二・二六事件と日本

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派閥の起源 北進論と南進論

2022-01-05 15:56:00 | 二・二六事件


皇道派統制派という派閥は、昭和8年6月に陸軍省と参謀本部の首脳部を集めて行われた陸軍全幕僚会議が起源であると言われている。

会議上、当時参謀本部作戦課長だった小畑敏四郎は、「ソ連の東方侵略に備えて、対ソ作戦に専念すべき」と訴えた。いわゆる北進論である。
対して、当時陸軍省軍事課長だった永田鉄山は、「支那を叩き提携してソ連に備えるべき」という主張である。いわゆる南進論である。

この意見の違いをジャーナリストが部類分けして、小畑に賛同したものを皇道派、永田に賛同したものを統制派と名付けて世に広めたのが始まりである。

この意見の違いというのは、あくまで作戦畑と軍政畑の意見の違いにすぎず、組織的な派閥ではないのだが世間に誤解されている、と荒木貞夫は言う。

一部では、永田側を統制派ではなく現状維持派と呼んだり、満州派を名乗るものが出てきたりと複雑である。

2.26事件を機に皇道思想は潰され、日本は南進論を選択することとなる。


永田鉄山