二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

助命嘆願書

2021-12-09 15:19:00 | 二・二六事件

五・一五事件と二・二六事件との違いを大まかにまとめたとき、動員した兵の数や処断、外国組織の関与、助命嘆願書の有無などが上げられると思う。

五・一五では国民から多くの助命嘆願書が集まったが、二・二六では皆無だったとされていた。
有名な歴史家でさえそのように結論付けている。

しかしよく考えれば、いくら天皇が激怒したからといって一通の嘆願書すら届かないというのはむしろ不自然である。

実際は、五・一五は約114万件、二・二六では約132万件の助命嘆願書が集まっているのだが、世に広まっていない。数軒に一軒は嘆願書を送っていると考えて良い。

決起中、「兵隊さん、しっかりやってください」と激励し貴重な食料や酒を恵んでくれる者、原隊復帰する兵達に向かって「決起部隊万歳」と声援をおくる者、間違いなく彼等には国民からの支持があった。そして反対もまた然り。子供に「叛乱軍だ!」と言われ土を投げられたりもした。
水木しげるの母親は、決起将校らを神様といった風に認めていたという。
山王ホテルの従業員だった伊藤葉子さんは、避難を呼び掛けられてもその場を絶対に離れず、決起部隊への炊き出しに専念した。もちろん脅されたのでもないし、頼まれたのでもない。

「青年将校への同情は皆無だった」と結論付ける学者たちは、絶対にこういった事実を知らないはずはない。一次資料を少し漁れば素人でもすぐに目に入るような情報であるから、そういった学者たちには違和感を覚える。

もちろん、世論が味方したからといって正当化できるものでもない。






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