
震災でなくなられた方の49日にあたります。内山節さんの呼びかけの日でありました。
以下、呼びかけ文の一節、引用させていただきます。
『古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。』
ささやかですが冥福を祈らせていただきました。
また、庭には花の種を植えました。
死に甲斐というものがあるとしたら、生き残った者がその死を無駄にせずに生きること。生き甲斐と死に甲斐は、あの世とこの世で、きっと呼応し合っているでしょう。
この間、自分にできることは何かずっと考えていました。でも何かよく分からないままです。昔から、優柔不断で出遅れるタイプですから。それでも、49日が過ぎました。次に向かわねばなりません。死に甲斐があったと、思っていただけるように。そして何よりも、自分自身が生き甲斐のある日々と実感できるように。