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めめんともり

わたしたちが ふたたび
生きるためのものは

と おそらくは 死
だけだ

人間は学ばない

2010-06-16 04:07:13 | 日記
哲学ではないです。

人間は、必然性がなければ学ばない、とある学者らは言いました。
学ぶべき状況にいなければ学ばない、と言い換えてもいい。
これが何を意味するのかと言うと、つまり我々はいくら真面目に学校教育を受けても、全く学んでいないのだ、ということです。

あなたがたは「先生にあてられないために」必死で目をそらしたり、顔を俯かせたり、あるいは寝たふりをしたことがあるのではないかと思う。そして、そのときの不安や嫌な感じを、今でも思い出せるのではないでしょうか。

あなたがたが授業で学んでいたのは「それ」です。
授業の内容ではないのです。「あてられない方法」なのです。「先生がテストに出す問題の傾向」なのです。

別に授業に限らず、学校なんてそんなもので、例えば、はぶられない方法、いじめられない態度、そういうのを嫌というほど学んだと思う。日本史やら世界史やら古典やら英語やら数学やら、そんなものは大して学んでいないのですよ。受験でやったこと、今いくつ覚えてますか。わたしは殆ど覚えていません。

我々が学校で学んでいることなんて、その程度なんです。

問題は、その程度しか学べない学校が、社会に出て企業に入っても制度として組みこまれていることだ。まるで学校にいなければ学べないとでも言うかのように。必要なのは学校というシステムではなく、学ぶべきだという文脈なのに。

人間は学ばない。

元気じゃないよ

2010-06-11 16:03:33 | 日記
金曜日の3限をサボると酷い罪悪感に苛まされる。
でもサボったもんはサボったんだから仕方ない。
予習までしたのに何してるんだろうね。何もしてないさ。

講義自体は楽しいよ。
憂鬱は別のところにある。
つまらなさで言えばむしろ月曜日をさぼりたい。
出席とるから行かざるを得ないだけでね。

顔見るのも嫌になってきてるのに、合宿とかいけるのかなぁ、と思った。いけないならお金だけ出していかなければいいだけなんだけど。坊主にくけりゃ袈裟までにくい、じゃないが割ときつい。酷い拒絶反応だ。

しばらくお休みしようかしら。
でもそれだとお友達の面子潰すことになるし。

ああああああもおおおおおおめんどくさいなああああああああああ


人間みんな死ね。

余裕がない、と言われて「そうなのかもなぁ」と思わないでもなかった

2010-06-05 00:54:54 | 日記
けれど、その余裕のない理由は、決して「将来」に帰属するわけではなかったりする。

とある知人がですね、凄くやつれたんです。痩せた、というかやつれた。周りの男どもは「アレはアレでアリだ」とか言うわけですけど、おいらは凄く嫌なわけ。基本、痩せてる人が好みじゃないっていうのもあるし、元を知っているだけに、痛々しいとしか思えないのね。いや、周りだって元は知ってるんだけど。

猫みたいな背中だった。
猫の背中って確かに可愛いんだけど、でも頼りないじゃないですか。ソイツが猫背なのもあるんでしょうけど、とにかく怖いんですよ壊れそうで。

んで、その知人がやつれた理由っていうのは、就活なわけね。今年は5月終わっても内定獲得率が3割とかいう素敵さらしいので、まだやつれるのは早いだろwwwwと思わないでもないのですが(しかも文学部の日本文学科とか一番きついとこだし)、まあとにかくやつれているわけです。でも、こんなのソイツが内定とるか別の逃げ道を確保する以外はどうしようもないわけで。
おいらがどうにかできることなんて何ひとつないんだけど(そもそもただの知人だし)、それでも放っておけないんですよね。結局、可愛くて仕方がないんだ。お前なんかいらないって暗に言われてもさ。

内定は無理でも、逃げ道を作らせることはできるかもしれない、っていう殆ど不可能に近い希望みたいなのを持っている。でも彼女は、おいらが想定するよりもはるかに普通で、そして生きたがっていて、自分のことに無自覚すぎた。だから友人であることそのものを、おいらは一度投げ飛ばしたわけである(だって対話が不可能なんだもの)。それでも未だに、どうにかしてやりたいと頭を抱えるくらいには、可愛くて仕方がない。

もしおいらに余裕がないとしたら、これと、あとは進学するなら何処にしようか、っていうのと、正解のない問いかけに対する答えをどうしよう、というくらい。

要するに全て時間をかければ解決するという問題でもないから、逆に余裕があるんだと思う。

滅茶苦茶びびったんだが

2010-06-01 06:54:26 | 日記
2010.05.29(土) 299 PV 89 IP - 位 / 1417064ブログ

いつもはこんな感じなのに、

2010.05.30(日) 1157 PV 601 IP 776 位 / 1417547ブログ
2010.05.31(月) 1220 PV 663 IP 718 位 / 1418027ブログ

跳ね上がりすぎだろ……
メダロットDS恐ろしいな。

たぶん「メダロットDS こうりゃくメモ」の記事のせい。
怖すぎてこうりゃくの字をひらがなでしか書けないレベル。

こんな病んでるブログがランキング700位代とか勘弁してくださいマジで。

他人のせいにする

2010-05-29 21:26:56 | 日記
覚悟もないのに他人のせいにしても、結局、自分が後悔するだけなんだよな。

死んでるも同然の状態で生きていることと、生きるために死ぬことを天秤にかける程度には厨2病だ。

何故わたしたちは生まれたのか、という問いかけは幼すぎるが故にバカバカしい質問なのだろうが、同時に哀しいほど本質的で尤も恐ろしい問題をも露呈させる。

わたしたちは両親の意思によって生まれたが、おそらく、彼らはその先のことなど大して考えたことがないに違いない。適当に生きて適当に死んでくれればいい、有名になってお金を稼いで楽をさせてほしい、幸せに生きて死んでくれればそれでいい、その程度だ。その程度のためにわたしたちは生まれてきたのだ。

しかし、だ。

産まれて生きる、ということは、自身に生じるであろうあらゆる可能性を肯定することに他ならない。殺されようが殴られようがいじめられようが、それは生きることを選択した限りは肯定せざるを得ないものだ(だからといって、いじめていいとかいじめられ続ければいいという話ではない)。そのような災難にあう可能性の肯定が根本にある「産まれる」という行為において、幸せも有名も適当もあったものではない。産まれるということは幸福の可能性と同時に不幸の可能性をも受け入れることだ。ならば、それに見合うもの、それに見合うものを求めなければ、得られなければ、それこそ本当に「なんで生きているのか」わからなくなってしまう。

その程度のために生きてたまるか、と思っている。
そして、その程度のために生きたほうが楽だ、ということも知っている。

全ては結果論でしか語れないから難しい。
しかし、堕落したらそれこそ最期はマイナスで落ちつくであろうことくらいは予想がついている。

上手く言えないんだけど、それって違うんじゃないかな

2010-05-29 02:01:52 | 日記
人間は大抵、確実に自分以外の誰かのためにも仕事をすることになるのだが、だからといって誰かのために生まれたわけではないのだと思う。というか、そう思いたいし信じたい。

だから、おいらは親に申し訳がないとか、よくわからない。
親の金でどうこうしようと思うな、とか、別に親本人が嫌がってないならいいんじゃないの、としか。個人がどう思うかは個人の勝手だけど、つまらない一般論を押し付けて、「自分偉い!」と言いたいだけなら余所でやればいいんじゃないかなぁ、と。

親に限らず、先祖とか祖父母でもいいのだけれど、別に人間は家族のために産まれてきたわけではないはず(いや、自分たちのために「産んだ」はありえるけど)なのに、どうして「親が云々」だとか「ご先祖様が云々」という言葉が出てくるのかがわからない。
産まれることすら選べなかった、産まれざるを得なかったわたしたちに、他者の「産んだ」という行為に対する勝手な意味付けを、どうして押しつけられればならないのか、と。

それって、本人が負うべき責任の転嫁でしょうよ。

だからといって、意図して傷つけていいとか、そういう話ではない。ただ、押し付ける覚悟もないクズに言われるほど、ガキは世界が見えてないわけではない、ということだ。

一般論に縛られてニヤニヤしたいなら一人でしてればいい。
オナニーみたいに。


世間からすれば、こんなこと言えちゃうのは間違いなくガキだからだ、と思われるんだろうし、実際においらはガキだけど、一般論押し付けるほうもほうでゴミかもしれないってこと、少しは考えてみたほうがいいんじゃないかな。

おいらは「産まれた」という受動的行為に付与された責任は負おう。だが、「産んだ」という他人の能動的行為に付与された意味付けや責任まで負うつもりはないし、負えないような親は子供と一緒に死ぬべきだとさえ思っている。

「正しくない」とされた身で「正しい」とほざくか!

2010-05-27 20:04:42 | 日記
>私は相対評価のほうがいいと思います。
>そのほうが正しい評価ができると思うからです。

こんな同性愛者さんの意見を見て心の奥底から、哀しさというよりは空しさを感じたのは事実だ。

同性愛者っていうのは、今ではそうでもないようですが、それでもなお根強い偏見とくだらない感情論がそこらに溢れているのが現実です。そんなものは、そうじゃない人間は感じないから、主張したってバカげてるし、どうでもいいんだけど。

問題は、歴史的にも長い間「異常」、つまり「正しくない」とされてきた身でありながら、平気で「正しい」と、特に考えずに言えてしまうことなんですよ。それが何よりも空しい。「正しくない」というレッテルそのものが「正しいもクソもねーだろ」と実感してきたであろう身でありながら、「正しい」と言うのか。言えてしまうのか。

「正しい評価」すなわち「正しい順位付け」とやらがそんなに必要ならば、全国模試の偏差値を基準に成績をつけるべきであって、定期テストなんていう学校間で難易度が違いすぎるものを用いる必要は何処にもない。さらに言えば、通知表の5の数も学校単位で割り振るべきではなく、単純に偏差値上位者から5をつけていけばいいだけだろう。

しかも、「正しい評価」という言葉にこだわれば、そもそも試験問題は正しいのかという根本的な問題すらあって(例えばセンター試験の国語の小説は、全て家族問題として捉えられるような歪な切り取られ方をしているのは、大学受験経験者であれば知っているかもしれない)、「正しい」なんてそう簡単に言える単語ではないのは自明である。

そう、自明すぎる自明だ。
それでも、ほざくか。
「正しくない」とされた身で、それでもほざくか!
「正しい」と!

その程度のことすら考えようともせずに、言葉が命よりも長く残る絶望すら知らずに、あまりにも空しい確信を持って言うから言われるんだ。

「ゆとり」と。

***

長い間、といっても断続的だったり、地域によって差があったりするんだけどな。

白黒思考

2010-05-24 08:06:46 | 日記
自分は相当、極端な言い方をするし、実際に偏り過ぎた考え方をする人間だけど、だからこそそれを信頼されてまるで自分で考えたかのように主張されるのは困るんですよねぇ。わたしが散々、自分の頭で考えろよと言うのはそれもあるし、そもそも自分で自分を信頼していないから、というのもある。

例えば、因数分解とか原子記号とか、それは凄く大切なものなんですよ。わたしはバカだから因数分解が何の役に立つかは知らないけど、原子記号のほうは、まあ原子を表すのにどうしても必要だし、化学式が読めなきゃどういう操作をしてその結果どうなるのかもわからんわけで、自分の命を守るためにも必要なんだろうな、程度には思っているわけです。

だから前回のあの記事は、相当極端な言い方してるわけね。いやまあ、実際は教育において「必然」なんてものはないんだけどさ。足すという概念のあとに引くという概念をやる必然性なんて何処にもないし。ひらがなの後にカタカナやるのだって、別に深い意味はないんですよ。そのほうが良いと勝手に思われてるだけでね。それこそ、高校で世界史は必修だけど日本史は必修じゃないのもそう。根拠のある合理的な理由なんて誰もあげられないけど、なんとなくその方がいいと思ってるから、そうしましょう、ってだけ。

ここら辺はポケパのバランス関連の話とも似てる。あれも別に根拠のある合理的な理由なんて誰もあげてないし、あげられないのですよ。だって存在しないんだからそんなの。

そもそも人間が根拠つきで合理的な理由をいつもあげられるか、と言えばそうではない。むしろあげられないときのほうが多い。わたしは人間の論理性を信仰しない。人間は根本的には本能に引きずられる感情的な生き物で、論理はそれに従属するとさえ思っている。だから、全てを論理で割りきろうとする人間を信じないし、信じられない。

というこの書き方も、相当に偏っている言い方によるわけで。
別に論理的な人間を全て否定したいのではなく、それを信仰するほどに偏った人間だけが気持ちが悪いと言っているのです。そこら辺のニュアンスを間違えられると困ってしまう。
そして、わたし自身も相当偏った考え方をしているのは上記の通りで、だから自分の脳みそでよく考え、バランスの良い答えを出せと言っている。

人間の仕事なんて、基本的には妥協点を見い出すことばっかりだよ。営業にせよ事務にせよ研究者にせよ、そこに利益が密接に関わるのなら。

つまり、極端な白黒思考を持つような、バランスの悪い人間はいらない。そんないらない人間にはなるな、と言っている。