日日日記

イラストレーター橋本豊の日常

8×10のポジ

2005年11月30日 | Weblog
レンタルポジ屋さんというのがある。
広告業界や出版関係者はご存じだろうが、普通の人はあんまり知らない業種だと思う。デザイン関係はソフト、ハードの入れ代わりが早いので、今はどんな形式になっているのか知らないけど、僕が下っ端デザイナーだったちょっと前では、ぼくのいた会社ではよく利用していた。
早い話がきれいなイメージ写真や外国風景など、欲しい写真を大量のストックの中からレンタルして、お店側は利用印刷媒体によってレンタル料をいただく。というシステムの業種だ。
お店に行くと、それは、もう、ほんとうに膨大なポジがある。
ポジというのはリバーサルフィルム、つまりスライド写真の事で、大きいものは8×10から35ミリ版まで様々揃っている。
当時の僕はアートディレクターに指示された画像を探しにブラブラ「カメ東」とか「アマナ」に出かける。これこれこういった角度で続いている草原の道路。とかフランスのお城みたいな崩れかけた壁。とか、なんかそういう結構細々した指定のポジを探さないといけないのだ。ふう。
探すのは本当に骨だ。自分が求めている写真ならまだしも、他人が抱いているイメージをこの莫大なポジの中から探すとなると、時間が無い時なんか本当に泣くかと思ったぐらいだ。
だけど、密かな楽しみもある。昔は広告業界にはお金も哲学もあった。僕の時はせいぜい4×5だったけど、ちょっと前まではフィルム代をケチらずに、車のメインカットなどは8×10で撮っていたりした。そんな流れもあってか、レンタルポジ屋さんには、ちょっと前に用意されて、借り手が付かない8×10のポジが棚の下の方にドッサリ眠っていたりする。ヨセミテ公園とかグレートバリアリーフとか、ヨーロッパアルプスとか古いドイツの町並みとか、なんかそんなこんなが沢山あったのだ。僕はポジを探す仕事の合間にコーヒーを飲みながら、こいつらを引っ張り出してきて、でかいライトテーブルの上で10倍のルーペでじっくり覗き込むのを楽しんでいた。
8×10のポジを覗いた事があるだろうか。あれはもう、それこそ小宇宙だ。小さいルーペで細部に渡って観察する。広告写真などで使われる事を前提に撮影しているので、草木の1本1本までシャープに解像している。場合によっては端っこに写っている人に手が届きそうで、知るはずも無いその人の人生やその日の出来事を想像したりする。
さみしい楽しみだったけど、そんな事をやっていたんですね。でも、美しいポジを覗きながら、「こんな行った事もないような綺麗な場所の写真を使って広告を作って何がクリエイティブだ」とも思っていたのも事実だ。それは手の届かない、空しい反抗心だったのかもしれないけど。
ぼくにとって8×10といえばジョエル・マイヤウィッツだ。ディアドルフを担いで海辺に三脚をセットしている禿げ頭にとてつもない哲学を感じる。そしてそこには実感があるのだ。「彼は海を見ていたのだ」という確実な実感だ。ぼくはあの頃その実感という物を強く求めていたのかもしれない。





今夜は~、

2005年11月28日 | Weblog
ああ、今夜は~、ハウスバーモントカレー(中辛)だったよ~。
バーモントカレーで胃もたれし始めたら、もう貴方も立派なおじさんです。

しかしよ、バーモントとかジャワとか「ああ、あのカレーの」なんて日本人に言われてかわいそうだ。ジャワなんてあとジャワ原人ぐらいしか名産ねえもんな。気の毒だ。

ライカ分解その後。

2005年11月27日 | Weblog

まったく馬鹿げた事にここの所、脇目も振らずライカの修理に没頭してしまった。一度なんとなく使える状態にしたものを不調の原因を求めて求道的に2、3度バラシ返したりてる。戦前のカメラだから構造は単純なんだけど、どうも以前修理した人が(たぶんプロだと思うけど)いくつかバカチンな事をやって組み込んでいて、低速シャッターが切れなかったり、高速シャッター制御部のカムの連繋がうまく行かなかったりして、その不調の原因を探るので2~3日かかってしまった。やっとの事で修理して組み上げて、もうヘトヘトですワ。
だ・け・ど・ね・その甲斐あって、布団にもぐって意味もなく空シャッターをもう1000回ぐらい切っている。バカだね、オレ。

エルンスト・ライツ社というのは律儀な会社だったようで、カメラのシリアルナンバーが非常にドイツ的な勤勉さで管理されている。調べた所、僕のやつは1936年製造だった。来年で70才だ。このカメラでどこかの誰かさんが、いったいどれほどのシーンを切り取ってきたのかと思うと、遥か遠い気持ちになる。分解して、フィルム圧板(フィルム押さえ)を丁寧に取り出す。恐らく何万枚かのカットをフィルムの裏で見てきたフィルム圧板だ。フィルムに擦れて真鍮の地が出ているが、この分厚い圧板を特殊な現像液に浸して、今まで撮った全ての写真の像を取りだせないものだろうか。などと考えてしまった。
思えば1925年に発売されたライカによって、今売られている35ミリフィルムという規格が世界中に定着したのだ。それから80年程たった今、フィルムはデジタルへとその実質的なシェアを譲ろうとしている。僕のなんとなくの予想だと、あと5年ぐらいで町中にあるラボでのフィルムプリントはできなくなって来ると思う。あとはホリウチカラーとかに出さないといけない完全な趣味の世界に突入だ。
でも、こういうオスカー・バルナックという天才が考え出したカメラを分解して整備してみると、バネや歯車、連係したシンプルなカラクリというものが、いかに巧妙に考えられているのかがよく分かる。これはまさしく「知恵」というものなんだなあ。と思うのだ。そしてこういうプリミティブな道具には人間の感性の入り込む隙間というものがちゃんと保管されていて、心にストッと来る。ちゃんと機能美としての質感や意匠がある。
そしてそれは道具として、とてもとても大切な事なんだと愚考しつつ、布団にもぐりながら寝カメラをする30男なのであった。

寝カメラ2号「ライカIIIa」

2005年11月22日 | Weblog
ついに、というか、とうとう、というか、必然にというか、ライカのボディーを手に入れてしまった。とある経緯でジャンク状態のもの(またかよ)ですが、2日かけて丁寧に解剖して後幕ギアに噛み付いていた古い古いフィルムの切れっ端を取り除いて、なんとかシャッターが切れるまでは至った。でもたまに幕面のスリットが開かずにシャッターが落ちる。こりゃ、難題だワイ。
普通はライカなんて素人が分解しません。3万4万かけて専門家に依頼するのだ。でも、まあ、この際だからやっちゃいましょう。
ちなみに、70年前のライカIIIaの感触は、ソリッドモデルの鉄道模型みたいな感触だ。
当時はライカで家が一軒建ったというから、超高級品だったのです。でも、今はカメラ修理マニアのイラストレーター橋本に分解されている。世の中何がどうなるか分かりませんぜ。

秘密の予言

2005年11月19日 | Weblog
うちの赤ん坊は男の子だ。まだ妊娠8ヶ月だけど、エコーの画像にばっちり写ってしまっている。中には産まれるまで秘密にしてください、とお医者さんに要請するご夫婦もいらっしゃるみたいですが、男の子だったら嫌が応でも分っちゃう。うちの親戚のおばさんも「今はすぐ分っちゃってイヤーねー」なんて言っていたので、産まれる時の楽しみとして保管しておく気持ちも分かる。でも、僕としては男か女かが分っていた方が赤ちゃんの事をイメージしやすいという点はプラスだと思うんだけど、どうだろ。
昨夜遅く妻と腹の中の赤ん坊の事を話していた。妻は性別が分かる前から「男の子だよ、女の子っていう気がしなかったもん」と断言していた。そういう勘って意外と当たるみたいで、先生に言われる前、5ヶ月目ぐらいの映像でなんとなく分ってしまった。僕は「さすが女の勘は鋭いのお、それにもうこの時期の画像に写るとは、オレ様に似てご立派な物をお持ちですワイ」などと感心していたんですが、昨夜、妻から「実はね・・・」と、ちょっとした告白をされて、驚いてしまった事がある。

以前、妻は職場の人と祇園にある結構有名な占い師の所に行った。そこで「あなた、旦那さんの他にも男の人がいるでしょう?」と言われたらしいのだ。妻は驚いて「絶対いない」と否定をしたらしいんだけど、占い師はかなりしつこく「おかしいなあ、男の人がいるんだけどなあ、あなたの事を大好きな男の人がすごく近くにいますよ」と言ってきたらしい。
そして、その占いから一週間後ぐらいに妊娠が発覚した。
妻はあの時言われた事を思い出して、「占い師が言った男の人ってお腹の中の子の事かもしれない。すごく近くにいるわけだし、きっとこの子は男の子だろう」と確信を深めたらしい。
「えー、そんな事初耳だよ、実は本当に男がいるんじゃないの?」と僕が言うと、「そう言われると思ってだまっていたの」との事。・・・ヤボだったか。

占いに行った時にはたぶん僕の遺伝子によって性別が確定していただろうし、ずばり「妊娠していますね」なんて言われるより、かなり意味深長な占いだ。そして、「あなたの事を大好きな男の人が近くにいる」という占い結果は妻になにがしかのイマジネーションを与えたらしく、つわりで辛い時も、「この子は私の事が大好きなのよね」と思ってがんばったと聞いた。
僕は「へー」とか「ほー」とか感心していたんだけど、こういう事を身近で聞くと、あながち予言というのもアリかな。なんて思ってしまった。

佛パワー

2005年11月18日 | Weblog

昨日は結婚記念日だったので妻と東山にあるレストランに出かけてランチを食べて、そのあと京都国立博物館で開催している「天台の国宝展」に行ってきた。とにかくまあ、教典やら仏やらで大変な事になっていたんだけど、中でも僕が一番心引かれたのは、天台声明(てんだいしょうみょう)という仏を讃えるための歌のような読経だ。出る時にCDまで買ってしまった。
数人の坊さんがブイーン、ブイーンと鯨の鳴き声のような声で声を長引かせて歌う。時々ドラとかシンバルみたいな法具がシャシャシャ・ゴイ!と鳴ったりするんだけど、これはかなりのもんだ。元々インド仏教の祭事の音楽が元になって中国、日本に伝えられたらしいんだけど、それが今でもこうやって残っているのだけでもすごいと思うし、何より、日本の能や吟詠なんかの歌唱法によく似ているという点が興味深い。僕なんか、「石焼き~いも~」のかけ声にも似ている!などと思ってしまったぐらい日本の伝統的な「音」の大元になったようなのだ。
さっそく昨日は声明をかけながら床につくとあっという間に眠りに落ちていた。天台声明、すげえよ。

ツリーハウス

2005年11月16日 | Weblog
図書館で面白い本を見つけた。
ツリーハウスの本だ。つまり、木の上の家。
ちょっとページをめくっただけでも色々なタイプのツリーハウスがあってワクワクする。ロビンソン・クルーソーとか、トム・ソーヤとか、南の島のフローネみたい。
大体がセカンドハウス的な遊び感覚で作っているので、すごく夢心地な建築物件になっている。
いいだろうなあ。嵐の前に森の中に建つ自分のツリーハウスにもぐり込む。夜中にギーギーと音を立てて木と家がグラグラゆれたりしてちょっとした難民気分だ。
いや、難民は悪い例えかもしれないけど、日本の茶室だって似たようなもんだ。京都に住んでいると、あちこちに有名な庵があったりして、興味本位で中に入ってみる。もうほとんど3畳間ぐらいで、外から見ると茅葺き屋根ばかりが大きくて、土と紙でできていて、縄文時代の竪穴式住居みたいだ。でも、中ではその狭い空間になぜか落ち着く。ふー、とする。千利休は茶の湯の世界を侘寂とし、その本質をたしか、飢えぬ程度に、漏れぬ(屋根から雨がね)程度に、とかそんな事を言っていた気がするが、極端な事を言えば、それだってやっぱ「金持ちの貧乏ゴッコ」なんだと思う。ツリーハウスだって同じだ。僕がこれ程心ときめくのは、やはりツリーハウスにも子供の頃に夢見ていた、自分だけの、小さな身の丈に合った安っぽい安心感があるからなんだろう。小さくて、木の上にあって、松の葉の匂いがして、隣に恋人でもいたら最高だろうなぁ。


トンボの味

2005年11月13日 | Weblog
妻がHBの鉛筆を貸せと言う。
なんでも、アロマテラピーの検定試験がマークシートなんだそうだ。
それで、僕の使っている鉛筆を机の中から引っぱりだしてみたんだけど、これがみごとにみんなチビていて、シッポの部分がガジガジ噛まれている。職業柄鉛筆は良く使うんだけど、根がエコロジスト?なので、鉛筆用の柄を付けて最後の最後まで使う。短くなり過ぎて自動鉛筆削機に入らないやつはナイフで削る。
まあ、でもあんまみっともないのもナンだし、ピンピンに新品の鉛筆も使いにくいし、というわけで適度にヤレて適当な長さになっている物を何本か貸し与えた。

試験からかえってきた妻と、「鉛筆ってやっぱいいね」という話から文房具全般の話になった。中学時代なんて、自意識過剰のシャーペン全盛だ。振ると芯が出るやつとか、グリップがやたらと太いやつとか、とにかくすごい数を持っていた。芯は芯で、だいたいシャーペン初心者は硬いHとか、ちょっと気取ってFとかを使い出す。中には2Hとか3Hで大学ノートに豆のような文字で記入する女子もいたな。僕は手が疲れるので柔らかいBあたりを使っていたけど。でも、今ではシャーペンなんかほとんど持っていない。予備校でデッサンを始めてから鉛筆の良さに再び目覚め、それ以降はちょっとしたスケッチとかラフ、万年筆を使う以外の書き物は2Bあたりの鉛筆だ。なにより柔らかいし、太さも自由だ。僕は拾ってきた自動鉛筆削機を机に置いて、アイディアラフなんかをひねり出す時はちょっと考えては用もないのにガガガガと安い鉛筆をグラインドしたりしている。鉛筆の匂いってなかなかいいのだ。それに、鉛筆には「たっぷり感」がある。トンボあたりの安いのを1ダース買ってきて、1本抜き出してガガガと削っていると、「まだまだあるぞ」といった安心感があってちょっとした幸せ気分だ。たぶん、タバコの時と一緒だな。
予備校時代はネコも杓子もステッドラーだったけど、今ではトンボでいいや。軸の木も軟らかめだし、ガジガジ噛んだ時の感触もいい。シッポのてっぺんから覗いている芯をチョロリと舐める時も芯の味がしみ出て美味しい。ステッドラーとかユニはシッポがドーム状になっているので味がしないじゃないですか(?)

あなたの知らない確率

2005年11月11日 | Weblog
産婦人科に行ってきた妻によると、今まで逆子だったうちのベビーは八ヶ月目に入って正常位?にひっくり返っていたらしい。よかったよかった。でも、調べてみると逆子で産まれてくる子って全体の5%ぐらいなんだそうだ。もっと多いのかと思ってたな。だいたい8ヶ月目までは半数程が逆子なのだそうだ。それが8ヶ月を境にたったグーンとパーセンテージが減る。やー、すげえ。

で、この妊娠関係のパーセンテージって結構知らなくて侮れないものが多い。例えばですね、早期流産の確率。これがね、大体10%ぐらい。でも、本人が気が付かない例もあるらしく、例えば重い生理かと思っていたのが、実は妊娠、流産だった。なんて事もあるらしく、それを含めると全体の20%ぐらいなんじゃないかと言われている。あと、不妊症の確率。これは7組に1組ぐらい。結構今は多いんですね。あと、丸高と言われる35才を過ぎた女性の出産。これは、ダウン症や先天異常の確率がググーンと高くなる。まあ、40でも50でも産む人はいるけど、母子共に危険率が高まるのは確かみたいです。その境が35。35かあ。
あとね、忘れてはいけないのが風疹ですね。妊娠初期に風疹にかかると胎児には高い確率で異常がみられるそうです。うちの嫁さんは風疹の価が高いと言われて、すごくあせったなあ。でも、3度程検査して大丈夫だったみたい。数値の判断は医師によってだいぶばらつきがあるらしく、風疹に明らかにかかっている人以外は基本的には大丈夫みたいです。ただし、風疹は一度かかったことがあっても再び感染するらしく、自覚症状がなくてもかかっている場合もあるので、お医者さんによっては「風疹の検査をしてから妊娠をしましょう」と無茶を言う方もいる。無理です、先生。アメリカでは妊娠初期の風疹感染による胎児への影響という事自体がナンセンスなんだそうです。それは予防接種がきちんとしているからで、日本はこの点で遅れていると嘆いている先生もいるようです。
と、まあ、妊娠を決意する時はラヴ・エモーションよりも風疹検査優先。というお話でした?


赤ん坊の服は超複雑系

2005年11月08日 | Weblog
前に、従姉妹とお隣さんに赤ん坊の服をこれでもか、というほどいただいた。という事を書いた。で、今日はその赤ん坊臭漂う段ボールを恐る恐る開いて、妻と一緒に「これは、短下着、これは、長下着、こっちはコンビ下着で、あれ?これは何?ベスト?で、これは何なんですか、ヨシエさん、柄付きだけど下着かな?それとも上着かね、どうなのよ」みたいな迷宮に2人で入り込んでいた。
知らなかったけど、赤ん坊の着るものって、すげえ細分化されていて、非常に屯雑極まる。だいたい大人ならもう何十年も生きているし、自分の着るもののカテゴリーを把握しているもんだと思う。僕なんか、パンツ、肌着(かっこ悪いけど本当はグンゼのやつが肌触りが一番良い)、あと、上に着るもの。で終わりだ。(え?って感じだな)女の人だとブラとかスケスケキャミとか、なんか良く分からないけど、まあ基本的にはインナー+アウターの考えで十分だ。
でも、赤ん坊は違う。さすが、というか、特別と言うか、とにかくもう訳がわからん程色々ある。今日なんか、段ボール箱1箱目の半分、「下着と思われるもの」を整理しただけで、2人ともなんとなく放り出してしまった。だから今こうやってパソコンに向かっている脇にはダラダラと赤ん坊用の服が散乱している。
とにかくねえ、新生児用の肌着と、もう少し大きくなった頃の肌着は違う(たぶん)のだ。まず大きさが違うし、素材も違う。新生児用はガーゼ素材とか、とにかくソフト。でもそれより大きな子用はもうちょっと生地が厚かったりする。そこら辺が頂き物なのでごちゃ混ぜになって入っているので、しかも夏物冬物がめちゃくちゃなので、判別不能でお手上げだ。しかもねえ、出産、育児というのは未だ多分に封建的で閉鎖的な分野なのだ。やれ腹帯だの布おむつだのガーゼ下着だの、歴史的な伝統がなんとなく幅を効かせている。それと同時に現在の合理的な考えも同時進行しているので、ひじょーに混乱する。本当はもっとコンテンポラリーに合理的に、分類されてしかるべきだと思うのだ。スウェーデンとかの出産、育児なんてスゲエ合理的な予感がする。(あくまで予感だけど)「あら、赤ちゃんはこれだけしか着せないわ。あとはお母さんが抱いていればとっても暖かくて赤ちゃんもうれしいのよ」などと言われて数枚しかない服を見せられたりしそうだ。
すげえなあ、北欧。(と、勝手に感心するオレ)

でも、そういう歴史的な、意味のない日本の伝統って、たまに「いいな」と思ってほわっとする時もある。昔の日本人は恥ずかしがりやで礼節を重んじる人が多かったので?赤ちゃんとか、生命の誕生など、生臭い出来事をあからさまに人前で喜んだりできなかったんだろう。でも、「本当はすげえうれしいのに表に出さない感じ」というのが様々な伝統的な行事や物に現れていて、そういうやせ我慢みたいなものを行事の奥に感じ取ったりできるのは、これはこれで昔の人の豊かな優しさなのだなと思うのだ。
だから、「お食い初め」とか「七五三」とか、なかなか侮れねえよ。オレも、スーツ着て「かしこみかしこみ」やってもらうからな、待ってろよ、アカンボめ。

パリ開放

2005年11月07日 | Weblog
フランスで暴動らしい。なんでも、自動車が3000台も焼かれているとかで、パリの中心地にもその余波が及んでいるとの事だ。
詳しい事情はさて置いて、不謹慎極まりない事を言うようだけど、パリで暴動。なんか、かっこいいなあ。と思ってしまった。さすがパリというか、レジスタンスというか、古くはフランス革命から、連合軍によるパリ開放といった、武力と思想が入り混じる汽水域特有の匂いがぷんぷんする。
辻角から身を乗り出してナチスの装甲車両に自動小銃をバースト発射したり、鉄条網を自走砲で打破したり、地下にもぐって徹底抗戦レジスタンス活動をするにはもってこいの街だ?
東京なんかで暴動なんかが起こっても、はたして何も感じないかもしれないなあ。
しかし、そういえば桑原甲子雄の写真に、2・2・6の軍部クーデターが起こって東京に戒厳令が出された時、彼が町の様子を隠し撮りしたスナップ写真がある。ライカを着物の懐に隠してブラインドシャッターを押したという写真だ。その時の東京の様子は今見るとなかなか興味深い。雪の降る議事堂の様子や鉄条網がらせん状に張られた光景をモノクローム写真で見ることが出来る。また、自身のコメントも合わせて読むと興味深い。たしか、「東京に戒厳令が敷かれるなんて事は初めてだったし、面白そうだからカメラを持って出かけたんです」みたいなことを仰っていたと思う。僕は桑原甲子雄のこういう感覚がいいな、と思う。彼はたまに街中の鏡に向かってシャッターを押していて、それが着物、下駄、好青年、ライカ。という組み合わせで今の僕にはドキッとする。着物の質感とライカの質感が良く調和していて意外なハーモニーだ。
と、まあ、わき道にそれたけど、とにかく暴動はいけません。でも、パリには何故か暴動も似合うような気がするのは僕だけでしょうか。

ユタカ夜話

2005年11月07日 | Weblog
ここのところ、寝る前に妻の腹に顔を寄せて、腹の中の赤ん坊にお話を聞かせていた。そうするとよく動くので面白いのだ。お話は完全オリジナル、ちょー下らない物語、「ユタカ夜話」だ。
でも、数話話しているうちにインスピレーションがわいてきて、昨日はその話を元にする物語を四時間ぐらいぶっ続けで書き続けた。でも、まだ第1章なので、すげえ長くなりそうだ。よく、昔の絵本作家なんかは絵本を自分の子供の為に書き始めた、とかプロフィールに書いてある。そんなのウソだろ、と思っていたが、あながちウソでもないみたいだ。こうやって即興で話を作りはじめると、次から次へと面白いシーンが浮かんでくるみたいだ。

刻印書体はガラモンド

2005年11月04日 | Weblog
昨日夢を見た。
僕はベルリンのスタジアムにいた。手にはライカのカメラを持っている。ビューファインダーとレンジファインダーが軍艦部に独立して据え付けられた、ちょっとかわったモデルだ。僕は梨地のボディー背面の刻印を見た。「Ernst Leitz 2005 Berlin」とある。書体はガラモンドだ。別にどうだっていい事だけど、なぜか書体の事が妙に気になった。ガラモンドの5の字が「いいな」と思っていた。

お触りプレイ

2005年11月03日 | Weblog
妻の実家の文鳥、ぴーたろう(でも、チューチュルちゃんとか、ぼーちゃんとか呼ばれる事もあり本名不明)はすんごくお触りさせてくれる。手の中でうっとり眠ってしまうのだ。ほっぺたなどを撫でてやるとグジグジ言ってすごく喜ぶ。うちのラッキョは触られるの嫌がるしなあ、ま、それも鉄の処女って感じでかわいいんですけど。

※写真の僕はそうとう喜んでいます。