高くなるので、だったら開き直ってもう受けとか流しとかいう幻想は捨てようぜ、って感じ。

本気で流したいとしても、努力値HP62、とくぼう64ふってもシャワーズの攻撃確定3だしなー。エンペルトは高乱数3なのでぎりぎりいけそう。スイクン、ミロカロスはミラコがあるので、火力のないライコウではどう振っても殴り倒せなさそう。ギャラドスは滝登りの怯みと麻痺次第なのでふり方はどうでもいい。

あと、ネンドールがなぜ流しとして機能するのか、やっと言語化できるレベルで理解した。要するに、「作業」なんだね。誰に対しても、受けて出てきた後にやることが同じ。「受ける→未来予知→1ターン耐える→テレポート」これで1ターン短縮された未来予知がバンバン降ってくる。しかも未来予知は誰にでも等倍な上、必中。読む必要もない流しなんて、そりゃ強いに決まってるわな。だって誰が相手でも有効なカウンターをぶちかませるんだもん。

ライコウとか同じ流しでも(流せないけど)電気技、壁、めざパと選択肢盛りだくさんで、読む(=勘に頼る)必要があるのにね。

死ねる・死ねない

2010-03-13 03:47:17 | 日記
わたしは詩人である吉原幸子が好きだが、彼女のためには死ねない。過去に一度も、そのようなことを考えたこともない。もう彼女はこの世にいない、という事実もその理由の一つなのだろうが、本当の、というのが間違いであれば、実際の理由は、「わたしにとって吉原は『母』という形態をとった救済者に他ならない」からだ、と思う。要するに、本末転倒になってしまうから、わたしは彼女のためには死なないし、死ねないのだ。

人間が神や仏に救いを求めるのは、生きているからだ。
死後という不安に、生きている今、耐えられないから救済されたがる。

わたしは詩人である吉原幸子が好きだ。それが不正確ではないかと詰問する人がいるならば、わたしは彼女の手によってでしか救われないと殆ど確信していた、と言い変えよう。だから、わたしは彼女になりたいと願うし、そうすることで救われようとする。ここで言う「救い」はそんな仰々しいものではないが、わたしにとっては海よりも深い問題であり、そのためだけに多大な時間を消費(浪費とは言いたくないから、言わない)してきた。

それでも、わたしはたった一人のために本気で死ねる、死んでもいい、と思ったことがある。そして、現在進行形で死んだほうがいいんじゃないかとナイロンロープを指で弄ぶくらいには、憂鬱だ。

その一人に、吉原とは別の方向で、救いを求めて縋りついていた。ただ、わたしにとって、その一人は人間であって人間ではなかった。断言してしまえば、人間扱いしていなかった。犬とか猫の類ではなく、神とか魔女とか、人の形をした何者かだと漠然と信じていた。それはその人の能力や資質にもよるし、何よりわたしが(今もだが)おかしかったからこそ見た幻に過ぎない。

それは理解している。同時に理解できていない。憂鬱な今、「ああ、人間だったのか」と自覚する一方で、「なぜあの人が人間なのだ?」と本気で考え、悩んでいる。それくらいわたしの中で、その人は人間離れしていた。だから、半ば大真面目に、救ってくれるとも思っていた(救い、という言葉が重すぎるなら別に助けでもなんでもいいが)。

生身に救済を求めるのは重すぎる。

要するに、死にたい病が酷くて死ぬ死ぬ詐欺しまくりってことです。

わたしは、写真が怖い

2010-03-08 07:43:46 | 日記
写真うつりが良いとか悪いとかそういう話ではなく、ただ写真にとられることが嫌いでした。とるのはいいし、見てるのは楽しいと思うんだけどね。でもまあ卒業のシーズンになると毎回アルバムに載せるために写真とらなきゃいけないし、集合写真とかだって本当は嫌だけど、逃げようとすればするほど右上から左上にはまって目立つことになるでしょう。とにかく苦痛でした。

今までずっと謎だったんですが、某映画を見てなんとなーく理解してしまったんですよね。ああ、だから写真が怖いのかと。あれは酷く暴力的で強すぎるから。

現在という時間軸は、「今、この一瞬」だけを指し示すわけではない。もっと広い範囲、要するに過去から未来にかけての時間・空間を示しているのが「現在」なんだろう。「今、この一瞬」も間違いなく現在なのだが、もっと広範囲にわたる時間軸である、と。

写真っていうのは、そういうの全て無視して、現在の一部を強引に切り取る。で、切り取られたものは「過去化」される。「思い出になる」と言えば聞こえはいいが、人間は過去と思い出を区別できないから、結局は同じことだ。「現在でもまだ続いているはずのことが、強制的に終了させられる」ことが怖い。思い出は美化され、いずれ忘却されてしまうから。わたしは、「あの頃は良かった」と言いたくない(いや、現実では言うんだけどさ)し、言われたくない。

この時期、普段以上に憂鬱になりがちなのもそういうことなんでしょう。春というのは強制的に時間を進行させようとする季節であって、人間はそれに抗うことができない。嫌だといっても学校は卒業しなきゃいけないし、別の世界に飛び込んでいかなければならない。だから、儀式をする。移行をスムーズに行うために。過去化された現在を過去と認識し、決して現在ではないと、仮に決着がついていないとしても、決別させるために儀式はある。

わたしはまだ、他の人間の過去になりたくない。
許されたくなんかない。
だから、写真は嫌いだ。

それでも証明写真をとるために、スタジオに行くのだ。

何のために生きてるのかって、そりゃ本能に決まってるじゃないですか

2010-03-08 07:27:27 | 日記
同性愛者が本能とかいうと、凄く滑稽だなぁ、と思ったりしないでもない。
あと、わたしは「好きになるのに性別なんて関係ないよ!」というセリフを絶対に信じない。わたしは性別でまず選んでるし(あの

大学の成績きました。
当然、フル単でした。
まあ文学部で落とす奴とかいないよな。
語学でハズレひかない限りは(あの

うちの大学、自分が2年のときに評価基準にA+(いわゆる最優)が加わったのですが、一般教養扱いの哲学とか倫理学で毎回A+なのには笑った。哲学はともかく倫理学とかさあ、死にたい死にたい言ってる奴がやるもんじゃないよね。より良く生きるためにはどうしたらいいか、とかバカじゃねーの。そう思いつつ1年間受講してました。先生がイケメンだったので(死ね

未だに覚えてるのは、パーソン論と医原病、それから尊厳死の問題でした。

パーソン論に関係してくることは、オーストラリアさんの問題で少し触れたかも。一応、擁護じみたことはしてみたけど、ただのキチガイであることが証明されたので無駄になってしまいました(いや、本筋は批判が的外れじゃねーの、ってことなんだけど)。ただ、どっからどこまでを人間と含めるのか、という問題(つまり胎児は人間なのか、ということ)は非常に興味深いと思う。私たちはクジラと人間を同ランクとは無意識で扱わないが、そういう発想をする人がいても何もおかしいことではない。そんくらい境界線って曖昧でわかりにくい。

医原病っていうのは、要するに医学が作り出した病気ってこと。星新一がそんなような話書いてたよなー、と思いだす。あらゆる状態に病名をつける医者が詐欺で逮捕され、警察官に「お前は名付け症候群だ」みたいな病名をつけられ、揶揄される話(だったと思う)。要するに何をもって病気とするのかというのも、非常に曖昧な問題で(精神病、というか人格障害がわかりやすいかもしれない。あれでいくと日本人はみんな人格障害者だ、とも言えるわけですよ)、その基準は誰が決めているのか、誰が決めていいのか、という話。病気であると定義されることで救われる人もいれば、どん底まで叩き落とされる人もいるしね。

尊厳死はまあ、日本でもいつか必ず導入されると思うんだけど、この国の精神というのは「空」という概念に似て、とにかく変化しないからなぁ。どうだろうね。

あと、感情論者ですけど、一応、論理学も1年のときはとってました。評価も良かったです。でも全然論理的ではありません。そんなもんです。

ちなみに、専攻であるはずの文学関連のほうが成績悪いです。一般教養含めて。たぶん、答えのない問題をあーだこーだ考えて言うのが好きなだけなんでしょう。語学できないから本気で哲学なんて出来っこないが。