日日日記

イラストレーター橋本豊の日常

ぴんたろう

2006年05月30日 | Weblog
よく、赤ちゃんのイラストなどで頭が「ぴん」と立って描かれているのがあるが、あれはリアリティーのある描写なのだという事が分かった。
赤ん坊は頭をグルグル動かすようになると、頭の後、側面などはシーツに擦れてかなりの毛が抜け落ちる。朝起きるとそれこそシーツに毛がべったり。後頭部なんぞネハゲー・エキザクタ・ヴァレックスである。
そうすると、てっぺんだけが伸びて、まさにイラストみたいに「ぴん」と、なっちゃう。
なんか、こういう「へ~」な事、イパイ!アルヨ~!

コメントサンキューという事で、山田うどん2

2006年05月26日 | Weblog
小学校6年4組の担任は金子先生(もしかしたら金田だったけなあ?)であった。
ガッチリとしたおじさんで、カラオケの十八番は「宇宙戦艦ヤマト」である。
ぼくは隣のクラスの6年3組であったが、いつぞや金ゴンが理科の時間にこのような事を申しておった。

「山田うどんは、安くて、早くて、量が多い!」

その贔屓ぶりには目を見張るものがあったが、山田うどんを表すのにこれ以上簡潔な言葉はないであろう。しかも、「旨い」の一言が入っていないあたりが、いやがおうにも真実味を増すのである。

やまどーどん

2006年05月25日 | Weblog
何気なく検索したらホームページありやがんの。山田うどん
トップページなんてフラッシュアニメーションじゃないの。
僕の実家は山田うどん本店のすぐ裏手。
いやー、よく食いに行ったもんだ。
父は「パンチセット」(モツ煮込みとうどんとご飯のセット)
オレは「カレーセット」だったねー。
今までに1tぐらい食べているんじゃないのか?カレーセット。
山田うどんの旨い所は「うどんのコシが全くない」所だ。なんか、ぶるぶるのずるずる。
でも、なんか妙に食いたい。
うどんの本場関西にいると、あの真っ黒い暗黒な汁とコシのないうどんが恋しい。

山田うどん、昔は店内に狐とたぬきの剥製が飾ってあって、それがカサカサに乾燥していて妙に恐かった。狐うどんとタヌキうどんを表したモニュメンタルな物だったんだろう。あの頃はアルミのバットに入れられたゆで卵が憧れだった・・・
それはとうと、関西ではキツネうどんとタヌキうどんがひっくり返っている。
キツネは揚げ玉でタヌキはお揚げさん入り。
でも、京都でタヌキうどんといえば、あんかけ生姜うどんの事を差す。これはこれで美味しいけど、たまには器の底が見えない真っ黒い汁で食いたいわさ。

ちなみに「やまどーどん」というのは、幼い頃末の妹が上手く発音できなかった事から、我が家では山田うどんをこう呼ぶ事が慣例となっていましたが、今やその妹もM美術大学の3年生になりました。

ねがえる

2006年05月25日 | Weblog
ヨータはもうすぐ5ヶ月になりますが、ここの所寝返りをうちそうになる。
最初は「いやに反っくり返るなぁ」と思っていたら、どうも寝返りをしたいらしい。
まだ、ゴロンとひっくり返りはしないけど、もうちょっと。という感じ。
見ていると、視点を変えたいという欲求を感じる。

きゃべつ畑

2006年05月19日 | Weblog
5ヶ月近くなったヨータを抱っこして、雨の中、郵便局へ。

帰り道、天満宮に寄ってお参りをした。

雨に打たれる緑の強いくて重い芳香が辺りを漂っている。

草木は「もうすぐもうすぐ夏だよ!」と待ちきれず騒いでいるよう。

歩いていると、きゃべつ畑に出くわした。

静かに雨を受けるきゃべつの群れ。

聞いたことがあるだろうか。きゃべつが雨に打たれる音。

ささささささ。

一面のきゃべつから静かな音が聞こえる。

SHOPIN

2006年05月18日 | Weblog
「何かいいCDない?」
妻が僕のCDから選んでいる。
「ねえ、この『チョピン』って何?」
「え?・・・・」
「ショパン・・・」
二人で大爆笑。

最近僕の口癖。
「あー、なんかいいジャンクカメラねえかなあ」
「それって何か矛盾しているよね」と妻。
「いい感じのブスいねえかなあ」っていうのと一緒か。
でも、確かに、いいジャンクカメラもいい感じのブスも実在する。と、チョピンを聴きながら思う。




汽笛が呼んでいる

2006年05月17日 | Weblog
汽笛が聞こえる。
SLファンのサンクチュアリ、梅小路機関車館のスチーム号の汽笛だ。ここに往年の機関車が動態保存されている。
特に今日みたいにしとしとと雨が降り、雲が垂れ込めている日は大きく聞こえる。

ふをををを~

「鉄郎さん!急いで下さい!走って!」(車掌)
「鉄郎!早く!」(メーテル)
「でも、僕のコスモドラグーンが!」(鉄郎)

って感じの一こまを想像する、想像力の乏しい自分。

蒸気機関車って、整備されて動いていると、まるで生き物みたいだ。1台欲しくなってしまう。
ただひとつ残念なのは、梅小路機関車館のレールはたった500メートルぐらいってことだ。スチーム号に乗っても、すぐ「はい、バックしまーす」で終了。
せめて梅小路公園を一周したいなあ。

血族

2006年05月15日 | Weblog
大阪に妻の祖母がおばさんと住んでおり、昨日はヨータを連れて大阪へ。
ヨータにとっては曾おばあちゃんになるわけで、僕には曾おばあちゃんなんていなかったので、ちょっとすごいですね。
おばさんが昔のアルバムを見せてくれた。
「うちにカメラがなかったからな」
ということだが、近所の人が写してくれた、小さい頃のお義母さんやおばあちゃんのセピア色の写真がアルバムには張り付けてあった。たぶん、セミ版だとか、ベスト判サイズのカメラで撮ったやつだ。
「カメラ買うたんわうちが小学校3年生の時やねん。そん時お父ちゃんとお姉ちゃんと●●まで行って写真撮ったのに、写っとらへんかったんや~、あははは」なんて言って笑ってる。そうだよなあ、僕がレストアしている50年代のカメラなんて、当時そうとう高価なものだったはずだ。

アルバムには他にも戦争中におばあちゃんが紡績会社に勤めていた時の集合写真や、今は亡きおじいちゃんの兵隊時代の写真もある。大陸の部隊にいたらしく、写真には「へいたいじだいのおとうちゃんとおとうちゃんのともだちとしなじん」とキャプションがついている。幼い時のおばさんの字だ。
「しなじん」というのは「支那人」の事で、なるほど犬を抱いたおじいちゃんを含め、10人程の兵士に混じって、真中に支那服を着た現地人が椅子に座っている。現地のお偉いさんだろうか。「しなじん」というのがなんだかおかしくて、皆で笑ってしまった。
しかし、こうやって、今まで赤の他人だった人たちの中に、笑っている自分がいるというのは本当に不思議な感覚だ。しかも、周りはみんな血が繋がっているのに僕だけ他人。でも、ヨータは僕と妻の血を半分ずつ受け継いでいるので、この血族の輪の中に入っている。否応無しに区分けされてしまうのが、なんだか「すごいパワー」だな。と思う。

僕の家は意外と古風だったので、お盆や正月には親戚一同集まったものだけど、今、こうやって親族が一同に会するという事は稀であろう。それこそ、結婚式か葬式で初めて会った。なんて具合だ。でも、たまには集まってみるのも悪くないなと思う。自分が何者なのかが、なんとなく理屈抜きで分かる。
あんたはこの人から生まれて、そんで、この写真の中の人がお爺ちゃんね。おじいちゃんは八百屋やっとったんよ。とかね。
そういうの聞くと、自分がここに辿り着いた人生の不思議を感じる。

親と子ってほんと不思議よー。
「お父さん、お母さん、生んでくれてありがとう」というのが世の中の善の意識だろうけど、僕は自分が子供を持った事で思うのは、「いやいや、ヨータ君、あんたこそ生まれてきてくれてありがとうね」という、ありがとうの相互作用が親と子の間にはあるんだなあ。という事です。
子を持つという事は、やはり自分の人生にとっても新鮮な発見や、きらめきが与えられる事だと思います。だから、オレだって自分の両親に色々いい事してたんだ。っていう事がよく分かる。

僕はデザイナー時代から使っているピンセットがあるんだけど、(会社からパクりました。すみません)医者のようにこれで糸も結ぶし、カメラ修理もする。今では、あまりに使い慣れたせいか、自分の指の延長のような気がする時がある。それと同じように、子供って、自分ではないけど、自分の延長上のような存在。という感じがするんだな。


キスリング

2006年05月12日 | Weblog
キスリングというリュックサックがある。
あの放浪の画家、山下清画伯が背負っている黄土色のあれである。(実際はたまに背負っていただけだろうけど)

僕がワンダーフォーゲル部にいた頃は、一年生は部所持のキスリングを背負わされた。これがまた臭くてでかい。臭いのもそのはずで、歴代の先輩方が背負われて、その汗やら何やらを、汁っヶたっぷり吸い込んで、あろうことか洗濯するのを固く禁じられていたからだ。その上アホウな先輩が「犬蹴」などと、デカデカとそのどてっ腹に極太マジックで書き込んでしまっていた。つまり、犬蹴で「ワンゲル」と言いたいらしい。
この憎きキスリングを手渡されてトボトボと自宅に帰った所、若かりし頃アルピニストを自称していた父ですら、「こんなの背負った事ねえ」と呆れ顔だった。

このキスリング、厚手の帆布でできていて、もちろん背中にフレームなど入っていない。背負う時は自分で上手い事パッキングして入れないと、背中にコッヘルなんかがゴリゴリ当たって痛いのなんの。しかも山行中にしたたか汗をかくと、永年累積された汗の臭いが染み出てくる。なんかもう、「あ~あ」って感じだ。

加えて、一年生はテントや鍋を担がにゃならん。
雨の日などは最悪。先輩が自分の荷物をパッキングしているのを横目に、水分をグッショリ吸い込んだテントをたたみ、それをキスリングの一番底に格納しないとならない。つまり、テントを入れてからじゃないと自分の荷物はパッキングできないわけで、その間、着替えやら何やらの荷物は雨曝しである。本来、荷物は重いもの程上にパッキングすべきである。しかし、この雨でグッショリのテントを一番上に持ってきてご覧なさい。もう、全てが台なしですよ。だから、もう、やけのやんぱちでバランスを犠牲にしてとにかく詰め込む。最後には直系50センチはあろうかという焦げだらけの大鍋をキスリングの外に細引きで括りつけて、さあできた。ふう。
「おーい!橋本遅いぞー!早くしろぅ」
「ええ?もう出発っすか?」
「あれ?オレ、靴下穿いてねえじゃん、ちょっと待ってよぅ」

話は変わるが、山下清といえば、以前実家のペンキ屋に来ていたおじいさんの職人が、画伯の家を塗り替えた事があったそうな。
「ペンキ屋さん大変ですね」とお声をかけていただいたとの事だが、やたらとベッピンの奥さんがいて驚いた。とも職人さんは話していた。
山下画伯は放浪続きで家など持っていないと思ったが、ちゃんときれいな奥さんももらって家まであるんだなあ。現実とドラマは懸け離れているなあ。などと思いつつ、「じゃあ、おにぎりなんかより寿司が好きだったりするんだろうなあ」と余計な事まで少年だった僕は考えたものだ。

※どうやら画伯は生涯独身だったようだ。という事は、職人さんは一緒に住んでいた弟の嫁さんとか、そこいら辺を画伯の妻と勘違いしたのではないか。

確認方法

2006年05月12日 | Weblog
昨日午後から深夜まで、我がホームページにアクセスできなかった。
サーバー側のトラブルかどうか分からなかったので、「2ちゃん」をちょこっと覗いてみたら、やっぱサーバーダウンっぽい。プロバイダーに対してひどい中傷書き込みがされている。
2ちゃんに対する是非の如何は置いておいて、こういうの確認するには便利な場所だな。と思った。

やってきました、お喰い初め

2006年05月09日 | Weblog
ヨータ選手、本日が生後100日のお喰い初めでございます。
近所の魚屋で尾頭付きの鯛の塩焼きを注文して、妻はまめまめしく赤飯を炊いた。
実際に離乳食に移行するのはだいぶ後の事だけど、区切りの儀式なので一応みんなやるみたいだ。神社でもらってきた石を口に添えたりして「丈夫な歯が生えてくるように」とおまじないをする人も多い。
うっとこのヨータ選手はルイ&シゲが差し入れてくれた「赤ちゃん番茶」をちょぴっと舐めただけ。

食事の最後。
妻が本で学習した「レンジでできるプリン」なるものを、かくし玉として冷蔵庫に極秘利に保管しておった。
「カラメルもレンジでできるんだよ!」と喜び勇んでチンしたのはいいが、レンジのドアを開けた時には、デュラレックスグラスの中のカラメルは、アウシュビッツ級のガスを部屋中に放ちつつ、ものの見事にどす黒く炭化し、何かが沈澱していた。

部屋、花火の臭いするっス!よしえさん。


メーカー不明

2006年05月08日 | Weblog
巻き上げレバーがないので、AF自動巻き上げだろう。
でも、かなりの型落ち感が漂う。(なんとなくコニカっぽい)
マスオ、新宿あたりの中古カメラ屋で¥8900ぐらいで購入したものと思われる。
「いやあ、いい買い物だったよ~、アナゴ君」

ちなみに、「セコム」のCMのヨン様はM型ライカをブラッシングしている。(ライカには詳しくないので型式判別不能。M7?)
あのブラッシングの仕方からみると、どうもヨン様はカメラには興味がないらしい。

子供の日

2006年05月05日 | Weblog
子供の日。

我が家では、元旦のお屠蘇をいただく前に、新年の抱負を述べ合うというしきたりがある。
僕は去年の元旦に「子供をつくる」と妻の前にて声高らかに宣言したのであった。
それは、そろそろ今までとは違うスタイルの人生が必要なんじゃないかと思ったからだ。
このままの生活でも何ら問題なかったと思う。でも、それは自分で想像のできる範囲での生活だったような気がして、ちょっと退屈だったというのも正直な所だ。
働いて、稼いで、好きなものを買ったり、旅行にいったり、美味しいものを食べたりする。確かにそれらは誰もが求めている事かも知れないけど、なんだかこの先の人生、それらを目標にずっと何かを続けていくという事に反吐が出そうな気がした。
子供がすべての答えをもって生まれてくるとは思わないけど、おおかたの予想通り、僕の全く想像もできない毎日がやってきて、ぼくは一応それらを受け入れる事ができそうだ。
ま、色々言っても、ただ赤ちゃんってかわいいのさ。