レンタルポジ屋さんというのがある。
広告業界や出版関係者はご存じだろうが、普通の人はあんまり知らない業種だと思う。デザイン関係はソフト、ハードの入れ代わりが早いので、今はどんな形式になっているのか知らないけど、僕が下っ端デザイナーだったちょっと前では、ぼくのいた会社ではよく利用していた。
早い話がきれいなイメージ写真や外国風景など、欲しい写真を大量のストックの中からレンタルして、お店側は利用印刷媒体によってレンタル料をいただく。というシステムの業種だ。
お店に行くと、それは、もう、ほんとうに膨大なポジがある。
ポジというのはリバーサルフィルム、つまりスライド写真の事で、大きいものは8×10から35ミリ版まで様々揃っている。
当時の僕はアートディレクターに指示された画像を探しにブラブラ「カメ東」とか「アマナ」に出かける。これこれこういった角度で続いている草原の道路。とかフランスのお城みたいな崩れかけた壁。とか、なんかそういう結構細々した指定のポジを探さないといけないのだ。ふう。
探すのは本当に骨だ。自分が求めている写真ならまだしも、他人が抱いているイメージをこの莫大なポジの中から探すとなると、時間が無い時なんか本当に泣くかと思ったぐらいだ。
だけど、密かな楽しみもある。昔は広告業界にはお金も哲学もあった。僕の時はせいぜい4×5だったけど、ちょっと前まではフィルム代をケチらずに、車のメインカットなどは8×10で撮っていたりした。そんな流れもあってか、レンタルポジ屋さんには、ちょっと前に用意されて、借り手が付かない8×10のポジが棚の下の方にドッサリ眠っていたりする。ヨセミテ公園とかグレートバリアリーフとか、ヨーロッパアルプスとか古いドイツの町並みとか、なんかそんなこんなが沢山あったのだ。僕はポジを探す仕事の合間にコーヒーを飲みながら、こいつらを引っ張り出してきて、でかいライトテーブルの上で10倍のルーペでじっくり覗き込むのを楽しんでいた。
8×10のポジを覗いた事があるだろうか。あれはもう、それこそ小宇宙だ。小さいルーペで細部に渡って観察する。広告写真などで使われる事を前提に撮影しているので、草木の1本1本までシャープに解像している。場合によっては端っこに写っている人に手が届きそうで、知るはずも無いその人の人生やその日の出来事を想像したりする。
さみしい楽しみだったけど、そんな事をやっていたんですね。でも、美しいポジを覗きながら、「こんな行った事もないような綺麗な場所の写真を使って広告を作って何がクリエイティブだ」とも思っていたのも事実だ。それは手の届かない、空しい反抗心だったのかもしれないけど。
ぼくにとって8×10といえばジョエル・マイヤウィッツだ。ディアドルフを担いで海辺に三脚をセットしている禿げ頭にとてつもない哲学を感じる。そしてそこには実感があるのだ。「彼は海を見ていたのだ」という確実な実感だ。ぼくはあの頃その実感という物を強く求めていたのかもしれない。
広告業界や出版関係者はご存じだろうが、普通の人はあんまり知らない業種だと思う。デザイン関係はソフト、ハードの入れ代わりが早いので、今はどんな形式になっているのか知らないけど、僕が下っ端デザイナーだったちょっと前では、ぼくのいた会社ではよく利用していた。
早い話がきれいなイメージ写真や外国風景など、欲しい写真を大量のストックの中からレンタルして、お店側は利用印刷媒体によってレンタル料をいただく。というシステムの業種だ。
お店に行くと、それは、もう、ほんとうに膨大なポジがある。
ポジというのはリバーサルフィルム、つまりスライド写真の事で、大きいものは8×10から35ミリ版まで様々揃っている。
当時の僕はアートディレクターに指示された画像を探しにブラブラ「カメ東」とか「アマナ」に出かける。これこれこういった角度で続いている草原の道路。とかフランスのお城みたいな崩れかけた壁。とか、なんかそういう結構細々した指定のポジを探さないといけないのだ。ふう。
探すのは本当に骨だ。自分が求めている写真ならまだしも、他人が抱いているイメージをこの莫大なポジの中から探すとなると、時間が無い時なんか本当に泣くかと思ったぐらいだ。
だけど、密かな楽しみもある。昔は広告業界にはお金も哲学もあった。僕の時はせいぜい4×5だったけど、ちょっと前まではフィルム代をケチらずに、車のメインカットなどは8×10で撮っていたりした。そんな流れもあってか、レンタルポジ屋さんには、ちょっと前に用意されて、借り手が付かない8×10のポジが棚の下の方にドッサリ眠っていたりする。ヨセミテ公園とかグレートバリアリーフとか、ヨーロッパアルプスとか古いドイツの町並みとか、なんかそんなこんなが沢山あったのだ。僕はポジを探す仕事の合間にコーヒーを飲みながら、こいつらを引っ張り出してきて、でかいライトテーブルの上で10倍のルーペでじっくり覗き込むのを楽しんでいた。
8×10のポジを覗いた事があるだろうか。あれはもう、それこそ小宇宙だ。小さいルーペで細部に渡って観察する。広告写真などで使われる事を前提に撮影しているので、草木の1本1本までシャープに解像している。場合によっては端っこに写っている人に手が届きそうで、知るはずも無いその人の人生やその日の出来事を想像したりする。
さみしい楽しみだったけど、そんな事をやっていたんですね。でも、美しいポジを覗きながら、「こんな行った事もないような綺麗な場所の写真を使って広告を作って何がクリエイティブだ」とも思っていたのも事実だ。それは手の届かない、空しい反抗心だったのかもしれないけど。
ぼくにとって8×10といえばジョエル・マイヤウィッツだ。ディアドルフを担いで海辺に三脚をセットしている禿げ頭にとてつもない哲学を感じる。そしてそこには実感があるのだ。「彼は海を見ていたのだ」という確実な実感だ。ぼくはあの頃その実感という物を強く求めていたのかもしれない。