花の後
おはようがんす
今年も雨が多く総体的に良い歳とは言えない年である,これも直接間接に自分を含む人間が自然を蝕んだ結果であろうと思う
、、、、ながら、、、それでも毎年じきじきには時期の花が咲き実がなる、地球が再三再四再五にわたる人間の侵蝕に我慢して息遣いを
している証で有ろう
花は実を成らせ子孫を永久につなげて行くために咲く、人間は其の花の咲いたことだけを愉しむために花を咲かせる
此処の処のギャップが人間以外の生物との確執なのだ、そしてこの溝が埋まる事は無い
人間はすべての動植物を喰い、使い捨ててその恩恵で生きていられた事を忘れて段段自分で自分の首を真綿で締めている事にに気づかず
やがて死を迎える直前に成って気づく、それでは手遅れなのだが、そこが理解できない
人は更に漫画の世界のように飛躍して新天地を求めるのか、絶滅してゆくのか、、、、、、、、、、、、、そんな心配はいらないのだ、
もう直ぐ存在すら不明の老人の考える事ではない
其れでも自然は実を成らせる、そしてその実から何時か花を咲かせるであろう事を愉しみしている能天気な人間がいる、私だ!!
その一端がこれだ
紅山芍薬の実が熟して土に還ろうとしている、東吾妻町のA氏に戴いたものが二本咲いた、必然的に実がなる、律義なものだ
黒紫の物が実で。赤いのはその実を保護し育んできた苞だ
上手くゆけばこの実が発芽し4、5年後に花が咲く。この歳でそれが見られると信じているのが可笑しい
これは山百合の青実、まだ熟さない、霜が降りて寒気がしみわたらないと駄目なのだ、百樹園のあちこちで咲いた山百合の花後だ
花が咲いたから全て実に成るわけではない。実をならせられないものも、自然界には忖度が無い、ただ生き延びるための必要に迫られて
基準通りに粛々進めてゆく
そして此の苞の溝が切れてヘリコプターのような羽根を持って風を待つのだ
土中発芽、一葉,三葉、五葉と葉が増えて五年後に花を一つ持つ、勿論この実の花を見られるとは思って居ない
行ってきた人がいないので聴き様に成らないが、私は天界では自由に飛翔して地球上どこでも見られるものだと信じている
共通語があってどんな種族でも話が通じるのではないか。だから無理して外語を覚えなくても良いのだ
何と都合の良い嬉しい世界があるものだ、、、と思って居る
能天気の阿保爺、馬鹿も休み休みにしろと言われるかもしれない
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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