二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

焼かれる兄の唸り声

2021-01-15 17:24:00 | 二・二六事件


当時の日本では、死刑の場合、絞首刑なら一定時間経過しても息のある者は手当てをして釈放、銃殺刑なら一発目で絶命しない場合はこれ以上は撃たずに手当てをして釈放するのが軍の習慣だと伝えられていた。

だが二・二六事件で処刑されたものたちは、一発で絶命しない者には二発、三発と死ぬまで撃ち込まれた。三発目まで撃たれたのは、安藤輝三、栗原安秀、中橋基明の三名とも言われており、栗原に関しては三発とも急所を外れ、出血多量で絶命した。


ご遺族は「こんな殺し方はない。これこそ暗黒裁判であり、暗黒処刑の証拠だ。死者は闇に葬られた」と涙した。


処刑後、遺体は棺桶に収容後トラックで搬出され、処刑場の近くの渋谷幡ヶ谷火葬場で焼かれたのちご遺族に引き渡された。
その時刑場からトラックで火葬場まで同行した対馬勝雄中尉の実妹、石橋きみさんは
「あっ、兄さんのうめき声がする、兄さんは生きている!」
と狂気のように叫んだ。
対馬中尉は、一発目で死んでいたはずだが、急所を外れた為か内出血が多く、恐らく仮死状態にあったものと思われる。銃殺後約十時間で火葬されたが、火葬中
「うー、うー、うー」という苦しみを帯びた唸り声がしていたという。







当時の火葬場の規則として、死体は死後四十八時間経過しなければ焼却出来ないことになっていた。ただ、例外として“変死等”の場合は四十八時間経過しなくても焼却可能となっている。
青年将校等は死後すぐに焼かれた事実がある。
これを踏まえてご遺族は、北昤吉代議士や前田幸作代議士に相談、前田氏は議会に立ち、「息があるうちに焼却したのではないか」との趣旨の質問をした。それに対し陸軍省は「変死等は四十八時間経過しなくても違法ではない。銃殺は“変死等”の“等”に該当する」との見解を示し、前田氏の質問はウヤムヤのうちに葬られた。


実際に生きたまま焼却させられたのかは分からないが、もしそうだとしたら二度も地獄の苦しみを味わった事になる。