
学会で訪れた高知は、温かい気持ちの人がたくさん住まう場所で、そこにいるだけで嬉しくなった。牧野富太郎さんもそんな環境で育ったんだろう。植物と戯れている姿が印象的だった。

植物園からみた風景。
11月27日の佐渡は晴れ(両津港)。今回は写真もほとんど撮れませんでしたが。
ジェットフォイルとカーフェリーの違いを知った日。
新潟から、佐渡に渡るときに、行きは運行しますが、帰りは分かりません。
そのときには搭乗券の払い戻しをしますと、あっさり(当たり前のように)言われる。
(エー、払い戻しというより、帰ってこれるかどうかが心配なんですけど・・・・)
その場合は、帰る手段はあるのですか?と冷静を装い聞き返すと,
カーフェリーは運航するでしょう,とあっさり。
勇気を出して、ここでやっとずっと疑問だったジェットフォイルとカーフェリーの違いを聞く。
・・・そういうことだったのか。。。。。。
新潟港まで来て、このやりとりを通して、私はあることを実感した。
それは、自然にはかなわないということ。
むかし、むかし、人は、自然ともっと折り合いをつけながら暮らしていたんだということ。そして、いかに自分が文明に洗脳されているかということ。それぐらいのことで、オタオタしている。
そんなふうに感じて渡る佐渡は、両津港に着くまで小さな島さえない。そして美しかった。
柿と牡蠣(かき と かき)が今が旬。毎日、柿と牡蠣を地元の方は食べているそうである(ただし、今年は牡蠣があまりよくないそうだ)。
先生は、晴れ女だね~。雨って言われていたのにね~。
これからの佐渡は、本土に渡れるかどうか、神様次第な日が続くのだそうだ。
もし運命というものがあるのなら、この出来事は私にとって運命といえるもののひとつかもと思えるようなものであった。
ホテルのチェックイン時間よりも早くホテルについてしまったため、チェックインできなかった。
一番近くにある名所が、大浦天主堂であった。ただそれだけのことだったのだ。
時間をつぶすためにゆっくりと歩いていった先で、私は遠藤周作の文章とであった。
アウシュビッツで飢餓室にある男性の身代わりとなり送られた神父の人生に関する一文であった。
「・・・・・なぜなら奇跡とは人のほとんどなしえない行為をいうからである。まさしく神父は我々がその弱さゆえなしえない愛の行為を示し、愛のすばらしさをあの時代、あのアウシュビッツのなかで見せてくれたのだから」
奇跡とは、人のほとんどなしえない行為をいう・・・・。
今まで奇跡とは、思いもよらない幸運が大した努力もなしに自分にふって沸いてくるようなことをいうと疑わなかった。遠藤の言葉では、奇跡はふって沸くのではなく、自分が作りだすものだということになる。
その一文と、アウシュビッツのような環境において人間がこれほどまでに人間に残酷となれるという事実、その二つが混ざり合って、なんともいえない感情がこみ上げてきたのだった。
それまで忘れていた、遠藤の「沈黙」という小説が、今、また自分の中から外へと飛び出し、私の前に立ち現れてきたような感覚だった。
遠藤周作さんの一文から、私は、長崎に聖母の騎士という祈りの場をつくり、ポーランドに帰ってまもなくアウシュビッツに送られなくなったコルベ神父に出会った。そこから私の小さな旅が始まる。自分の意志で、聖母の騎士修道院のあるコルベ神父の記念館まで、名所地図にはない道を歩き出した。
そこには、友のために自分の命をささげる行為が究極の愛のであるというようなことが書かれていたように思う。その神父さまのところで、永井隆と出会った。肺が結核で真っ白になっていてもなお活動を続ける神父さまと永井隆博士は交流を持っていたのだ。
なぜその肺で動けるのか?
奇跡はふって沸くわけではない・・・ということが再び蘇る。
呼び寄せられるように如己堂へと足を伸ばした。そこには「如己愛人」という文字が掲げられていた。
自ら被爆しながら、多くの被爆者の治療を行い、原爆症の研究に命をささげた人。
奥様の骨盤と腰椎に守られて残った奥様のロザリオが、展示室にひっそりとあった。コルベ神父にしても永井隆博士にしても、人は絶望の真っ只中で希望を見つけだすこともする。人にとことん残酷になれる人間と、人に自分をささげつくし、自分が消滅してもなお、愛を語り続けている人間もいる。この両極をどのように捉えたらよいのか。
今の私にその答えはまだない。
そこでまた、永井隆を如己堂まで出向き見舞う、ヘレン・ケラーの写真と出会ってしまった。
そのように真実の人もまたつながっていくのではないのだろうか。
連休中の長崎には、どこに行ってもたくさんの人たちがいた。ちょっと驚いたのが、名所であう人たちが、日本語ではなく韓国語で話していること。韓国からの旅人が多いのだなぁと思う。亀山社中跡では怖ろしくきつい坂道の上で、まさかの40分待ちであった。福山さんの龍馬さん恐るべしである。しかし、私は頑なに司馬遼太郎の龍馬が好きだ。
そんな中、ここだけは違った。
黄檗宗のお寺、聖福寺。お客様は私をのぞけば人間は、誰もいない・・・。
多分、私はこういうところが好きなのだ、と思う。
ほんの少し前まで一緒にいた知人と別れて、たったひとりで私はここに立っている。
黄檗宗の開祖、隠元禅師という方はどういう人だったのかなぁ、とふと思う。
ご住職さんと思われる方にご挨拶をして裏山のほうへひたすら登る、登る、登る・・・・・・。
ん?
誰もいないはずなのになにか気配が・・・。
あ~
こんな感じの輩が、こちらを睨んでいる。普通なら屋根にのっているものが同じ目線にはならないが、ここでは不思議にも同じ目線上に並ぶ・・・・。この妙な感覚が気配を強くしたのだろう。
「そんなに悪い人間ではありませんから」とちょっと心の中で言い訳をする(そうしてしまう自分が、ちょっと・・・ん?・・・・であるが・・・・)。
こんなすばらしい景観の場所に人がいない。素直に嬉しいかもしれない。
私ひとりが、吸い込む空気と景色だ。
後で調べたら、ここはさだまさしの映画「解夏」のロケ地となっていたらしい。
「托鉢生活をする修行僧は、夏の始まり結夏(けつげ)になると説法して歩くのを止め、庵に集った。生命の季節に歩いて虫の卵や草の芽を踏み殺してはいけないという釈迦の教えに従った習慣だった。そして、座禅をしながら共同生活をし、その中で、仏教に対する教えの根本 “行”というものの捉え方の間違いをお互いに指摘し合った。そしてやがて夏の終り解夏(げげ)には別れて散っていった。」というのが、解夏ということらしい。
悉皆、生物、すべての命が等価で、尊ぶべきものであること、これが禅の本質にあることかなとふと山の上で思ったのもそれなりかもしれない。
キリスト教でもそうなのかもしれないが、私が今の大学にいて直感的に思うのは、人臭さが強い気がする。神様が縦軸にあるのに、か、神様が縦軸にあるからこそなのか?よく分からないけれども、人間という存在が強められるような気がする。誤りかなぁ?もし誤りなら、何の根拠もない個人の感覚と許してください。
私が、この風景に安らぐのは、多分、人が特別ではない、という感覚からくるのだろう・・・なと、思う。
長崎では、自転車を一台も見なかったことに、今、気づいた。
ssw1510sswさんより画像をお借りしました。
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1995年にあった神戸の震災を潜り抜けた主人の彫刻。まだ大学院生だったころの作品らしい。
台座がなくなっていた。彫刻家というのはどうやら台座から気になるらしい。台座がない、台座がないと繰り返しつぶやいていた。
震災を生き残ったのだからよしとしなくては・・・・。
湊川公園駅からちょっと歩いた場所にあった。地域の人たちの散歩のコースにあるようだ。
彫刻に目があったら、こんな風景を観て過ごしているのかと思う。桜が咲き始めていた。
老父夫婦が彫刻前のベンチで休んでいた。
きっと地域に溶け込んで、この彫刻はそれなりに幸せに過ごしているんだなと思う。
また必ず今度は主人とふたりあなたに会いに来よう。そしてあなたの前のベンチに二人で座って過ごしたいかな。