自分が今、考えてることでもだらだら書いとく。
厨2病満載だから他人からすると笑えるかもしれない。
結論からいえば、わたしは吉原幸子に呪われてる。呪いという言い方が失礼だというなら、魅入られてると言い換えてもいい。一つの大きな勘違いは、詩人になりたかったのではなく、吉原幸子になりたかったということ。わたしはただ、吉原幸子になりたいから詩人になりたいのであって、詩人になりたいから吉原幸子を愛しているのではない。
例えば、高校の恩師とか友人とか、尊敬できる人間は他にも多数いた。それでも、わたしは彼ら彼女らになりたいと思ったことは一度もなかった。その「ように」なりたいと願ったことがあったとしても。それは単なる「憧れ」であり「尊敬」であり、「劣等感」に過ぎなかった。
この差異に気付かなかった、もしくは、あえて見過ごしたのが、たぶん人生における最大の間違い。他の間違いなんてこれと比べれば些細なことだ。中学いかなかったとか受験失敗したとか、そんなことは。
結局、わたしが普通に会社勤めをしようとすることに歯止めをかけるのは、吉原幸子がそうじゃなかったからとしかいいようがない。働きたくないとか詩の研究をしたいとか、そういうんじゃない。吉原幸子はそうしなかったのだから、吉原幸子になるためにはそうすべきではないという意識。けれど、わたしは演劇なんてやったことがないし、外見もはるかに劣るから、彼女のように女優として劇団四季に所属することはできない。ただ、わたしができることは当たり前と思われるレールから外れることすなわち会社勤めとは別の未来を選ぶことでしかない。理想はフリーターなんだ、ぶっちゃけてしまえば。
けれど、そうすることができない程度には、自分はリスク管理をしたがっていて、だから院に進学するというとりあえずの地位の確保を目指してみたりする。でもそれでもリスクが高すぎて、選ぶに選べないという哀しさ。
そんなこんなでぐだぐだしつつも、会社説明会やエントリーシートの締め切りは待ってくれないから時間に追われてる。