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日々の雑記

親ガチャなる言葉があるらしい

2021-09-09 23:12:00 | 日記
僕は当たりかハズレかなど興味はないし考える意味もないが、一つ言えることは大方の人はもし親が選べるなら自分の親を選ぼうとする人は少ないんじゃないかということである。
もし選べればというのは全く無意味な空想ではある。
子は親を選んで生まれてくるという馬鹿げた話があるが、選べるならみんな大富豪の家の息子にでも生まれで美人なお母さんのおっぱいでも吸いながらのらりくらり暮らしたいに決まってるだろうという話である。

そういうわけで親ガチャに外れたというのはほぼ全員そうだと僕は考える。
僕はこの手のことを親のせいにするなとも親のせいにしてもよいとも思わない。
いずれにしてもそれらを背負って生きていくほかない。どこかで覚悟を決めるしかない。
親がもっとこうだったら、愛情があったら、などなど、それは事実なのかもしれない。
これを親のせいにするなと言ってみても、現実虐待を受けた子どもには全く非がないのだから親のせいとしか言いようがないだろう。
しかし、そこで終わってしまっては惜しい。親のせいでどのような状況になったとしても、未来永劫その状況でいなければならないわけじゃない。

親のせいであるにしろないにしろ、それを背負って生きる覚悟が必要である。
それは本人にとってはいわば慈善事業である。
なんのメリットも無いわけだ。いや、もちろん超ハイスペックで生まれればそれが嫌では無いかもしれないが、そうじゃない人がほとんどで大抵の場合嫌なものなのである。
その嫌なものを受け入れつつまぁ仕方ないでいける人と、こんなの絶対嫌だという人といるわけだ。
まぁ嫌だと言っても死ぬ以外には逃れようが無いわけだが。

ここまで書いてきてなんだが、僕は現実ではもう随分前にこの手の話には乗らないことにしている。
それは冒頭に書いたように無駄だからとか意味がないとかではない。
どっちにしろこの私で生きるしかないからだ。
そしてなんやかんやあった人でも生きているというその圧倒的な事実の集積が、存在の肯定そのものなのだと思う。
親ガチャハズレただなんだ言ったってそうは言いながらも生きてきたじゃないかということだ。
僕はそれそのものが貴いことだと思います。


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