日日日記

イラストレーター橋本豊の日常

小さな偶然

2006年03月31日 | Weblog
洗濯石鹸がなくなった。
妻が薬局で洗剤を買ってこようとした時、レジで「明日特売ですよ」と言われて、ついつい「あ、じゃあ、いいです」と買ってこなかったらしい。
その日の夜にピンポーン!と宅急便がやってきて、友人Kちゃんからのお祝いで「シャボン玉せっけん」の詰め合わせが届いた。さすが分かっていらっしゃる。我が家は純石鹸100%の洗濯石鹸しか使いませんもの。

ヨータをあやしている時、彼の手の近くに極小の金属片を発見。
「あ!これ、巻き上げギアのラチェットスプリングだ」
という事で長い間棚上げになっていたコニカC35のレストアが完了。

いつも仕事はデーター渡しが多い。
でも先日の雑誌のお仕事はプリント原画を入稿だった。
「あー、忙しいし、梱包材買いに行く時間がないぞ」と思っていた時に、お祝いで頂いた色々な品物のプチプチエアパッキンの事を思い出した。そして、届いたばかりのKちゃんからのお祝いの梱包ダンボールを切り刻んでボンドで貼り付けて、折り曲げ厳禁の台紙を作った。

ささいな事だけど、いろいろが偶然を呼ぶんですね。

2ヶ月

2006年03月28日 | Weblog
ここ数日、育児の事を書いていなかった所、「なんだ、最近アカンボ関係書いてないじゃん」などと妻に悪態をつかれたので、少し。(密かにオレのブログチェックしてやがんの。おーこわ。)

今日で丸2ヶ月です。
いやあ、正直、まだ2ヶ月かよ。といった感じ。でも、赤ん坊は生まれてたった2ヶ月だというのに、縦だっこが好きだったり、さみしがり屋だったりとちゃんと個性がある。そして、今までのべつまくなし糞を垂れ放題だったヨータ王子だが、最近など1日に一度デカ糞をぶっこくだけになりつつある。でも、その量たるやナイアガラ瀑布さながらなので、漏れるワ漏れるワ。チョビグ-(ちょびっとグソ)の連発とどっちが良いのか、全く・・・

そうだ、よく、「小さい頃は服がすぐ着られなくなるのよー」なんて言われるが、ぼくの印象としては「え?赤ん坊全然大きくなんねえよ。服もそんな実感ないなあ」ってなもんだ。もっと2週間ぐらいでグイグイでかくなるのかと思っていた。確かに、成長率は著しいのだろうけど、こう、もっと爆発的なのかと思っていた。うちのヨータ王子なんて夜間いまだに新生児サイズのムーニーを穿いているし、それだってウエスト表示の「1」の部分で止めている。
けっこう身長はあるんだけど、痩せ形かもしれねえなあ。とも感じる。赤ん坊にも色々あるらしい。
でもさあ、痩せていてオレも子供の頃苦労したんだよね。
「ほら、裏のツヨシ君いるだろ。あの子、朝からドンブリ飯3杯食べるんだってよ!だからあんなにガッチリしてるんだな」などとやんわりと(ガッツリとだね、こりゃ)親に言われる。「おい、豊、お前のそのヒョロヒョロガリガリをどうにかしろ」って事だろうか。
確かに、思春期の男子は食欲が爆発しているけど、なにもいっぱい喰う奴が偉い。みたいな区分けをしないで欲しいなあ、と思ったものだ。燃費がいいオレの方が良いに決まってるじゃんか、お母さん。エコドライブですよ。
まあ、そんなこたあいいや。

そんな2ヶ月目ですが、先日母から電話があり、「あんた、初節供どうすんのよ?」と言われた。「え?」である。どうやら、初節供の時に鯉のぼりとか、兜とか、女の子だったら雛人形とかを買うらしいのだ。
たしかに僕も子供の頃は小さいながらも兜やら鯉のぼりを飾ってもらっていた。でも、いざ我家に兜やら鯉のぼりやらが来るとなると、なんか「日本の伝統ヤベエ!」と思う。この狭い貧民窟にどうやってそんな兜を収納すりゃあいいのさ。しかも、2006のフューチャーな核家族マンション時代に、兜かよ、侍かよ、鯉が舞うのかよ。って、そのものすごい時代のズレの感覚にクラクラした。いや、以外と好きですよ、トラディショナルな感じが。でも、いざ自分の番(主催者ってこと)になると、江戸の昔の伝統が僕の生活のバックボーンに全く関与していない事をガツーンと思い知らされた。
江戸時代が終わって何年ぐらい経つのだろうか。
スパコンの計算によると、あと100年すれば、地球温暖化によって年間平均気温が6度上昇するらしい。そして、お正月は0紅葉の季節で、5月は海開きの時期になるのだという。夏が2ヶ月延びるのだ。
きっとその頃には兜も鯉のぼりもないんだろうな。世の中全体がムシムシと暑くなって、昔からの季節の行事や暦が役に立たなくなる。
あと100年かあ。
「木星についたよぉ~。ついたよ~!」になっちゃうかもよ。





WERRA分解

2006年03月24日 | Weblog
そういえばここの所、旧東ドイツ、ツアイス社製のWERRA(ヴェラ)という変わったカメラを修理していた。
分解してみれば大した構造ではないんだけど、とにかく共産圏のカメラなので?ネジがこれでもか!と親の仇のごとくキツク締めてあるので往生した。ツアイスのカメラだけあって、レンズとシャッターとファインダーには金をかけている感じがする。しかし、ボディーが共産主義というか、独居房みたいな粗野な箱で、軍艦部を開けた時などは、梨地メッキの隙間から凍てつくブリザードが吹き込んで来たような気がした程だ。
(分解手順を知りたい人は書き込みして下さい。プレストールシャッターが精密でちょっと難しい)

よく知られているレンズで有名なカールツアイスだが、戦後ドイツ東西分断の影響をもろに受けた会社だ。もともと社屋があったドレスデンはソ連側の手に落ち、西側に逃れた技術者達はまた別個にオーバーコッヘンだかで製造を開始する。だから、一時期、西と東でツアイス社というのが存在して、それぞれ別にカメラ、レンズを製造していた。もちろん権利問題やら色々な事があって、主力は西側に移って行くんだけど、(詳細は知りません)なかなかややこしい会社なのだ。というか、ややこしいのは国関係か。
まあ、戦後日本は国を二分されるかわりに原爆を2発くらったという事だろうかと思った。
どっちが良かったかなあ?などと考えてみたけど、
どっちも嫌だな。

成長

2006年03月24日 | Weblog
つい一週間ぐらい前から、ヨータボーイが「うーうー、あんうおー」などと喋り始めた。
どうやら風呂上がりや腹一杯の時など、ご機嫌の時に喋るようだ。
首もほとんどすわっているし、ちょっと2ヶ月にしては早い方かと思われる。
別にこの時期の早い遅いは関係ないらしいのだが、やはり親としてはちょっと嬉しいのも確かだ。
それにしても、成長して何かが変わる時というのは突然である。ある日突然何かができるようになるのだ。段階的に成長して徐々にその完成型に近づいていく、という感じともちょっと違う。突然大きなアクションを成し遂げるような感じ。
人間の成長ってこういうもんなのか。まるで咲く花のようだ。

お宮参り

2006年03月16日 | Weblog

天気が良かったので、昨日お宮参りに。
といっても、例の紙がわんさか付いた棒?で「かしこみ、かしこみ」やってもらったわけではなく、ただのお参り。
でも、京都ならではというか、自宅近くの神社が菅原道真生誕の地で、「吉祥院天満宮」という。
ベビーカーを押してテクテク3人で歩いていった。
帰りにパン屋で買ったコッテリ系のパンをこれでもか!と2人で食いまくり、妻はヨータに野外で初授乳をさせていた。
ポカポカと太陽の光が暖かい。
そして妻は恥ずかしげもなく乳をポロンする。
こういう時、僕は父として振舞えばいいのか、男として振舞えばいいのか躊躇する。

ツアイス・イコン

2006年03月13日 | Weblog
母乳育児で聞きかじった事を少し。
(部外者が見聞きしただけの事なので、間違いがあったら訂正致します)

母乳というのは本当に不思議だ。
よく、「ミルクをあげると母乳が出なくなる」と言われる。
最初は意味が分からなかった。
でも、よくよく聞いてみると、つまり、赤ちゃんが欲しがった時に母乳のかわりにミルクをあげてしまうと、母乳をあげるべき時にあがられなかった事になってしまい、身体が「もう母乳はいらないのね」と勝手に判断して母乳生産を減少させてしまうからなのだ。だから、「辛いから」「面倒だから」「あげても出ないし、すぐ赤ん坊がぐずるから」などという理由でミルクを足し続けると、どうしても簡単で量が見えるミルクに流れていってしまい、なおかつ母体の方でも母乳を生産しなくなるという、デフレスパイラルみたいな事になるわけだ。
これはすげえ構造だな。と思う。
たぶん、はるか昔は赤ちゃんというのは簡単にポックリ逝く存在だった事の名残りだと思われる。つまり、吸われなくなったら(赤ちゃんが死んだら)すぐに次の子を産む準備をするために、母乳をストップさせるわけだ。なぜなら、母乳が出ている時というのは生理が再開しない(再開しにくい?)からで、微妙にホルモンのバランスが関係しているらしい。母乳が出ている時は性欲をコントロールするホルモンも出ているらしく、性欲は抑制される。だから、母体は育児に専念できるのだ。

もともと人間だって動物なので、子を母乳で育てるのはあったりまえの事である。では、なんで今現在、母乳育児がたった4割なのかというと、それは、まあ、現代社会のストレスだとか、食生活の変化だとか、色々あるらしい。でも、はっきり言って、やってみれば一発で分かります。大変だから。
もちろん、最初から溢れ出て何の苦労もない人も沢山いる。でも、うちもそうだったけど、大概が最初母乳は出にくいし、出たとしても乳首に問題があったり、母乳の味に問題があったり、赤ちゃんの方が吸うのが下手な子だっている。「出るのに吸ってくれない」という悩みも結構あるらしいのだ。
しかも、軌道に乗るまでに数カ月かかる場合もある。ワイフは一ヶ月でだいたい軌道に乗ったけど、中には離乳食が始まって始めて順調に母乳が出始めた。という人もいたりして、そこまでよくがんばるなあ。と感心する。たぶん、順調になるまでは出が悪いので、生後3ヶ月ぐらいまで毎日1~2時間おきの授乳だったんだろう。

では、なんでそこまでして母乳なのか?と言われれば、これはもう、オレには分からん。
母乳で一番不安なのは、「足りているのか?」という不安である。ミルクならこんな不安はない。だって、哺乳瓶で飲んだ量が分かるからね。赤ん坊は色々な理由で泣くけど、親としてはどうしても「足りてなくて、お腹が空いているんじゃないのかなあ?」という心配でいっぱいだ。だから、どうしてもミルクを足す。そうすると泣き止んで眠ってくれたりして、「ああ、やっぱ足りてないんだよ!」なんて夫婦で言い合ってしまって、ミルク街道まっしぐらって事になるわけだ。でも、あげていて「こいつ、腹へってねえな」という印象を持った事も多い。しかも、哺乳瓶って、まさに赤ん坊の口に「ブッ込む」って感じで、ちょっと暴力的だ。主従関係で餌をあげている気分なのだ。
ミルクはミルクで今まで飢えていた世界で赤ん坊を数しれず救ってきた。これはとても意義のある事だと思うし、人命尊重の現代からすればもっともな事だ。でも、時として理屈から生まれた物が理屈を超えた存在を駆逐する事がある。僕はそれが母乳とミルクの関係だと思う。
ミルクは栄養も考えられていて、赤ちゃんがどれだけ飲んだかとても分かりやすい。父親や周りの人間が授乳という、いままで母親に限定されてきた育児に参加ができる。母親、つまり女性を育児からスコシ開放したのだ。ここにはいかにも自由民主主義というか、公民権というか、戦後アメリカというか、西洋実証主義というか、つまり、「どれだけ栄養を効率良く、分かりやすく、上手に、公平に与えられるか」という理屈の世界での構築物件なのだ。
でも、母乳とは「補食」だけではない何ものかが介在しているのだと思う。肌と肌の触れ合い。とか、赤ん坊という不完全な人間に対しての慈悲だとか、そういう特殊な関係や感情をきっと母親は与え、得ているのかもしれない。そして、前にも書いたけど、苦楽を共にした達成感というのだってあるはずだ。出ない乳は母親だけでなく、赤ん坊だって辛いんだしね。

絶対、母乳育児。とは思わない。だいたい、オレ男だしね。
でも、試してみる価値はあるんじゃないかと思う。ダメならミルクがあるんだし、最初の2ヶ月ぐらいは本腰を入れて頑張ってみるとか、決めてみるのもいいかもしれない。今の世の中は、戦中、戦後の飢えていた時期の価値観と現代の超合理主義が入り交じってしまっているので、もう色々な事を言う人がいて大変だと思うけど、これから先はきっと、心とか、感覚とか、風合いとか、そんな物を大切にしていく世の中になっていくんだと思う。だから、とりあえず合理的で楽な方に向かわずに、母乳育児をやってみてはどうかな?と思う。
僕だってミルクで育っているし、別に良いとか悪いとかそういう事を言うつもりはないけど、でも、やっぱ、母乳育児の母親が「偉そう」に振る舞う気持ちも分かる。
言いたいのだ。自慢したいのだ。頑張ってやったしね。
みなさん、褒めてやってくださいよ。

あー、自分へのご褒美買っちゃったよ-。


1ヶ月

2006年03月11日 | Weblog

えー、各方面の皆様、お祝のお言葉や品々をありがとうございました。
贈り物がピンポ~ンとやって来ると、どうも、いそいそと嬉しいもんです。
Mrs.ルイがブログをハードチェックしているらしいのでヨータボーイの成長の記録を少し。

先日1ヶ月検診にいってきた所、体重、身長の増加は正常でありました。まだ小児科にかかっていないので、身体の各部分の詳細は不明ですが、とりあえず母乳は足りているようで、妻はホッとしていました。
なにせ、今、母乳育児の母親というのは全体の4割しかいないのだ。
最初は出ない母乳をしつこくしつこく1時間おきぐらいにあげる我慢をし続けないといけなかったワイフは偉い!と、一応褒めておくか。あと、ヨータもオッパイ吸うの上手くなったしね。人間は学習の動物である。お前もがんばった!
(母乳というのは不思議なもので、赤ちゃんがオッパイを欲しがるリズムと、乳が張ってくるリズムがドンピシャシンクロし始めないと軌道に乗らないのだ。いつもダラダラと乳が出続けているわけではなくて、赤ちゃんが欲しがって、オッパイを吸うからジュワーっと出るのだ。これを乳が「差す」という)
母乳育児など所詮自己満足でしかないとか、まあ、色々な意見もあろうが、こういう1つ1つの達成感の連続が、困難な人生の攻撃をかわしていく秘訣なのかもしれないな。そう思います。
と、いうことで、今日でだいたい生後40日ぐらいか。
体重は1キロちょっと増えて、ちょっとプクプクしてきたヨータボーイ。
まだまだ人間というより、「ネズミ虫」といった感じ。
身体は針金みたいなくせに相変わらず首の力はすごいし、ビチ糞も激しい。
でも、そんなこっちだって「チョビ糞は糞にあらず」なんて冗談を言いながら、チョビットうんこの時は知らん顔できるような余裕もできてきた。
さあて、今日はカメラ4台売っぱらって、新しいジャンクカメラ買いに行くぞ!

※写真はメリーズおむつを被った「音楽の父バッハ」


ラブな目線

2006年03月09日 | Weblog
おばさまの視線を熱く感じる今日この頃、イラストレーター橋本です。

というのも、最近街を闊歩していると、たまに、
「あ、今の人、あなたの事ラブな目線で見ていたよ。気が付いた?」と妻に申告されるからだ。
「え?え?え?どこどこ?だれだれ?」と鈍い僕は後ろを振り返るのだが、たいがい
「ああ、でも中年女性だけどね」というオチが付いている。
どうやら微妙に韓流らしい。

京都旅

2006年03月07日 | Weblog
確定申告の提出をするために税務署へ。
今日は天気がすこぶる良く、バイク(スーパーカブ)で町中を走っていると、なんだか旅行者気分。久々ですからね、外出は。
しかし旅行者というより、京都の親戚の家に泊まりにきて、そこんちのバイクを借りているような、そんな気分だ。
色々と悪口も書いてきたけど、こういう時だけは「オレ、京都に住んでいるんだよなあ。贅沢だよなあ」などと思いつつ、西大路通りから金閣寺前を通り過ぎ、大文字の禿げ山を眺めながら北大路通りへ入り、大徳寺周辺を散策して、賀茂川を渡り、一乗寺のケイブンシャへ向かったのであった。
ここの本屋は「見える時」と「見えない時」があって、残念ながら今日は見えない日だったので、あまりパッとした本が目に入ってこなかったんだけど、なかなかいい息抜きができました。
そういえば今日は暖かだったので、ヘルメットのシールドをはぎ取って走行した。
眼鏡にはり付いた細かい虫やら埃やらを拭う時、春なんだなあ、と思う。

育児についての考察

2006年03月06日 | Weblog
今更だけど、父であるハシモトは今は結構育児に参加している。
今は。という所がポイントかもしれないけど。
「男だって育児」「男なのに家の手伝い」まあ、色々意見はあろう。この際、直接的に赤ん坊の面倒をみる事だけが育児ではない。というのは周知の事で、産後3ヶ月ぐらいまでは2~3時間おきの授乳を繰り返す妻の身の回りの面倒をコマゴマと世話をする事だって育児の内だ。
では、そんなハシモトはいったい何をやっているのかといえば、まあ、もう、家の事全てだ。
これだけは主人の仕事なんですう。とか、これは夫がやってくれるから助かるんですう。とか、そんな甘っちょろい事じゃない。
いいか!聞いておけ!
献立から料理(乳の出のために和食中心。自慢じゃないがオレは煮物が得意だ)、買出し、掃除、洗濯、オムツたたみ(布おむつ復活)、オムツ替え、ウンコ洗い流し、ヨータあやし、赤ん坊沐浴。なんか疲れてきたな。

昨夜は妻がダウンしたので、妻の代わりにむちゃくちゃに泣きじゃくるヨータボーイにミルクをブッ込んだものの、まったく泣き止まず、眠りもしないので、揺すったり部屋中を歩き回ったり。挙句の果てにこっちも諦めて、そのまま放っておいてやった。そうしたらあいつ1時間も本気で泣いて泣いて。そんで、こっちももうヘトヘトだあ。って頃に抱き上げたらストッと眠りやがった。
もう3時です。
なんか、「育児に自信がない」というのとは違って、泣き止まぬ赤ん坊を「このまま自分の気が一瞬おかしくなって硬い床の上にゴンと落としてしまったらどうしよう」「イライラするのが極限までいって、ベランダから放り投げたらどうしよう」などという自分の中の衝動に対する恐怖みたいなものがある。はっきり言うが、泣き止まない赤ん坊は、か・な・り・イライラする。本気で「フンギャ~!!!ギョエ!ギョエ!ギギギ!!」なんて顔を真っ赤にして1時間もやられてごらんなさい。おっぱいあげても、オシメ替えても、あやしてもダメ。自分に余裕があるときは、昨夜のように「はいはい、頑張って泣いてねー」なんて言いつつライカのシャッターをパシャコパシャコして遊んでいれば良い。でもねえ、眠くて疲れているときは、思わず振り上げた右手を左手で押さえて・・・なんてマンガみたいな事をマジでやりそうになる。もちろん赤ん坊相手に手を上げたことはないけど、まあ、そんな勢いだ。

僕は基本的に赤ん坊の面倒を妻に一任している。母乳育児だし、赤ん坊が甘ったれで、おっぱいを吸いながらの添い寝じゃないと寝ないからだ。でも、妻だってつらい時もあるだろうから、そういう時は無理して母乳をあげるより、その回はミルクに切り替えて僕が飲ませたり、寝かせたりする。(これが難しい)オムツ替えはナゼか好きな部類に入るので自発的にやるけど、彼女がダウンしないかぎり、夜中は基本的に全部妻任せだ。
そこで、どうしても貸し借り勘定をし始めてしまう自分がいる。「赤ん坊担当はお前じゃないか」「オレは家の事一切合切引き受けているのに、夜中に面倒みなくちゃならないのかよ」そんな感じにチョッと思い始める時もある。でも、それはイカンイカンと思い直して、「今進行している全ての事を自分自身の事と思おう」と心がけて妻や赤ん坊に接している。なかなか難しい事だと思うけど、なぜか今までの自分とは違って、「はいはい、しょうがないわねえ」ってなぐあいに心をなだめる事ができる自分もいて、ちょっと驚きなのである。

でも、世の中の男子全てがこんなに身を粉にして家庭や妻や赤ん坊の面倒をみるべきだ。とか、育児に積極的に参加するのが当然だ。とかは本当に全く思っていない。ましてや妻が僕の事を妻の友人などに自慢されるのはもっと嫌だ。色々な事情もあるだろし、性格だって大きい。参加を望まぬ妻だっているだろう。(自分では「男の育児参加を望んでいない」という事に気が付いていない女性もいると思う)
だから、やっぱこれは「育児の権利」とか「育児趣味」とかそういうものなんだと思う。育児をして、ある部分楽しんで、悲しんで。何かを得る事ができるかもしれないし、できないかもしれない。これは誰にでも参加の自由はあるけど、誰もが同じ体験や経験をするわけでもないし、ましてそこから何かを得るか、もしくは得ないかなんて事は個人的な事でしかない。だから、やっぱ「権利」なんだと思う。
ああ、そうだ。今思い出したけど、確か、まついなつきもそう言っていたな。あの本を読んだときはこんなバカな事理解できなかったけど、でも、今はちゃんと理解できる。「参加した人だけが分かる」とかそんなんじゃない。楽しむのも自分次第だし、辛くて悲しんで何かを考えて得るのも自分次第だ。
そして、育児というと献身的な事をイメージするけど、実際はきっと自分と、妻と、子が一直線に並んで平行に人生を進んでいくというイメージの事であって、三人が平行に並ぶのか。階段状に並ぶのか。一人だけ離れて並ぶのか。参加の自由があるという事は、そういう人生のイメージ図の構成権利の事なんだと、オレは、思うな。

プティ・鬱

2006年03月03日 | Weblog
ちょっと今、プチ・鬱だ。
ファザーズ・マタニティーブルー?かもしれん。
産褥期1ヵ月は妻と子の面倒を徹底的にみてやろうとがんばってきた。
でも、その1ヶ月も過ぎ、3月に入った雛マチュリの今日、途端に鬱状態に突入してしまった。妻もちょっと動けるようになって、夕食の後片付けなんかをし始める。洗濯物もたたむ。そうするとだんだん僕のやる事が減ってきて、色々いらん事を考え始めて、もうはっきりと鬱だ。前回のブログもやる気なく書いたので、ああ、なんか文脈がおかしいな。
ああ、寝ようかな。
でも、まだヨータを風呂に入れねえといけねえ。今日に限っていつまで寝てんだあんちくしょうは。
ああ、修理したカメラ全部売っちゃおうかな。
もう、ダメだ。