二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

父の姿

2021-01-05 16:24:07 | 二・二六事件

昭和十一年三月、事件が終息して間もなく、香田夫人は二人の子供を連れて家を引き払い、香田大尉の実家に移った。


二人とも無口な人柄だった。昭和十年の六月に支那から帰った香田大尉は、一軒家を借りて家族で住んでいたが、一年も経たずに引き払った。
休みの日には家族で出掛け、眠ったお子さんを大尉がおんぶして帰宅する姿が度々目撃されていた。派手な生活など一切なく、家族四人質素に暮らしていた。







「主人はこの三月、満州に出征することが決まりまして、ロシア国境近くの北の涯まで参りますから、二年で帰ることにはなっておりますが、或いはこれがご奉公のお納めかもしれません」と近所の人に話している。


富美子夫人が事件を知ったのは二十六日のお昼頃。二十九日の夕刊に大尉の名前が載っているのを見て初めて事件の参加をしる。胸中穏やかではなかった。


大尉と富美子夫人は事件の五年前に結婚。その媒酌をしたのは、同じく決起首謀者の栗原安秀中尉の父であった。


この時五才の長女きよみちゃん、四歳の長男しげる君。今現在御存命でいらっしゃるかどうかは分からないが、そうだとすればきよみちゃんは九十歳、しげる君は八十九才になるだろうか。
改めて八十五年という長い年月を実感する。


そして大尉の処刑後、富美子夫人と二人のお子様は離れて暮らすことになる。