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こころが生ずる場

絵本のこと、日々の生活のこと、研究のこと、折々に書き留めていきます。OCNから引越しを命ぜられ移り住むこととなりました。

すてたもんじゃないかもね

2011-03-10 00:43:27 | こころに浮んだこと

ゼミ生さんたちが、やってきていた。

けれど私は、一日中会議、会議~会議への梯子中。

合間にすこしだけ話す。

失恋か、新しい恋の芽生えか・・・・・・、みたいな。

『10年後、お付き合いした人の顔さえ思い出せない』

とか、

『この人とこの人の間にいた人は、果たして誰だったのか・・・。』

そんな思い出し方よりは、

『切ない感情まで思い出せるような思い出のほうが、豊かかもね』

なんていう話し・・・。

『ほう。。。。。』

次の会議に向かうエレベーターの中で思った。

『人生のほとんどは、過去でできている』

そんなことばが自分の中から飛び出してきた。

こいばな話も捨てたもんじゃないかもね。


教訓にしておこうかな

2011-02-01 00:32:19 | こころに浮んだこと

わからないものは、わからないのだ。

わからないから、わからないといっている。

どうして言葉の通りに理解してはくれないのだろう。

わからないといったことを、批判されたのだ受け取とり、

怒るのは、

言い方が悪いせいか?

受け取る側の受け取り方の問題か?

 ひとつだけ・・・・・・・,わかるっていることがある。

考える者同士の対話のルールに、それは反しているだろうということ。

 わからない人にも、わかる言葉で話す努力は、必要だろう。

怒る前に。

他者の人格の問題にする前に。

自分の中の戒めにしておこう。


クリスマスのイルミネーション

2010-12-06 22:34:43 | こころに浮んだこと

 帰り道、毎日みるクリスマスのイルミネーションへのだんなさんの一言。

「ここのおうちのイルミネーションは、悪いけど飽きちゃたなぁ。毎年、同じなのはつまらないよね。人のお家のでもね~。なんか作り変えたくなっちゃうなぁ~」

かなりまじめな顔でいう。

それをみて思わず笑ってしまいました。

(この人の頭の中では、すでに他人のおうちのイルミネーションを作り変え、そのイメージが出来上がっている・・・・ようだ)

 ずっと一緒にいるけれど、この人の思考回路とだけは波長があわない。私とは全く異なっていて、予想もつかないようなことを真顔で言うのが、なんとも不思議でおかしい。

 ブログでは,だんなさんとか主人とかとりつくろって表現するが、ホントはずっと「おにいさん」と呼んでいる。名前で呼ぶことも年に何回かはあるが呼び捨てにしたことはない。

「おにいさん」にしては年取ったなぁ,とおもいつつ、「お父さん」にも「おじいさん」にもならない,のだなぁ、私たちの関係は・・・。ずっと二人と一匹の生活で、これからは二人,一匹が占めていた空間が、そう簡単に埋まらないことを私たちは知っているのだ。今年のクリスマスの喧騒は、いつにもなくさびしく聞こえるんだろうな。私にも、おにいさんにも。


鉄の塊になったロザリオは

2010-11-24 00:24:02 | こころに浮んだこと

新装版 さばくの きょうりゅう (講談社の創作絵本ベストセレクション) 新装版 さばくの きょうりゅう (講談社の創作絵本ベストセレクション)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2003-10-07

康 禹鉉(絵) 田島伸二(文)

人はなぜ争うのだろう?

破壊からは破壊しか生まれない。

このきょうりゅうのように、石になるしかないのだろうか。

 長崎で永井博士の奥様の鉄の塊になって残ったロザリオをみて以来、その物言わぬ塊が人の悲しみで満たされているように思えてならない。

ひとりひとりの悲しみに想いをめぐらす想像力のない社会に、人の幸せなど存在するはずもない。

 この絵本は韓国の方が絵を描いている。愛すべき故郷が傷つけられる様子をどんな思いでみていらっしゃるのだろうか。

砲弾で破壊される映像をみるだけで空しく、悲しい。


サルコーデ・人生、そんなふうに

2010-10-05 00:13:07 | こころに浮んだこと

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9月の間、長崎、岡山、青森と歩きに歩いてはっきりとしたことがひとつだけある。

多分、私という人間は、人に興味があるということ。

人が好きだからというのではない。むしろ、長いこと人は苦手の部類に入っていたはず。

人を観るのがすきなのだろう。

絵本という対象を通して、大人と子どもの活動を研究することを選んだのもまた、そのときには漠然としていたが、今思うと、そういう自分の好みから無意識に選択していたのだろう。

つまりは、

「分かち合うこころの心理学」をしていきたい(私が私として見つけ出した言葉としての、つまりそれに責任を持って生きるということ・・なんてえらそうにはとてもいえないけれど幾分でも・・)。

活動という理論は、つまりそういうことなんではないかなと思ったということ。

これからは、

サルコーデ・人生。

そんなふうに。

 As  I was going along long , long,

A-singing a comical song, song, song,

The lane I went was so long, long, long,

And the song that I sung was so long, long, long,

And so I went singing along.

 ゆくゆくあるいて ゆくとちゅう

 うたうたおかしな うたうたう

 ながながみちは ながながつづき

 ながながうたを ながながうたい

うたいながら いったのさ

          (谷川俊太郎訳)

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そういう意味でかどうかは???であるが,

「You are not alone」というJohn-Hoonさんの曲で、以下の一節が好きである。

喜びを分け合えば

When we share the joy 倍になる。

悲しみを分かち合えば

ぼくたちは幸せになる。

・・・・・

ただし、私は水瓶座なので、この歌の歌詞に「君を守る」とよく出てくるが、あんまり守られたくはない。

自分の足で立ち、自分の力で生きたい。

風のように自由に、何事にも縛られることなく。

(M3LuvCaNdyさんの映像をお借りしました)

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