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幸村の備忘録(情報は訪問当日の内容です)

じいさんとなりヨロイ兜を脱ぎ捨て温泉三昧。

注意⇒●ブログ掲載の温泉施設の情報は訪問当日の内容です

斑尾高原温泉/まだらおの湯(長野県中野市)3

2016年10月13日 | 長野県の温泉(東信・北信)
≪2016/10/07金≫
豊田飯山ICから
斑尾高原に上って行く 民家から離れた山間にポツンとある日帰り温泉施設、450円
周囲にはキャンプ場や通年営業のコテージ、マレットゴルフ場などある
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内湯 アルカリ性単純温泉、源泉25.2℃、加熱循環、PH8.9
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外は白樺林
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建物の一面が開いた露天風呂、温めの設定でアルカリ性の軟らかい湯ざわり
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標高が高いので紅葉が始まった木々を見ながら湯に浸かる
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冷房が効いてるかのような涼しすぎるくらいの静かな休憩室で休んできた
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帰路はいったん国道18号に出てから飯縄高原を回った
台風一過の高い空の初秋の高原を走った

霊仙寺湖は鏡の様
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釣り人
こんな日は糸を垂らしているだけで気持ちがいいだろうな
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湖の対岸に温泉施設が見えます
天狗の館 ←以前のブログ記事
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いつも渋滞している長野市内を通過して
「川中島古戦場」へ
特産のりんごや長芋を販売している土産物屋が並ぶ
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神社の境内に下の上杉謙信と武田信玄の銅像があるだけの観光地です
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”戦いの図”を見ていた観光客の話が聞こえてきた
「このころの真田家は・・・・・?」と

たしか この戦いに真田信繁のおじいちゃんが武田軍にいたと思い
知ったかぶりして説明しようとよく見たら
真田幸隆の名がない?
真田一徳斎の名はあるが・・
やっぱりワシはまだまだ勉強不足だ

帰って調べたら 一徳斎はやっぱり真田信繁おじいちゃんの道号でした
こんな時 スラスラと観光ガイドが出来ればかっこいいだろうなあ~
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6 コメント

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Unknown (go)
2016-10-13 21:15:37
まだらおの湯は行った事がないので地図で見たらスキー場へ行く途中にあるのですね、コテージやマレットゴルフ場を作って通年型リゾートにしているようですが、スキーシーズンや夏休みには客が来るでしょうがその他のシーズンはまだらおの湯もすいているでしょう、見晴らし露天もあって、ゆっくり温泉に入るのには好いですね。
真田信繁(幸村)のお爺さんと云うと、昌幸の親の幸隆ですが道名が一徳斉と云うのですか、全然知りませんでした、一徳斉の頃は真田町か長村の方に居たのではないでしょうか、まだ上田に城を造る前でしょう。
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Unknown (幸村)
2016-10-13 23:32:20
go さんへ
まだらおの湯は斑尾山の麓にスキー場と3~4十軒くらいのペンション団地?がある高原に行く途中です、キノコでもあれば採りたいと思っていましたが叶いませんでした。
領地を追われたのに仇敵の武田家に従ったりと真田家の生き残り戦略はこのおじいちゃんの頃からのようです、子供の昌幸を人質として甲斐に送ったり、その頃は真田の長村が眼下に見える高台に真田本城がそうなのだろうと言われているようですが?、 そこが松尾城とも言うようです、上田城跡の上田高校の旧名が松尾高校だったことも納得しますね。上田城は真田丸でも出てきた昌幸が家康に金を出させて作ったと言っていましたね
最近はBSテレビでも盛んに真田関連の番組があり勉強になっています
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Unknown (sattoru)
2016-10-15 10:16:54
爽やかな空気の秋空のもと、ぬるめの露天は気持ちよさそうですね。白樺や木々の緑が絵のような美しいカットです!お膝元はもう寒い感じでしょうか、ご自愛ください。当地も朝晩は肌寒いですが、カープカープで町の温度は上昇中です(笑)。
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Unknown (幸村)
2016-10-15 23:08:33
sattoruさんへ
何はともあれ、カープおめでとうございます。最近はプロ野球の試合は気にならなかったのですが、今日はラジオの中継を聞いていました、ハラハラドキドキの場面もありましたが勝利を信じていましたよ。良かったですね・sattoruさんも今日の祝杯はさぞおいしい事でしょうね。
長野県は昨日今日と朝は寒くコタツで生活しています、自分の部屋もストーブを入れました、昨日も出かけて峠を越えましたが紅葉が始まっていました、ますます温泉が恋しい季節ですね
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Unknown (白色槍騎兵)
2016-10-16 16:38:53
「天狗の館」の対岸にも温泉施設があるとは知りませんでした。
真田幸隆は一徳斎の他に弾正(だんじょう)の名もあり、三弾正の一人です。
逃げ弾正(高坂昌信、殿【しんがり】の名手)
槍弾正(保科正俊、槍の名手)
攻め弾正(真田幸隆、攻城戦の名手)
難攻不落の砥石城を謀略で無血開城させた事は余りにも有名です。
幸隆の長男信綱、次男信輝は長篠の戦いで討死しましたが、信玄公の小姓として知略を学んだ三男昌幸が家督を嗣いだ結果が、真田家が生き残った理由ではないでしょうか。

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Unknown (幸村)
2016-10-16 23:17:20
白色槍騎兵さんへ
流石 白色槍騎兵さんです勉強になりました。先日の高島礼子さんのBS番組でちょうど「真田幸隆を知れば真田家がわかる」と言うコピーの番組を見ました、砥石城も話していました。小学校の遠足で米山城に行って焼け焦げた黒い米のような物がいっぱい落ちていていくつか拾ってきましたあの馬を洗った米だと信じていました。その話くらいしか詳しくは知りませんでした。せめて地元の事はもっと勉強しないといけないですね。今日 お会いしたご夫婦が丸子城に行ってきたと言っていました、あることは知っていましたが近いのに行ったことがなかったです、県外の方の方が詳しいです、真田丸の影響でしょう他にも人が来ていたそうです。
この「まだらおの湯」は天狗の湯のある飯縄山山麓でなくもう少し北の斑尾山の麓です、天狗の湯の周辺はキャンプ場と別荘がある夏のリゾート?ですね
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