もし蛙のことばが理解できたら、これからしばらく退屈しないんだろうな。
そこらじゅうから聞こえて来る声
耳を澄ますと、いろいろな鳴きかたがあることに気がつく。
なかなか更新できないでいる。
もし蛙のことばが理解できたら、これからしばらく退屈しないんだろうな。
そこらじゅうから聞こえて来る声
耳を澄ますと、いろいろな鳴きかたがあることに気がつく。
なかなか更新できないでいる。
気がつくと11月。
とりあえず生き伸びて、“あるんだ”と実感する今から、振り返る夏と秋。
しんどかった気がするが、そのしんどさのリアルな実感は、すっかり薄らいでいる。
それでも忘れてはいない。
忘れるとおそらく私の今は、限りなく空虚になることを知っているから。
なかったことにしたい夏と秋が、
実は生きていることの実感と直結しているのだ。
いつものように歩く道の空気も、風も、頬に冷たく当たるようになったけれど、
忘れないために歩く。
そして生きている実感を今から明日へ、
つないで行こう。
こころが落ち着かなくなる忘れ物は、と聞かれたら?
1番は、腕時計
2番は、ipod tuch
3番は、・・・・・・・
時計を忘れた日の左手首は非常に寂しいものになる。
時計は、秒針のあるモノでないとだめ。
一秒、一秒、刻んで動くものがいい。
手首で脈を打つ命の音を、一秒、一秒、刻んで動く秒針で聴く。
時折、曖昧にあやふやになる自分という存在を、そんなふうに確かめて生きてきた時間があるような気がする。
冷たい空気の中、空を見上げて、流れていく星を数えるのは、かなり大変だけれど、
時間に流されないで時間を生きている自分を意識するのは、もっと大変なのかもなぁとか思ったりする。
ずっと、ブログを更新できずにいました。
忙しかった。
でもそれはまだ当分続くようです。
本意ではない仕事に本意ではない忙しさ。
それでもそれをしなければならない。
そんな日々も人生の中にはあるんだろうと言い聞かせている。
せめて、この時間が、何か実りをもたらすものであることを信じ祈っている。
明日は、本当ならば卒業式だった。
今頃、みんな何を思っているのだろう。
華やぐ時が寂しい時となってしまった。
新しい門出の前の儀式。それは、新しい一歩を踏み出すための踏み切り板のようなものだったのかもしれない。
せめて、心の中で、門出を祝いたいと思います。