◎それでもドレーンの管は詰まります
・これでもか!と言うほど難題を突き付けられ続けていますが、まさか腎臓病で
食事制限が必要になるとは・・・せめて食べ物ぐらい自由にさせてよ
・それでも相変わらず頻繁に管が詰まり胆汁がボトルに溜まらなくなり、その
都度病院で管の洗浄します。ひどいときは午前と午後1日2回の病院通いも。
・この管も長くて一か月で抜けてしまうので、管の入れ替えが必要となります。
管の入れ替えそのものは、さほど痛くないのですが、管が抜けないように管が
出てくるお腹の皮膚に糸で縫い付けるのが、これがとても痛くて耐えられない
のです。麻酔なしで縫われた時も痛かったですが、その後麻酔をかけるための
注射が我慢できないくらい痛いのです。これを頻繁に、恐怖・恐怖の連続です。
・入院にて管の入れ替えも、途中から通院で可能になり楽になりましたが、外科の
先生が数人集まらないと出来ないので、午前中診察してもらい管が抜けている
事を判っても入れ替えは午後になり一日中病院にいることになります。
当人のチチはいいとして、ハハは毎回運転手兼付き添いで大変だと思います・
(ある先生が麻酔の注射「そんなに痛いですか?」と言ったのでイラっとしたぞ)
◎腸閉塞(レイウス)が頻繁に襲う
・大量出血後2年経過しようとしたころ、急にお腹が痛くなり(気持悪い感じ)
病院へ行くと、診察結果はレイウス(腸閉塞)のため鼻から管を入れられ即入院
です。この頃になると当日入院も慣れてきてハハが通院時には入院セットを毎回
車に積むようになりました。(病院と自宅の行き来は大変ですから)
・腸閉塞の原因は開腹手術後の癒着により腸が麻痺して腸管を塞いでしまうためです。
この腸閉塞がなかなか曲者で、その後半年後そして三か月後と1年間に3回も
同じ病気で入院しました。
・治療は毎回同じで鼻から管を入れて腸内のものを外に出し、あとは絶食するだけです
二週間程度で改善されるのですが、今後もこれが続くと思うとゾッとします。
はじめは外科で診てもらいましたが、途中から内科で診てもらうようになりチョット
安心かな・・・
◎肝膿瘍、新たな病名が続々と
・一回目と二回目の腸閉塞の間に、また腸閉塞とは違う場所のお腹が痛くなったので
緊急の診察を受けると、病名は肝膿瘍と聴いたことのない病名で即入院です。
・肝膿瘍は細菌等により肝臓の中に膿瘍が出来てしまう病気です。当然肝臓に管を
入れたり、入院続きで免疫力も低下しているので納得かも!!!
・この肝膿瘍も二週間強の入院で抗生剤で炎症が治まるのを待つだけです。
よく考えると入院と通院で自宅にいるより病院にいる期間の方が長い気がします。
(そんな訳ないか)
病名も増えてきて、これじゃ病気のデパートみたいですね・・・
◎無意識のチクショウ事件
・ハハが言うには、チチが寝ながら大きな声で「チクショウ」と怒鳴った
そうです。普段チチが使わない言葉なのでハハはびっくりしたみたい。
・今までこの様な試練はしょうがないと言っているチチも、やはりストレスが
溜まっているのか、寝ている時につい本音が出てしまったみたいです。
まだまだ修行が足らないですね・・・
・なんだかんだと大量出血から2年経過、ハハの介護を受けながらヨボヨボと息を
ついています。結構しぶといかも!
「つづく」 「その1へ」
◎腎臓が悪くなっていた
・食欲が沸いて体調も良くなってきましたが、主治医より血液検査で腎臓の数値が
悪いので、病院内の腎臓内科で診てもらう指示されました。
・以前より腎臓の数値が少しだけ悪いと言われていたので、急に悪くなったのかと
血液検査の経緯を見てみると数値に大きな変化はありません。
◎腎臓内科での診察結果にびっくり
・軽い気持ちで診察を受けたのですが、担当先生の発言に驚きを・・・
「今すぐではないが近いうちに人工透析になる」との事でした。
・まず腎臓は絶対治らない!そして急激に悪化するため如何にこの状態を
引き延ばして、人口透析を免れられる事を考えなくてはならないのです。
・胆汁が正常に流れずお腹から管で外に出してる状態で、これに人工透析の管を
付けられて縛られるのは、あまりにもかわいそうですよね。
◎腎臓病の食事療法が過酷
・栄養士によるたんぱく、塩分、カリウムの摂取制限を指導されました。
1日の最大摂取量がたんぱく30g、塩分が6mg、カリウム2000mgです???
・この摂取量を朝昼晩の1日3食に分けると、あれあれ食べるものがないよ
・たんぱくはごはん(米)が4.5gあるのでマグロの刺し身3切れ7.8gを食べると
完全にアウト、そうです肉類、魚介類、豆・卵類、乳・乳製品はたんぱく量が
多いためあまり食べられないのです。
・塩分も1食当り2gの料理ってなかなか無いよね
・肉やさかな、好きな豆腐を食べられなくても野菜でお腹いっぱいになればいいと
思っていたのですが、野菜と果物はカリウムが多いのでこれも問題ありぃぃぃ
・茹でられる野菜は茹でこぼし生野菜は水につけてカリウムを減らします。
これじゃ栄養も抜けてしまうよ~
・以前よりハハは身体のためか塩分控えめに心がけて塩分量の少ない塩「やさしお」
を使用していたのですが、これが桁違いにカリウム量が多いため使えない。
・もぐらたたきの様にこれでもか・これでもかって感じで、拷問をを受けている
みたいですね。
◎腎臓病の食事対策
・以上の理由で食べるものが無いのですが、今まで通りのカロリーは必要量と
なります。こんなこと無理です、矛盾しています。
・でも、なぜか病院の栄養指導の時に健康食品会社の腎臓病対応パンフレット
(冊子)をくれたのです。
取り合えず、通販でたんぱくの少ない「パックごはん」と「冷凍のおかず」を
購入しどちらもレンジでチンすれば栄養成分を考えず手軽に食べられて最高
かな・・・
・「冷凍のおかず」は副菜も付いてメインの種類も多くパンフレットの写真では
メチャクチャ美味しそう。新たに冷凍庫も購入したのでこれで一安心です。
しかし、「パックごはん」は色は白米ですが小粒でちょっと変「冷凍のおかず」は
肉?でも魚?でも何を食べてもみんな同じ味で、とにかく不味い
・子(コ)から大きな段ボールが届き、中身は腎臓病対応の調味料・パン・乾麺・
レトルト食品・お菓子・エネルギー補給用食品等各種でこれは助かる。
・これら食品をいろいろ試した結果、「パックごはん」は炊飯タイプの米を子に
購入してもらい、水分量を変えながら少しはおいしいと思われる配合を見つけ
て炊いています。(たんぱくを気にしなくてよいので楽)
また、おかずは対応の本を参考に自分で作ることにしました。
味は薄目ですが肉は肉の味・魚は魚の味がするので、あとは食べる量を調整
しながら食べています。
◎腎臓病の疑問
・以前からの血液検査結果を見てみると腎臓が悪くなった原因は手術後の大量出血
が原因ではないかと思われます。病院では関係ないと言っていますが・・・
・脱水症状と貧血で入院した時も点滴で鉄分を補給しても改善されず、その後
腎臓内科の診察で注射を一本打っただけで正常値に近くなっています。
途中から急に腎臓が悪くなったのでなく初めから悪かったのでは・・・
・とにかく人口透析は避けたい。うまく付き合っていかないとね
もう十分なのでこれ以上悪いところが出ないといいのですが???
「つづく」 「その1へ」
◎身体の不調(体調の変化)
・退院後1年経っても食欲が無くゴロゴロして体調はイマイチ、以前の元気のよかった時と
比べると身体の変調が著しいのでチョイっと書いてみます。
〇入院となると必ず点滴がつきもので栄養補給に水分補給それに炎症を抑えるため抗生剤の
投与です。ここで問題が大量出血の原因なのかわかりませんが、点滴の針が全然挿せない!
点滴の針を1本挿すのになかなか入らず最高で10回、最低でも5回程でやっと点滴ができます。
(針を刺す先生や看護師さんも大変ですが、刺される本人も大変なのです。)
・入院時の副作用なのか?退院のあと腕中が痒くなります。確認すると点滴の針を刺した
箇所を中心に痒くなっていいます。
また、ドレーンのお腹の穴が化膿しているためガーゼをあててテープで固定していますが
これも長期間なため肌が荒れてお腹と胸全体が痛みと痒みで耐えられない~よ。
・そこで、病院内の皮膚科に通い、適切な処方によりメキメキよくなりました。
(主治医より処方されていた薬では治らなかったのにね。やはり餅屋は餅屋ですかね)
〇気温の体感が極端に変化しました。体重が減ったせいかとにかく寒いのです。暑い夏でも
汗をかく事がなく自宅や病院でもフリースを用意していないと大変なことに、また冬は
暖かい家の中にいてもホカロンが必需品になってしまいました。
〇体調の変化ではありませんが、採血とレントゲン撮影の数が半端ないのです。定期の通院
や入院以外にも管が詰まるとレントゲンやCT検査また管の入れ替え時は透視室で放射線
浴び放題です。
(放射線による健康被害は無いとのことですが、すでに健康じゃないので問題外ですね。)
〇管の入れ替えやCT検査で造影剤を使用するのですが、なぜか造影剤を使うと発熱して
しまい入院期間が長引きます。
(造影剤により体が温かくなることはあるみたいですが、なぜ発熱するの~)
〇以前よりあまり寝られなく眠剤を飲んでいますが、体調不良と重なって薬で2時間ほどで
起きてしまい、その後寝られなくなる日々が続いていました。
(ゴロゴロしてても昼寝も出来ず)と言うことで病院内のメンタルヘルス課で診てもらい
ましたが、入院時に飲んでいた強い薬を貰えば解決するのでしょうが処方されず!!!
(睡眠障害を分析すると、2日寝られない日が続いても3日目には寝られる事に気づいた
ので、普段は家でじっとしているのでこの状態でも大丈夫ですね。OK)
◎涼しくなって体調も良くなってきたぞ
・(2022年)秋になり涼しくなると食欲が出てきて少しずつ元気が出てきました。
体重もチョットですが増えてきて、夕方の散歩もタンクを持ちながらですが出来るように
なり、日常の生活に戻ってきたって感じですかね?
・また動けるようになっても世の中はコロナ禍で止まっているため、家の中でじっとして
いることが気にならなかったことが救いでした。
・何でも食べれれるようになり特にカツカレーがおいしく感じられチョットだけ幸せな気分、
・体調も改善されこれからドンドン回復して行くと思ったのですが、その後考えられないことが!!!
「つづく」 「その1へ」
◎胆汁を身体に戻すための準備
・手術で胆管を結んでしまったので、ドレーンで胆汁を外に身体の外に排出していますが
いつまでもボトルを持つ歩く訳にはいかないので、胆汁を腸に戻す手術を行うことに
なりました。
腸に流すための胆管の出口が無いため、新たに肝臓から胆汁を流す場所が必要となり
ますが、今ついているドレーンは位置が悪いのと管が細すぎて使い物になりません。
・これからは内科の領域で経皮経胆管道ドレナージで胸から超音波で確認しながら、針を
胆管まで挿しその後チューブで胆汁を外に出します。
身体の中の見えない場所針を刺して目的の位置に的確にチューブを通せるのですから
凄いですね。
・このチューブを徐々に太くするため月に一回ずつ3度に分けて入れ替えます・
当然入院での処置となるので、9・10・11と毎月入院となります。
◎再度、腸と肝臓を結ぶ開腹手術
・12月(2021年)肝臓から胆汁を流す穴が出来たので、再度小腸と肝臓を結ぶ手術を・・・
何度もうまくいかなかったため、もう外科手術は行いたくなかったのですが、この
手術でお腹から出ているチューブとボトルが取れると言うので、これで楽になれると
実施しました。
・結果はまた失敗、この時は知識がなかったのでこれで治ると思っていたのですが、
今思うと何のため何故このような手術をしたのか不思議です。
・これで完全に希望が絶たれてしまいました。かなりショックです!!!
また手術で計3本あったドレーンの管も1本になり、命の綱である胆汁排出の
管が1系統となり綱渡り状態です。
◎修理(治療)方法なし
・主治医(執刀医)からは今後治療方法がが無いので、イロイロ試しながら検討する
とのことでした。
なんか変ですねっと言うことでチョット考えを変える事にしました。病気なら治療で
いいのですが、これって事故ですよね!事故なら治療でなく修理じゃないの?
どうでもよい事ですが考えを変えるだけで少し楽になりました。
◎ドレーンの管が頻繁に詰まる
・1系統だけの胆汁排出の管(ドレーン)がすぐ詰まり、胆汁は止まる度に病院に電話
をして急患で診てもらうのですが、それが1週間に数回あり、時には午前中と午後の
1日2回も病院へ行くこともありました。
・また管が抜けて管の入れ替えは入院で行います。先生が3人・看護師・放射線技師と
大人数で管を変えるのですが、最後に管が抜けないようにお腹の皮膚に縫い付けます。
麻酔をかけて針を通すのですが、この麻酔が我慢できないほど非常に痛くこれがこの先
続くと思うとぞっとします。(これじゃ入院回数も増えるはずだ!!)
◎家庭内要介護状態(老々介護)
・ハハは数年前から車の運転を止めていたのですが、ヨレヨレ状態のチチを病院へ連れて
行くため、嫌々ながら運転を再開しました。
(上り坂や暗くなると嫌だとブツブツ言っています。)
・チチはふらふらと倒れることが数回あったので、ハハは音に敏感になり少しでも音が
すると大急ぎで確認します。またお風呂で倒れたこともあるのでチチのシャワーの時
は脱衣所で待っていて上がると管やタンクがついているので身体を拭いてくれます。
感謝・感謝・完全介護状態です。
・退院後1年以上たっても食欲がなく家の中でも横になっていいる時が多く、この後も
入院中心の生活が続きます。
・ここで問題発生、タイトルが「21回目の入退院」ですが、(2024年8月現在)熱が出て
急遽外来で見てもらい幸いなことに検査結果がさほど悪くなかったので入院は免れました。
(体調が悪く通院する場合はいつも入院道具一式を車に入れて病院へ行っています。)
・22回目の入退院をする前に早くブログを完成しないとね
◎やっと退院
・6日程度の入院予定だった胆のう摘出手術ですが、結果的に複数回の
手術の末、38日の入院期間となりやっと退院です。
・目が覚めた時点でサポートの先生からいつ頃退院したいですか?っと
言われたので7月23日より前を希望と答えました。
先生が東京オリンピックの開会式を見るためですかと聞いてきましたが
この日はチチの69歳の誕生日なのでその前に退院したいのです。
・学生から50年来の友人が68歳で亡くなってしまったので、友人の分まで
少し長生きして69歳の壁を越えたいと思っていました。
(いつか友人と会った時、コロナ等世の中の動きを教えてあげないとね)
◎退院後の通院が即入院に
・退院後一週間の通院で採血をして外来へ行くと採血の結果、脱水症状と
貧血がひどく、またまた即入院となりハハ(妻)は入院手続きと入院の
準備で家との往復でもう大変、こんなことならもう少し入院していた方が
よかったのでは・・・と言ってました。
これまた1週間程でヨレヨレ退院です。
◎体重が減っていた
・体重は入院前より20kgぐらい減ったみたいで、体重計を見てびっくり!
ズボンがすべてストンと落ちて穿けるズボンが無くなってしまいました。
特に腕・お尻・太もも・ふくらはぎが極端に細くなり、腫れたお腹が
目立ち栄養失調のような体形です。
・水分と栄養補給が重要なのですが、とにかく水が不味く感じあまり飲めない
ので、飲みやすい硬度の水を探してやっと飲めるようなりました。
また食欲が無くなかなか喉を通らない状況でしたが、子(娘)が栄養補助
食品を持ってきてくれて、これを食べ始めると元気が出てきて普通の食事が
出来るようになりました。本当に感謝しています。
・食欲が戻ってきた時点で体重は50kgなので少し前までは40kg代だったのかも
アキバ系小太りのチチからは考えられないことです。
◎退院後の生活
・胆汁を管でお腹の外に出しているのがとっても厄介で、管が外れたり液が漏れ
家中胆汁の臭いが強烈です。またタンクには胆汁の廃液が溜まるので1日2回の
計量と破棄があります。
・動くときはタンクをポシェットに入れて移動し、ソファーで休んでいる時は
上から丁度良い位置にフックを吊るしてポシェットをかけ、寝る時は近くに
椅子を置き背もたれに掛けて対応しています。
楽に生活する事を考えるのは暇で時間があるので暇つぶしには最高です。
・痛みで寝る時が毎日恐怖です。起きている時は上半身を前に倒し前かがみで
手術後の痛みや管の出口の痛みを和らいでいるのですが、寝る時は身体を伸びる
ため傷口が攣ってイタタタタと叫んでしまいます。
一度伸びると後は平気ですが、毎日の事なので結構辛いです。
◎意外と天然なチチ
・ハハは「どうしてこんなことになったの?」とブツブツ言っていますが、当の
本人は手術に失敗はつきもの「自分がならなければ、だれか他の人がなってる」
「悪い事していたのでバチが当たった」とか「今まで平々凡々生きていたので、
少しは試練を」とチョットおかしな事言いだす次第です。
(長く入院していたので頭の回路が狂ったのか・・でも痛みは続いています。)
・これからは胆汁を身体に戻してタンクを外さないとね!!!
「つづく」 「その1へ」
◎食事のリハビリ
・水はストローで飲めるようになりましたが、栄養補給は点滴だけです。
徐々に食事の練習を始めることになり、初めは不味いが栄養がある
という飲み物を、その後形はないがメニュー通りの味がする流動食、
そして水みたいなお粥から少しずつ固くなったお粥を10日以上
かけてグレードアップし口から栄養を取れるようなりました。
◎歩行のリハビリ
・体力はとんでもない事になっていて、ベットで上半身を起こすことが
出来ません。腕の力も腹筋も無くなってどうしても起こせない!
リハビリの先生により足をベットの外に出しシーソーの要領で力を
かけないで、上半身を起こす方法教えてもらい第一段階クリアーです。
・次は歩行の練習ですが、ベット脇に立てない!!!
先生の助けを借りてやっと立ってみたのですが、足の裏に床の感覚が
ないのです。(これじゃ歩けないね)
・毎日少しずつリハビリの指導をしてもらうのですが、少しでも早く
歩けるようになるためベットの上では足を動かして自主練をしました。
・自主練で気が付いたのですが、ふくらはぎをもう一方の足で触れると
子供のころ使った氷嚢の様にぶよぶよだったのです。
ロードバイク(自転車)に乗っていたので、筋肉が目立つふくらはぎ
だったためかなりショックです。
・先生の腕を借りて、一歩・二歩と歩ける距離を増やし、車いすで
リハビリ室へ通い、退院前日まで歩く練習をしました。
(少し歩けるようになっても、立ち止まると身体が後ろに倒れるように
バックしてしまうのです。これって不思議ですね)
◎睡眠のリハビリ
・目が覚めた時みたいに一睡も出来ないことはありませんが、あまり
寝られないので、メンタルヘルスの先生から以前より飲んでいる眠剤
に加え新しい薬をもらい寝られるようになったのですが、退院後は
処方されなくなりました。
強力な薬なので病院内の使用だったのですね。
◎大動脈剥離の疑い
・動けない中イロイロな検査を行ったのですが、どうも大動脈剥離の疑いが
あるとの事で、検査技師や先生たち立ち合いでかなり長い時間をかけて
数回検査が行われたのですが、良く解らないとの事です。
(ここまで来たらどうでもいいので、成るようにしか成らないですよ)
◎やっと目が覚めた
・知らない先生に肩をトントンと叩かれ目を開けると「ここは何処?」
メガネをもらい回りを見ると、どうもICUみたいです。
ベット脇のテレビでは熱海の土砂崩れの映像が流れていて、数日前
からこのニュースで持ち切りとの事、っと言うことは月が替わって
7月になっているので、6月に倒れてから一週間強の間、昏睡状態
だったみたいです。
・身体の周りに管や線と器械が沢山あるので、頭の方から確認すると
鼻と口に酸素のマスク、右腕は血圧と酸素飽和度測定、左腕は点滴
針は一本でも複数の薬剤、胸部には心電図、右足の付け根にも点滴針
左足の先端にも点滴が、そして後で知ったのですが肝臓から胆汁を流す
2本の管、おしっこを流す管、手術後の廃液の管もあったと思う。
また頭の上の方にはモニター等の機器が多数あります。
目は覚めたけど、これって大丈夫なの???
◎寝られないけど頭はギンギン
・目が覚めてから2日間は一睡も出来なかったのですが、頭は冴えわたり
深夜のICU内での出来事もバッチリ記録できました。
・コロナ旋風の中で家族の面会は一切できないのですが、特別にハハ(妻)
だけICUに入らせてもらい会うことが出来てよかったです。
昏睡状態が長かったので、ハハは少しの痴ほうは仕方ないと覚悟していた
みたいです。
・面会をして普通に会話できるので一安心、しかし子(娘)が「お見舞いに
来てくれたんだ」と言ったので、何変な事言ってるの!
子(娘)は子供が小さいので来れないし、昏睡状態で分からないでしょ~
・確かに会えるわけがない?(少しボケたか)
そうだ、昏睡状態の時ベットの下で孫が遊んでいる夢を見たので、子(娘)が
お見舞いに来てくれたと勘違いしたみたいです。
・少し混乱している状況で孫のネオンちゃんから「じいちゃんがんばれ」と
LINEが届いたのでチョット元気が出てきました。ナイスフォロー
・ハハ(妻)は倒れてから毎日病院より電話連絡が受けていましたが、昏睡
状態が続いているので、もうダメだろう~っと遺影の心配をしていたそうです。
チチはカメラを沢山持っていますが自分の写真は全然ないので、考えた末、
少し古いけど姪の結婚式の集合写真を引き伸ばして使用すれば良いと、余裕の
ない中イロイロ考えていたみたいです。
◎一般病棟への不思議な移動
・ICU内で数日過ごし点滴類も少し整理されたので、一般病棟へ移ります。
ベットのままの移動ですが、ICUから出て長くて緩い下り坂の廊下を
ゆっくり降りてから下りエレベータに乗り一般病棟へ移動しました。
ここでおかしなことが・・・移動した廊下の幅が狭くベット一台の通過
がやっとなのと、形状がトンネルのように天井が丸まっているのです。
一般病棟は上の階なのに廊下を降るのは変ですね。
・後に看護師さんや家族に聞いても、そんな廊下は無いとの事でした。
ちゃんと起きていたのに、このような体験をするのは不思議です。
・さあ次は一般病棟で、まさかのリハビリが開始されます。
「つづく」 「その1へ」
◎無意識状態の不思議な世界
・倒れてから意識が無くなり、その後麻酔によると思われますが、
何日も眠り続けている間に頭の中でイロイロな事が起こりました。
・夢の話みたいですが、チチが手術室か治療室のベットに寝ています。
このベットの下の床にローラーが引き詰められて、先生はベットの
下に潜り込みローラーにより身体を自由に動かしベットの下から
治療をしています。(まるで車の修理工場のようですが、これでは治療
出来るのも背中だけですよね。不思議な話です。)
・また、孫の中で一番おとなしい子がお見舞いにやって来て、いつも
静かなのにベットの下のローラーでガラガラと遊び始めます。
(病院内で騒ぐなんて、子(娘)が許すわけないし、変だな~)
・これからは結構ありそうな話ですが、ベットの枕元側に数人の人が
並んで立っていて、知っている人ですが名前を特定できません。
そしてみんなで「こちら側も結構良いところだよ」と言うのです。
良いとこなら行ってみようとベットを降りて向かうと急に目の前に
1年程前に68歳で亡くなってしまった友人が黙って立っているのです。
結局、前には進めなくなり話はここで終わりになります。
この現象はその後も複数回現れました。
(これって友人が引き留めてくれたのかな!)
・最後に映画のような画像の話です。スクリーンの左下半分が青く厳冬の
雪山に挑む映像、そして右半分下が赤く南米の高地で険しい山肌を
アルパカと一緒に歩くと言うどちらも厳しく苦しいものです。
それとは正反対に中央上部の遠くの方には、淡い色のお花畑が見えてます。
(赤と青色は暗記の勉強で使う下敷きより薄いフィルムのような色でした)
・ここまでくると生死を彷徨った方が生還後によく話す内容と同じですが、
もともと頭の中に刷り込まれているせいか、実際このような無意識の中で
バーチャル体験をしてしまいました。
(結局、六文銭を持っていなかったので、川を渡れなかっただけかも?)
・そして目が覚めた後も夢か誠か分からないことが続きます。
「つづく」 「その1へ」
◎倒れた原因は大出血だった
・これからは意識不明で長い間記憶が無いので、周りの人の話を
まとめてみます。
・吐きながら倒れたので、食べ物を吐いたと思っていたのですが、
実は血を吐いたそうで、大量の吐血と下血だったそうです。
たまたま看護師さんが近くにいたため異変に気付き早急に対応
出来たので良かったと、後に対応してくれた看護師さんから
聞かされました。
・その後、手術室で開腹し出血箇所を探したのですがなかなか特定出来ず、
ショック状態(血圧が40以下)を3回繰り返し、輸血はなんと10リットルと
普通では考えられない量を使用したそうです。
一般的な大人の血液量は5リットル弱なので、元々身体の中にあった血液は
全て無くなり、次の輸血5リットルも無くなり、その後の5リットルが
身体に残った計算になります。
・また、この大出血に対し平日だったため緊急対処できる医師も多く、みんなが
遅くまで残ってくれたので、適切な処置により運よく生き延びたのかな!!!
出血箇所の特定に時間がかかったみたいですが、場所が解っても止血するのが
大変で出血している箇所を一時間以上も押さえていたそうです。
◎狐につままれた状況の家族
・家族へはその日の夕方、病院より電話がかかってきて、大出血により危険な
状態との連絡がありました。
前日、電話でハハ(妻)に元気であることを伝えていため大出血とは???
・急いでハハ(妻)と子(息子)が病院へ駆けつけたのですが、訳も分からず
ただ待合室で待っているだけです。
その後、深夜の2時か3時頃になって一応出血は止まったが、また出血すると
もう助からないと言われ、取り合えず今は治まっているので帰宅してください
と言われたそうです。
・ハハ(妻)も気が動転していたので、自分が病院内のどこにいるか分からず
ICUかと思われますが、帰り際にカーテンの隙間から中を見るとベットに
横たわり裸でおむつ姿のチチが体中に管や配線が多数付けられ周りには
モニターや機器が沢山置かれていたそうです。
・帰りの車の中では二人とも一言も話をせず帰宅したそうです。
たまたま、子(息子)が会社から早く帰ってきていたので、ハハ(妻)は
心強かったことでしょう。
・後日、沈黙の真夜中の帰宅について、二人ともこれはもうダメだな~と
思っていたそうです。
・その後、意識のない状態でいろいろ奇怪な現象が起こります。
「つづく」 「その1へ」
◎突然、背中全面に激痛が走る
・入院している当人は意外と気楽にしていたのですが、腹腔鏡手術後
開腹手術となると手術後に使用する用品や入院期間も伸びるため
生活必需品も急いで用意しなくてはならなく、また手術の立ち会い
もあったので、ハハ(妻)はてんてこ舞いの忙しさだったそうです。
(後で聞いた話ですが)
・手術後数日が過ぎ食事もとれるようになったので、あと10日程で
退院出来るのではと電話連絡をしたところ、ハハ(妻)も先が見え
安心した様子でした。が・・・
・翌日の午前中、急に背中に今まで経験をしたことのないようね激痛が
走り、どう表現したらよいか解らないのですが背中全体がバリバリと
崩れ落ちるような痛さです。
・看護師さんも忙しいのだろうと思い、普段はナースコールのボタンを
押さないようにしているのですが、この時は這うようにしてやっとの
思いでボタンを押し看護師さんに来てもらいました。でも、とても痛く
何が原因か解らず看護師さんも手の付けられない状態でした。
・その後、執刀医とは別に初めの腹腔鏡手術時から診てくれているサポートの
先生が駆けつけてくれたのですが、この時点では痛みが和らぎ普通に会話が
出来るようになりました。そして経過観察と言うことに・・・
(注:その後もこのサポートの女性の先生には毎日数回顔を出していただき
苦しい中助けられました。)
◎そして大事件、バタンと倒れてしまう
・朝の痛みもすっかり消えて昼食となります。
病院食なのでおいしくはないのですが、メニューは「塩焼きそば」で好物の
麺類なのでこれは食べられるぞ!っと食べ始めたのですが、なぜか半分
ほど食べたところで、もういいかと食べるのをストップしてしまいました。
(この時点では目立った変化もなく、少し食欲が無い程度)
・そしてベットに腰を掛けて座って食事をしていたのですが、突然吐き気とともに
上半身がバタンとベットに倒れてガッバっと吐いてしまったのです。
ここまでは覚えているのですが・・・(その後の記憶はありません)
・倒れた後、生死を彷徨うとんでもない事が起こるなんて!!!
「つづく」 「その1へ」