「毒虫飼育」は黒田喜夫が書いた詩である。
この文章は、ゼミの選抜課題に出したもの。
字数制限は1200字くらいだったはず。
今読み返すと稚拙すぎて恥ずかしいのだが、自戒も込めて適当に。
読書感想文に悩んでいても、うつして出さないでください、本当にorz
著作権は放棄してません。恥ずかしくて出来ません。
***
虫の声、と言われて、最初に思い浮かんだのは、「革命ってなんだえ」の一言であった。いつ読んだのかは忘れたが、これは、黒田喜夫の詩、「毒虫飼育」の一節だ。懐かしく思い、改めてこの詩を読んでみたのだが、そこで私は自分が勘違いしているのではないか、と思った。これはもしかして虫の声ではなく、母の声なのではないか、と。
この詩で登場するのは、僕と母と虫である。いきなり母がアパートで蚕を飼い始めるというので、僕は悩むが、結局、それを捨てようと決意する。しかし、孵化したのは蚕ではなく、猛毒を持つジヒギトリという虫であった。僕は覚悟を決めて、「おかあさん革命は遠く去りました」「この虫は蚕じゃない」と告げるのであるが、虫は母にまとわりついている。そして虫を否定した僕は、逆に「革命ってなんだえ/またおまえの夢が戻ってきたのかえ」と言われてしまうのである。「それから足指に数匹の虫がとりつくのを感じたが」虫のために、僕が「けいれんする両手で青菜をちぎり始めた」ところで詩は終わる。 面白いのは、虫に対する母と僕の認識の奇妙なズレで、母にとって虫は生活を支える命の糧でしかないのだが、僕にとってそれは、果たせなかった革命の象徴だということである(だからこそ、僕は虫を否定するときに「革命は遠く去った」といったのだ)。
そう考えると、「革命ってなんだえ」の発言を、虫の声とするのは間違いである。なぜなら、「革命」と虫はイコールだからだ。一般的に、自分のことを「なんだえ」と相手に問うことはない。また、僕が話しかけた相手は「おかあさん」であり、返事をするのは普通、話しかけられた人なのだから、やはり虫の声と考えるのはおかしい。
しかし、「革命ってなんだえ」を虫の声だというのは、本当に私の勘違いに過ぎないのであろうか。このセリフの直前は「だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている/肩にまつわって蠢いている/そのまま迫ってきて」となっている。これを素直に受け取れば、這っているのも蠢いているのも虫なのだから、迫ってくるのも虫に間違いないだろう。そうすると、迫ってきて話したのは、母ではなく虫だ、ということになる。
結局、このセリフは、虫の声なのか、母の声なのか。今の私には結論を出せそうにない。ただ、セミやコロオギなどの一般的な虫の声を差し置いて、真っ先にこれを思いついたということから、私が「革命ってなんだえ」という言葉に、虫の声として強烈な印象と拘りを持っているのは間違いない。ならば、これが虫の声である、という昔の私の受け取り方は、私の中でのひとつの真実なのだろう。
この文章は、ゼミの選抜課題に出したもの。
字数制限は1200字くらいだったはず。
今読み返すと稚拙すぎて恥ずかしいのだが、自戒も込めて適当に。
読書感想文に悩んでいても、うつして出さないでください、本当にorz
著作権は放棄してません。恥ずかしくて出来ません。
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虫の声、と言われて、最初に思い浮かんだのは、「革命ってなんだえ」の一言であった。いつ読んだのかは忘れたが、これは、黒田喜夫の詩、「毒虫飼育」の一節だ。懐かしく思い、改めてこの詩を読んでみたのだが、そこで私は自分が勘違いしているのではないか、と思った。これはもしかして虫の声ではなく、母の声なのではないか、と。
この詩で登場するのは、僕と母と虫である。いきなり母がアパートで蚕を飼い始めるというので、僕は悩むが、結局、それを捨てようと決意する。しかし、孵化したのは蚕ではなく、猛毒を持つジヒギトリという虫であった。僕は覚悟を決めて、「おかあさん革命は遠く去りました」「この虫は蚕じゃない」と告げるのであるが、虫は母にまとわりついている。そして虫を否定した僕は、逆に「革命ってなんだえ/またおまえの夢が戻ってきたのかえ」と言われてしまうのである。「それから足指に数匹の虫がとりつくのを感じたが」虫のために、僕が「けいれんする両手で青菜をちぎり始めた」ところで詩は終わる。 面白いのは、虫に対する母と僕の認識の奇妙なズレで、母にとって虫は生活を支える命の糧でしかないのだが、僕にとってそれは、果たせなかった革命の象徴だということである(だからこそ、僕は虫を否定するときに「革命は遠く去った」といったのだ)。
そう考えると、「革命ってなんだえ」の発言を、虫の声とするのは間違いである。なぜなら、「革命」と虫はイコールだからだ。一般的に、自分のことを「なんだえ」と相手に問うことはない。また、僕が話しかけた相手は「おかあさん」であり、返事をするのは普通、話しかけられた人なのだから、やはり虫の声と考えるのはおかしい。
しかし、「革命ってなんだえ」を虫の声だというのは、本当に私の勘違いに過ぎないのであろうか。このセリフの直前は「だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている/肩にまつわって蠢いている/そのまま迫ってきて」となっている。これを素直に受け取れば、這っているのも蠢いているのも虫なのだから、迫ってくるのも虫に間違いないだろう。そうすると、迫ってきて話したのは、母ではなく虫だ、ということになる。
結局、このセリフは、虫の声なのか、母の声なのか。今の私には結論を出せそうにない。ただ、セミやコロオギなどの一般的な虫の声を差し置いて、真っ先にこれを思いついたということから、私が「革命ってなんだえ」という言葉に、虫の声として強烈な印象と拘りを持っているのは間違いない。ならば、これが虫の声である、という昔の私の受け取り方は、私の中でのひとつの真実なのだろう。