歯科医物語

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「明石元二郎」

2022-06-24 23:49:46 | ☆エッセイ・コラム
明治37年(1904年)、明石はジュネーヴにあったレーニン自宅で会談し、レーニンが率いる社会主義運動に日本政府が資金援助することを申し出た。レーニンは、当初これは祖国を裏切る行為であると言って拒否したが、明石は「タタール人の君がタタールを支配しているロシア人の大首長であるロマノフを倒すのに日本の力を借りたからといって何が裏切りなのだ」といって説き伏せ、レーニンをロシアに送り込むことに成功した。その他にも内務大臣プレーヴェの暗殺、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの叛乱等に関与した。これらの明石の工作が、後のロシア革命の成功へと繋がっていく。後にレーニンは次のように語っている。「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と。


 


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