二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

河野大尉 遺詠集

2020-11-30 22:44:00 | 二・二六事件

(昭和十一年三月五日記)

(一)
時勢ノ混濁ヲ慨(なげ)キ皇国ノ前途ヲ憂ル余リ、死ヲ賭シテ此ノ源ヲ絶チ 上 皇運ヲ扶翼シ奉リ 下国民ノ幸福ヲ来サント思ヒ遂ニ二月二十六日未明蹶起セリ。然ルニ事志ト違ヒ、大命ニ反抗スルノ徒トナル。悲ノ極ナリ。身既ニ逆徒ト化ス。何ヲ以テ国家ヲ覚醒セシメ得ヘキ。故ニ自決シ、以テ罪ヲ闕下(けっか)ニ謝シ奉リ一切ヲ清メ国民ニ告グ
皇国ノ使命ハ皇道ヲ宇内ニ宣布シ皇化ヲ八紘ニ輝シ以テ人類平和ノ基礎ヲ確立スルニ在リ。日清、日露ノ戦、近クハ満州事変ニヨリ大陸ニ皇道延ヒ、極東平和ノ基礎漸(ようや)ク成ラントスル今日、皇道ヲ翼賛シ奉ル国民ノ責務ハ重且大ナリ
然ルニ現下ノ世相ヲ見ルニ、国民ハ泰平ニ慣レテ社禝(しゃしょく)を顧ス、元老重臣財閥官僚軍閥ハ天寵(てんちょう)ヲ恃(たの)ンテ専ラ私曲ヲ営ム。今ニシテ時弊ヲ改メスンハ皇国ノ将来ハ実ニ暗然タルモノアリ、国家ノ衰亡カ内敵ニ係ルハ史実ノ明記スル所ナリ
更ニ現時ノ大勢ハ外患甚タ多クシテ速カニ陸海軍ノ軍備ヲ充実シ外敵ニ備ユルニ非スンハ、光輝アル歴史為ニ汚辱ヲ受ケン事明ナリ軍縮脱退後ノ海軍ノ現状ハ衆知ノ事ニテ、陸軍ハ兵器資材ノ整備殊ニ航空ノ充実ヲ図リ、至急空軍ヲ独立セシメ、列強空軍ト対決セシムルヲ要ス。右軍備充実ノ為ニハ、国民ノ負担ハ実ニ大ナルモノアランモ、非常時局ニ直面シ皇道精神ヲ更正シ以テ喜ンテ之ノ責務ニ堪ヘ、又政ヲ翼賛シムル者ハ国家経済機構ノ改革ヲ断行シ、貧ヲ授ケ富ヨリ献セシメ以テ国内一致団結シ皇事ニ精進サレン事ヲ祈ル
今自決スルモ七生報国尽忠ノ誠ヲ致サン


(二) 陸軍大臣閣下へ

一、蹶起及自決ノ理由別紙遺書ノ如シ
二、遺書中空軍ノ件ニ関シテハ特ニ迅速ニ処置セラレスハ国防上甚タシキ欠陥ヲ来ラサン事ヲ恐ル
三、小官引率セシ部下七名ハ小官ノ命ニ服従セシノミニテ何等罪ナキ者ナリ
御考配ヲ願フ
四、別紙遺書(同志ニ告ク)ヲ東京衛戍刑務所
ノ同志ニ示サレ更ニ同志ノ再考ヲ促サレ度シ
尚ホ在監不自由ノ事故特ニ武士的待遇ヲ以テ自決ノ為ノ余裕ト資材ヲ付与セラレ度ク伏シテ嘆願ス


(三) 同志將校一同へ

全力ヲ傾注セスモ目的ヲ達シ得サリシ事ヲ詫フ。尊皇憂国心ナラスモ大命ニ抗セシ逆徒ト化ス。何ンソ生キテ公判廷ニ於テ世論ヲ喚起シ得ルヘキ。若シ世論喚起
サレナハ却ツテ逆徒ニ加担スルノ輩トナリ不敬ヲ来サン。
既ニ逆徒トナリシ以上自決ヲ以テ罪ヲ闕下ニ謝シ奉リ遺書ニ依リテ
世論ヲ喚起スルヲ最良ナル尽忠報国ノ道トセン
壽 自決ス 諸賢再考セラレヨ





湯河原の牧野伸顕を襲撃した河野壽大尉。牧野伯爵は御存知、麻生太郎副総理の曾祖父である。牧野伯爵の孫である麻生太郎の母親もこの時居合わせた為襲撃されている。





永遠の国士 遺詠集2

2020-11-26 09:42:00 | 二・二六事件




両親へ
五月雨の明けゆく空の星のこと
笑を含みて我はゆくなり

中橋基明(元陸軍中尉 28才)




胸中既に一片の雲なし、悠々たる大丈夫の決意天空関大にして光明を知る

栗原安秀(元陸軍中尉 27才)




妻へ
強く生き優しく咲けよ女郎花

丹生誠忠(元陸軍中尉 27才)




吹く風に散り果てにけり山桜

坂井直(元陸軍中尉 25才)




胎児へ
母おもふ心はやがて父の為
勉め励めよ母のためにと

田中勝(元陸軍中尉 25才)




はやり男の走せゆく道は一すぢに
大和心と知る人ぞ知る

中島莞爾(元陸軍少尉 23才)




長へに吾れ闘はむ国民の
安き暮しを胸に祈りて

安田優(元陸軍少尉 24才)




窓をうつ夜明の風に夢やぶれ
囚屋の我にまたかへりけり

対馬勝雄(元陸軍中尉 27才)




大君の御代をかしこみ千代八千代
万歳、万歳、万々歳

高橋太郎(元陸軍少尉 23才)




母へ
御心をやすむる時もなかりしが
君に捧げし此身なりせば

林八郎(元陸軍少尉 21才)




永遠の国士 遺詠集

2020-11-25 21:49:00 | 二・二六事件




丹心挺身振宝匁 妖邪移影無常観
唯応聖恩期一事 二八閑居無悠心

相沢三郎(元陸軍中佐 46才)




妻へ
ますらおの猛き心も乱るなり
いとしき妻の末を思へば

香田清貞(元陸軍大尉 32才)




尊皇の義軍やぶれて寂し春の雨

安藤輝三(元陸軍大尉 31歳)




三十年間如朝露 一超直入如来地

竹島継夫(元陸軍中尉 29才)




ただ祈りいのりつゞけて討たればやすめらみ国のいや栄えよと

村中孝次(元陸軍大尉 33才)




国民よ国をおもひて狂となり
痴となるほどに国を愛せよ

磯部浅一(元一等主計 32才)




百千たびこの土に生れ皇国に仇なす醜も伏し済はなん

渋川善助(元陸軍中尉 30才)




尊皇絶対

水上源一(民間人 27才)




遺児大輝氏への遺言ー略

北輝次郎(民間人 54才)




世を概き人を愁ふる二十年
いま落魄の窓の秋風

西田税(元陸軍少尉 35才)




末期の酒

2020-11-19 18:34:00 | 二・二六事件

【いよいよ決起の日がくるわけですが、常盤さんは何か失敗をやらかしたそうで・・・。】


常盤:いや、失敗というのかどうか。(笑)いよいよやるというので、末期の酒をのみにいっていたのですよ。酒好きなものですからね。(笑)それで、つい過ごしてね。帰ったらもう整列していました。あと十数分ものんでいたら、高田馬場に間に合わなかった堀部安兵衛か、赤穂浪士の小山田庄左衛門になるところでした。「こんな大事なときに遅れるとは何事か」と野中さんから怒られましたが、「末期の酒ですから」といったら、「ああ、そうか」ということで許してもらいました。



文藝春秋 座談会より一部抜粋



常盤少尉らしい可笑しなエピソード。
常盤少尉はその親しみやすさから、兵達からの信頼も厚かった。



背面から見た歩三兵舎




お前は必ず死んで帰れ

2020-11-16 10:00:00 | 二・二六事件

ちょうどこのころ(昭和初期)は、出征兵士の故郷である青森県農村は、冷害による凶作にさいなまれていた。最近の冷害に強い稲の品種が現れるまでは、親潮寒流の流れぐあいで、宿命的に何年かに一度には冷害による凶作から、青森県農民はまぬかれることはできなかった。
ただでさえ貧困な農家出の出身の兵士が多かった。そこに凶作と出征がかちあった。出征兵士の後顧の憂いは深かった。
がこれに、はからずも氾濫する慰問袋が役立った。
戦地での身の廻り品は、無駄遣いさえしなければ官給品で一応間に合った。それで慰問袋から出てくる日用雑貨品は
や保存の利く少量品は、各自にひとまとめにさしておいて、度々軍事郵便で送らせることにした。
出征兵士の慰問品は、迂路を通り
、も一度海を渡って凶作地への慰問袋にすり変わっていた。
わずかな手当の金も節約して貯金し、故郷に送金する兵も多かった。若い将校のなかには、月給を割いて部下に与えるものもいた。
が、しかし、こういったことも所詮焼け石に水だった。困窮のすえは常識では考えられない、ひどい手紙を出征兵士に送る親もいた。
「末松君、この手紙の意味をどうとればよいかね」と隣の中隊長が私に見せた手紙など、その一例だった。
それには、「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない。」といった意味のことから書き出してあった。
もちろんこれだけの文面なら、何も別に不思議がることはなかった。国のために十分働いて、死んで護国の神となれ、とは出征兵士を励ます聞き慣れた文句である。しかし、これはそれとはちがっていた。隣の中隊長が思案に余って私に訴えるはずのものだった。
つづけて「おれはお前の死んだあとの国から下がる金が欲しいのだ」といった意味の事が書いてあった。
この手紙の受取り主は真面目な兵だったが、泣いてこの手紙を中隊長に差し出したのであった。
「この親は継父じゃないですか」と私は聞かざるを得なかった。「いや、実父に間違いない」と中隊長は愁い深く答えた。
が、しかしこの親の希望は、それから間もなくかなえられた。次の討伐でこの兵は戦死したからである。しかもそのときのただ一人の戦死者だった。
手紙のことを知らないはたの戦友は「昔から言われている通り虫が知らせたんだな」と言っていた。ほかの兵にくらべて、一きわ目立って身の廻りが綺麗に片付けられてあったから。


末松太平著 私の昭和史より一部抜粋




この兵は故郷の家族を助けるため自ら死を選んだ。実の親に死んで帰れと言われるとは、絶望的である。



満州事変でチチハルに入城する日本軍