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日々の雑記

親ガチャ論争に釘を刺す

2021-09-13 23:56:00 | 日記
まず親ガチャなどと言う言葉で思考停止しているところに釘をさしておく。
これは親ガチャ批判者にも親ガチャ失敗と嘆く人にも同時にだが。
親ガチャが失敗したということはその親を産んだ親にまで及ぶ。
つまりそんな親を産んだ奴が悪いとなる。従って親も親ガチャ失敗者である。
続いてそんな親を産んだ親を産んだ親が悪いとなる。
つまり親の親の親ガチャも失敗である。
これを無限に続けていけば結局責任の所在はどこになる?ネアンデルタール人か、ホモサピエンスか、それとも地球か宇宙か?
バカバカしいと思わないかね。したがって親だけに責任を被せるのは思慮が浅い。責任がないとは言わないが。
全部親のせいでもなければ全く親が関係ないわけでもない。責任は誰かに負わせるものではなく、責任は生まれた我々が負うものである。負うというよりも課せられるのである。
は?そんなこと了承した覚えなどない。と親ガチャ失敗と嘆く人たちは言うでしょう。
しかしそれが人間つーものである。あなたの親も誰かに人生を課せられたわけである。
それを嫌だというのは前にも書いた通り全く理にかなったことではある。しかし、親並びに親の親の親の…と続く人間の責任を独断と非論理によって免責するのである。

それこそが自由への道である。


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