まっすぐに歩いて行きたい。偏りのないまなざしで物事をみ,判断して行きたい。
そう思っている。
けれど,気がつくと左に偏っている。
左に偏るのだ。どうしてもである。
結果,目も肩も腰も足も,身体の左側が重たい。
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人と真に向き合うために,
まず必要なことは,常にこの自分の偏りを知る(意識する)ということなのだろう,と思う。
偏りのある自分を認め,偏りを意識し,偏るくせを修正し続けること。
それが,他者を他者としてみ,受け入れ,関わる,ための基本なのだろうと,強く思う。
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時折,思いっきり偏った位置で,自分がまっとうで正当だと,正当性を押し売りしようとする善意の塊のような方たちをみていると,こころが痛くなる。それが善意であるだけに余計に切ない。
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身体の左側への偏り,それによる痛み,
これがなくなったらどんなに楽だろうと思うけれど,
左側の痛みが,常に教えてくれている,ことがある。
偏りのないまなざしは,どのようにして生じるのかということ。
左側に偏ること,それは偏りのない道(人生)を指し示す道標のようになっているんだろう。
こころと身体はそのように関連している,
と解釈してみる。それが,心理学的な視点で物事をみる楽しみでもあり,苦を苦でないものに転換する術でもあるんだろう,なと思う。
( 9月1,2日日本発達心理学会 発達障害分科会の宿泊研修で行った水上温泉の渓流。 特別支援教育における幼児期の巡回相談の現状についての発表,大学院生の研究発表などが行われた。私は,温泉に入りにいっただけさ,・・・なんて。一応,ちゃんと自分の仕事はやってきました!)
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