こつこつと積み上げた積み木を、なんの躊躇もなくだっと倒してケタケタと笑う。
幼い子どもたちをみているとよくみる光景だ。
壊すことが楽しい時期は、人生の中でかなり早くから始まる。
やりとりの中での喜びとしての破壊、
では、破壊ではなくじっくりと積み上げることに喜びを見出すのはいつのころからか?
おそらく喜びとしての積み上げも同じくらいに子どもたちは発見しているだろう。
ただ積み上げることは、壊すよりも多くの集中力と忍耐力が伴うことになる。
破壊も、積み上げも、そこに注目する他者を感じてこそ育つ行為に変りはない。
どちらも人間というものの中に内包されていると考えてよいだろう。
その中で、どちらを大切にして生きる喜びとするのか。
そこでも、やはり他者との関わりの経験が大切になるのだろう。
出来ることなら、集中力と忍耐力の結果を分かち合える喜びの人でありたいし、そういう子どもたちの喜びに付き合える大人でありたい。
大人になっても破壊し、奪う喜びを、優先する人々の姿は、悲しい。
木漏れ日を集めて薄紫の灯かりをともしたように咲くかたくり花のような、そんな姿が生きるかたちであったらいいなぁ~。