ずっと働き続けている・・・・・。
なのになぜ、こんなに貧しい生活してるんだろう私・・・とどこからか自分2の声がした。
自分1が言葉を補うと、心が貧しくなるような生活のことだ。
何かがおかしい???
ぼさぼさ、ふわふわ、ぼさぼさ、ふわふわ、ふ~
北風が心に凍みる青天井 ゆた拝
ずっと働き続けている・・・・・。
なのになぜ、こんなに貧しい生活してるんだろう私・・・とどこからか自分2の声がした。
自分1が言葉を補うと、心が貧しくなるような生活のことだ。
何かがおかしい???
ぼさぼさ、ふわふわ、ぼさぼさ、ふわふわ、ふ~
北風が心に凍みる青天井 ゆた拝
よく言えば、いつもにこやかである。悪く言えば、ヘラヘラしているようでもある。
私以外から私をみると、「悩み事は無いかのようにおっとりと穏やかそうだ」なのだそうである。
へぇっ、てなもんだ!!・・・と心の声は唸り声をあげている。
「そういうふうに見える人が、ただ嫌な人だっているんだからね、注意しないとね」といわれてしまった、しゅん。妙に、なるほどとも思う。
人というのは、スズメバチのような毒針はもたないが、心に毒を溜め込んで、言葉という針で他人を刺す、人もいる。
刺されて毒が回った自分が苦しくて仕方がないとか思ったりもしていたが、ふと気づいた。
それよりもそこまで心の奥底に溜め込んだ毒袋を抱えて生きることのほうが大変だろうと。少しでも毒を外に吐き出させてあげることに貢献できるとしたら、ヘラヘラも、にこやかも、悩み事が無いおっとりさんも、そう悪いことではないかも知れない。まさに癒し系なのである。
8月15日、終戦記念日
だからというわけでもないが、だからかもしれないが・・・・・。
ふと、この歌がよみがえってしまった。
表にでるとか出ないとか,
そんなことはどうでもいいことだ。
私は私の人生の表を生きている。
・・・・・・
ケッキョク、マタ、ワタシ、カヨ・・・・。
ヒトノシリヌグイバカリ、ヤラサレル。
タメイキ、タメイキ、タメイキ、タメ、タメ、タメ・・・イ・・・キ。
なんて,他者との関係から,自分を卑下したくなる日もあるけれど,
私は私の人生の表舞台を堂々と生きているんだと,
胸を張って空を見上げる。
何も,ちっぽけなことで悩むことなんてないんだと,空が,雲が,教えてくれるだろう。
と,書きながら・・・
「嫌い」という言葉の,正しい使い方は,自分に向けて使うのだろうと,突然,思えてしまった。
他者に向けて,嫌いを連発する人がいるけれど,
そういう使い方をする人を見かけると,なにかいやな気分になるのは何なんだろう?とずっと思っていた。
そうかと,納得!
そこで,スガシカオさんのProgressの1フレーズを思い出す。
「・・・ガラスケースの中 飾られた悲しみを見て,かわいそうになんてつぶやいている。
こんな自分蹴りたくなるぐらい嫌い・・・」
わたし的,嫌いの正しい使い方は,こんな感じなのだと。
人に向かう嫌いという言葉の響きは,とても不快に感じるが,自分に向かってどうしようもなく嫌いだと叫けばずにいられない,そんな人にはきっとなにか生きていることへの誠実さを感じるからなのかもしれない。
前にも少し触れたのだが,この本の中で, 「精神は語り 心は泣き 知覚は笑う」ということばと出会った。 そして,・・・・・・・・・ん~鬼太郎グッツのお土産を眺め,・・・・・ちょっとした発見をしてしまった。 目玉おやじ、鬼太郎、ねずみ男・・・これって、すごいエンデのことばにぴったりやん! 【キャスト】 精神・・目玉おやじ こころ・・鬼太郎 知覚・・ねずみ男 ねぇー!ちょっと思いませんか? (え?思わないって・・・がーん) フロイトの人格構造のモデルだとばかり思っていたけれど,ちなみに, 超自我、自我、イドってやつです。 すぐ誰かに話したくなっちゃうんだな~。 |
ものがたりの余白―エンデが最後に話したこと |