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日ソ中立条約
大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(1941〔昭和16〕年条約第6号)
1941(昭和16)年4月30日公布
1941(昭和16)年4月、日本とソ連との間で相互不可侵と相互中立を定めた条約。日本は、1939(昭和14)年のノモンハン事件でソ連軍に敗れたため当面北方への進出を頓挫させ、南方へ進むことにした。そのため日本は、独伊と三国同盟を結び、ついでこれを、ソ連を含む4国協商に発展させ、この力を借りて英米を牽制(けんせい)し、この間に南進するという外務大臣松岡洋右(ようすけ=1880~1946。山口県生まれの政治家。外交官を経て代議士に。1933【昭和8】年国際連盟首席全権として、連盟脱退を宣言。満鉄総裁を経て、近衛内閣の外相。戦後A級戦犯として裁判中病死)の構想を実現するため、40年9月に日独伊「三国同盟」を締結し、独ソ不可侵条約を締結していたソ連に対しても中立条約の締結を提案し実現した。
しかし、41(昭和16)年6月23日の独ソ戦勃発にともない、ソ連軍が独ソ戦で苦境に立っていた状況を千載一遇のチャンスととらえた陸軍は、対ソ戦を計画、密かに関東軍の増強を図りソ満国境に進軍し、この条約を事実上無視した。この戦略を隠蔽するために呼称されたのが「関特演」(かんとくえんー関東軍特種演習)であったが、関東軍はこれにより、兵力を30万から80万余に大増強、航空機も600機を保有するようになった。
一方、ソ連も45年4月5日にソ連は、同条約の有効期限が満了後延長しないことを通告、有効期限内の1945(昭和20)年8月8日、連合国間の協定に基づき(「ヤルタ会談で連合国の要請を受けた」として)条約の廃棄を通告、8月9日に対日参戦、戦車5000台・兵員157万人の圧倒的戦力で満州国(中国東北部=現在の黒竜江省・吉林省・遼寧省・内モンゴル自治区北東部。日本が満州事変によって占領、1932【昭和7】年、もと清朝の宣統帝溥儀【ふぎ】を執政に迎え【34年に皇帝】、中華民国から分離させて建国したのが満州国という傀儡【かいらい=操り人業】国家。首都は新京【長春】。政府の要職には満州人を起用したが、事実上は日本人官吏および関東軍の指導下にあった。45年8月5日、日本の第2次世界大戦敗北とともに消滅)に突入した。満州を守備していた日本軍は蜘蛛の巣を散らすように満州に移住していた100万を超す日本人居留民を見捨て敗走。これが戦後、シベリア抑留や中国残留孤児の問題を生むことになる。
なお、宣戦布告書はモスクワ時間8月8日午後5時(日本時間同日午後11時)、ソ連外務委員モロトフから佐藤大使に対して手交され、大使は直ちに東京に打電したが、この公電は日本に到着していない(日本政府は9日のモスク放送で参戦を知る)。この内容を、ソ連マリク大使から、東郷茂徳外務大臣(日本政府)に対して言い渡されたのは、8月10日のことであった。
前文
大日本帝国天皇陛下及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会ハ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ強固ナラシムルノ希望ニ促サレ中立条約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ
大日本帝国天皇陛下
外務大臣従三位勲1等松岡洋右「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦駐箚特命全権大使陸軍中将従三位勲1等建川美次
「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦最高会議幹部会「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦人民委員会議議長兼外務人民委員「ヴヤエスラウ、ミハイロウイチ、モロトフ」
右各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之ガ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ如ク協定セリ
第1条
両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス
第2条
締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ
第3条
本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且5年ノ期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ1年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ5年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルヘシ
第4条
本条約ハ成ルヘク速ニ批准セラルヘシ批准書ノ交換ハ東京ニ於テ成ルヘク速ニ行ハルヘシ
右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約2通ニ署名調印セリ
昭和16年4月13日即チ1941年4月13日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
備考
ソ連邦政府は1945(昭和20)年4月5日、本条約の期限満了(1946〔昭和21〕年4月)後に延長しない旨の通告を行い、同年8月8日に日本に宣戦布告をし、ソ満国境を越え、怒涛の進撃を開始した。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm
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■ 2009年7月9日
「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
本稿はその保管用記事です。
■ 2010年3月2日
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