雑記zaki

日々の雑記

Memomaというアプリでたすくまのレビューすることにした

2021-08-14 21:53:00 | 日記
Memomaというアプリはメモの中身まで表示してくれるのでまぁ視認性と日記を半分半分取って妥協しました。
490円でフルバージョンが使えるのでサブスク嫌いな僕も購入して使っています。

おおよそあらゆることをデジタル化できたつもりいるのですが、ゴールを確認できる場所がないとやはり日々忙殺されて来ると目的意識が希薄になってきます。
目的意識を保ち続けられるようにしたいのですがねぇ。

たすくまにはチェックリストからのURLスキームがありまして、該当アプリをたすくまから直接開くことが可能です。
いちいちホーム画面に戻り該当アプリをタップせずとも良いので便利です。
たすくまに全てを集約させると考えたこともありますがやはりたすくまは今日一日だけのものと考えた方が良いと思いました。
結局今日一日の精度を上げていくことでしか人間は遠くにいけないのだと、最近になって思いました。
todoリストや未来のことを考えて多くのことで頭がいっぱいになってしまいがちですが、今取り組んでることをうまく終わらせる、次の仕事に取り掛かる。結局今取り組んでることに注力することが必要となります。
しかし、その注力は一体何に支えられてるかと言えば未来のゴールだとやはり考えます。
急がば回れみたいな矛盾をここに孕んでるわけです。目の前のことに集中しようと思ったらゴールを真剣に設定してそれを忘れないことが必要で、かつ目の前のことに取り組んでる時は未来のことを思い煩わない必要がある。

これが難しいところです。
自己をそのゴールに向かって埋め込む作業が必要だと思います。
なので一枚絵にするなり、文章にするなり常に意識化し毎日毎日思い出したり口にしたりする習慣が最初は必要だと思う。

Notionって個人で無料で使う場合でもノートの枚数無限なんですよね〜。だからNotionっていいなとも思うのですが、ファイルが5MBまでと少ないので悩みどころです。
割と自由度が高くなんでもできるアプリです。まぁタスク管理ではよく言われるなんでもできるはなんにもできないと一緒みたいな面もあります。
ticktickも今思えばあまりいりませんでした。たすくまにチェックリストあるし。
あとはゴールの設定だけだなぁと思う今日この頃です。中国あたりがEvernote丸パクリしたアプリでも買い切りで作ってくれればEvernote難民の悩みは大体尽きると思うのですが。
いやもしかしたらもうあるかもしれませんが。

またいろいろ探していこうと思います。
Notionと向き合うか…

視認性と日記

2021-08-08 17:40:00 | 日記
たすくまとiCalを同期しているので、1日何をしていたか見ようと思えば簡単にみられる。
でも日記という観点で見るとタイトルと色分けしかされてないので不十分(タップすればメモの内容が見られるが少々手間)
逆に送信したレポートは一目では何時から何時まで何をしていたかは分からない。
文字で0:00〜1:00○×をしていた。とかいてあるだけ。iCalとかカレンダーアプリならその時間帯が指定した色枠になってるのですぐわかるというわけだ。

視認性を取ると日記の詳細を欠き、詳細を求めると今度は視認性に欠いてしまう。
理想は左に時系列で色分けされたものが表示され右側に文章なのだが。
EvernoteにiCalのスクリーンショット載っけるとかでもまぁ、、、

なんだかんだいって理想のものはなかなかない。
いずれにしろ、永遠に書き足すにはどこかのタイミングでローカルのHDDなどに移し替える必要があるということを考えると可能な限りシンプルな方がいいんだよなぁ。

日記の魔力の人はWord使ってるって書いてたけどまさにそれだ。
まだまだいろいろ探してみます。

弱者男性だの非モテだのというカテゴライズは社会にとって悪影響

2021-08-08 00:06:00 | 日記
最近というかここ数年くらいだろうか
弱者男性や非モテなる概念が登場した。

僕はこのカテゴライズというか分断がものすごく方向性を持ったある種の差別主義だと思っている。
このような言葉を使う人間は苦手である。

これまでこのような言葉がなかったかと言えば、そうではない。非リアvsリア充、陽キャvs陰キャのような対立構造はあった。
しかし、非リアにしても陽キャにしてもその人ののキャラクターを揶揄したものであり、その人そのものを固定化するような強さは持たなかったと思うのである。

ところが非モテや弱者男性なる概念はその人の全体を指し、またそれが恒常化していてなかなか逆の立場になれないかのような言い方である。つまり言葉としてもつ対立の意味が強すぎるような印象を受ける。
これは非リアなどの例よりもむしろもっと大昔にあった、勝ち組vs負け組のような対立概念に近い。
勝ち組負け組はその言葉のなかに勝負が入っているから分かりやすいし、その分断を意識しやすいが、非モテや弱者男性という概念は一見すると対立構造というよりはむしろある集団を固定的に指差しているように見える。しかしこれは対立ひいては社会から爪弾きにしてやろうという意図も垣間見える。
また弱者男性というカテゴライズを作ることによって、私は弱者男性ではないという主張が可能になる。そう主張するために別に強くある必要もないのだ。
つまり弱者と言えないまでも中下流程度の人間が弱者男性なる概念を作りそれを指差すだけで手軽に強者の仮面を被ることができるのだ。

本当の強者はそんなことを主張する意味がない誰がどう見ても強者側にいるからだ。しかしイマイチパッとしない中下流層はこの非モテや弱者男性という概念がとても好都合なのである。
こいつらを足蹴にすれば強者のように振る舞える。

一方で弱者男性と括られる人間はたまったものではない。そのレッテルが貼られることによって弱者だから救われるかと言えば全くそうじゃない。そこで待っているのは弱者になったお前が悪いという自己責任論や、弱者なんだから弱者らしく振る舞えという地獄である。

これは日本だけなのか世界でもそうなのかは知らないですが、日本には中年男性には何をしても何を言っても許される雰囲気がある。女性への容姿差別は問題になるがおっさんにはデブハゲ臭いきもいなんでも言って構わない。
このポリコレの時代に唯一なんでも言って構わないのがおっさんである。女性の低収入は問題になるが男性の低収入はバカにされるそのような時代なのである。

小田急線の事件で女性ヘイトを過度にピックアップするのも、弱者男性云々持ち出すのも僕は本質がズレていると思いますし、無敵の人などという概念を持ち出すことはどんな人間に対しても失礼です。どうなっても構わない人間なんていません。無敵の人なんて言葉を許容する社会自体を僕は心の底から許したくはないのです。そんな言葉気軽に誰かに対して使うものではないです。そんな言葉を使う人は徹底的に人を見下した下劣な人だと思います。

Evernoteみたいにメールでメモを追加できるノートアプリはないのか

2021-08-03 00:48:00 | 日記
たすくまのログをそのままノートに追加したい。Evernoteは連携ができてそのまま送れるけどEvernoteそのものが無料では使いづらい。
もう一つの方法としてメールにログを送信できるからメールにログを送信してそれをコピペしている。

いずれにしろローカルのobsidianに移さなきゃいけないんだけど。
理想はそのままobsidianに登録できることだけど、難しいのかな。
いちいちコピペするというのが億劫だ。。。

まぁコピペするときにレビューする感じでいいかぁ…。

ワクチン雑感

2021-08-01 23:08:00 | 日記
20代の僕にも接種券が届いたのだが、まだ予約していない。

ワクチンを打つべきか打たないべきかみたいな話は置いておいてワクチンそのものについて考えてみると、おそらく思ったよりも効果が無いのだろうというのが感想である。

今イスラエルなど早期にワクチン接種した国がどうなっているのかというと、重症者のうちの6割がワクチン接種済で50歳の新しい感染者の9割がワクチン2回接種済であるとのこと(ソースはエルサレムポストの記事、適当に探してください)
つまりワクチン接種した人間の方が重症化しているわけである(これはワクチンを打ったから重症化してるというわけではない、そういうワクチン打った人はヤバイ!みたいな反ワク陰謀論ではなく、単に打った人間でも時間が経てば重症化リスクは未接種とたいして変わらないということである)

従ってワクチンは半年過ぎると未接種とたいして変わらないようである。重症化も特に防げるでもなく、感染予防にもならないというわけだ。mRNAワクチンの長期リスクは未だ不明である。

そういうわけで3回目の接種を急いでいるようだが、3回目があるということは近い将来4回目も当然行われるであろう。4回目があるということは…

ワクチンは確かに効く。しかし半年である。
このまま行くと日本は1月か2月とんでもないことになる可能性がある。
このことは早めに言うべきなのだが、なかなか日本では聞かない。
このままいくと1月2月にはワクチンの効果が切れ、死者や重症者も元通りとなる。
イギリスは死とコロナの関係が絶たれたと言っているが、それもあと数ヶ月ではないのか。結局また元通りになりかねない。

若者は副反応が重いので、ワクチン打つかどうかは正直微妙なところだろう。10代が打つ必要は全く無いと考えている。
20代は社会正義のために40℃の熱を負ってでもワクチンを接種すべきだというのが大多数の考えなのかもしれないが…。

米CDCはワクチン接種済でもマスク着用を呼びかけている。
これはどういうことを意味しているのか。
暗にワクチンではもうダメだと言ってるようなものである。
従ってコロナから1年以上経って人類はうがい手洗いマスク以上になんらコロナに対する武器を得ることができなかったのではないかと思っている。

無論こんなこと言えるわけがない。僕の感想としては、ワクチンによるコロナの克服はすでに失敗しているのではないか、ということである。
そしてそれを認めた上で新しい対策をなにか立てる必要があるだろう。しかし、そういうことは今のところ言ってはいけないようである。ワクチン接種を急ぎワクチンを打てばなんとかなるのだというその幻想はどこかで誰かが幻想だと言うべきではなかろうか。

しかしワクチンをすでに打ってしまった人たちがそのワクチンへの幻想にしがみついてる気がする。ワクチン万能論に縋り付いているように感じる。
しかし無理もない。すでに打って苦しい副反応を経験したにもかかわらずそれにたいして今更ネガティブなことを言われたって聞くわけないのである。

じゃあ僕はどうするべきなのか。
候補としてはまず秋頃から始まるという従来型のワクチン、ノババックスの国内生産のものを接種してみる。
来年には東大が作っているmRNAワクチン(ファイザーやモデルナより安全とのこと)ができるのでそれを接種する。

今のところ思い副反応を受けてまで接種するメリットが見当たらないというのが本音である。
しかし社会的に打った打たないの話になるのがめんどくさくなりそうだったらファイザーがいい。モデルナは副反応が重いから打ちたくない。

ファイザーはもう無くなってきてるらしいので結局のところワクチンへの僕の期待はまぁあまり無いですかねぇ。