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こころが生ずる場

絵本のこと、日々の生活のこと、研究のこと、折々に書き留めていきます。OCNから引越しを命ぜられ移り住むこととなりました。

旅の思い出:大阪

2006-08-08 00:01:54 | 旅行記

私にとって8月4日は魔の1日だった。4時28分発のなすのに乗るべく余裕で駅へ。ない・・・。あの電車がありませんけど・・・,「運休になりました。」・・・・・・・・・・・・・・

あの~,大阪行きたいんですけど,この切符はどうなるんでしょうか?・・・・「乗り継ぎできませんから」・・・だからあの~・・・「切符とりなおしですね」

(なんで運休したかぐらい説明しろよな)

という具合で結局,5時28分までまって新幹線に乗る。それから乗り継ぎ時間9分というせわしさで,6時13分ぐらいの東海道新幹線に乗り,あとは順調!!と思いきや,浜松を越えたあたりで新幹線がとまる。車両故障でさんざんまたされた挙句,浜松まで戻され強制的に降ろされ後続の電車を待つことになった。浜松から後続の新幹線はぎゅうぎゅう詰めで,これで新幹線なのか?と思ってしまった(指定券なんて意味ないじゃん)。大阪に着いたのは23時半頃でしょうか。なんと那須をでて7時間,大阪ってこんなに遠いところだっけ???たしか4時間ぐらいで着くはずじゃなかったのかなぁ。

 私の脳内辞書には不測の事態に備える,という余裕がありません。いつも,あ~,もうまにあわない!!って感じです。ですから,今回の不測の事態は痛かった。ホテルでパワーポイント作り直してなんて思っていたから,とんでもないことになりました。

・・・・・・・・・・

 会場で,たまたま性同一性障害の方の講演を聞いたのですが,聞きながら,私は「脳の勘違い」ということばがこころに浮かびました。とてもその場で質問することは出来ませんでしたが。頭で考える性と体の性が違う。どちらが本当の自分なのか?と悩む。でも,頭で考えられる性がやはり自分であるとこだわるようです。それが人間なんだろうなと。自分が思い描く実態のない性が自分の本当の性なのか,身体に備わっている実態の在る性が本当なのか?なにかとても切なく,辛い現実があるのだなと思われました。

・・・・・・・・・・

 病気で腕を失っても,脳は腕があるように感じる,それが幻肢である。それによって,『幻肢痛』に悩まされる。ラマチャンドランは鏡を使って腕があたかもそこにあるように見せる実験をして,脳をだましてみせました。

脳は勘違いする。

自殺しようと頭で考えても,その瞬間,体は生きようとしている,と玄侑宗久さんの本で読んだ。

であれば,勘違いする脳の考えにそんなにしばられなくてもいいんじゃないか?そう思えてしまう私がいる。

脳で考えることは,かなりあやしいぞ!という地点から考えた方がいいんじゃないのかな・・・と。

私の脳は勘違い脳だから,そんなに不一致感にこだわり固執しなくてもいいんじゃないかなぁ。それよりも,身体から響いてくる声にもっと勘違い脳は耳を傾けるようにした方がいいんじゃないのだろうか,と。


お出かけちゅうにつき

2006-08-04 14:25:49 | 旅行記

大阪方面に行ってきます。

つじつま合わせのような目一杯どんずまり状態を何とかしたいと思いつつ,なんともならずに中途半端にお出かけしてまいります。コメントはかえり次第,書かせていただきます。なにかいい出会いは待っていてくれるでしょうか????


ここはどこよ!!

2006-07-26 01:13:36 | 旅行記

 試験監督をした後,4時半ごろ学校をでて,大宮へ。6時から大宮のS大で保育巡回相談の研修会に参加する。終わったのが9時過ぎ,大宮の駅まで送ってもらった。後は那須塩原まで新幹線にのるだけ,だった。無事,電車に乗ったはず・・・。

ここどこよ~。

くまがやってどこなの?なに県なのよ????

Kokoha

ホームには誰もいない,もう10時だ。新幹線の最終は23分。大宮に戻れても,その先は・・・。たにがわってなに,しらないし・・・。

涙がごぼれそうになってしまったが,オロナミンC飲んでもちこたえる。何とかなるさ,みたいな。

とりあえず,次の日になってしまったが,家には帰れた。主人は,ただただあきれている。『だいたい,熊谷が何県にあるかぐらいかは常識だろ』と,きっと内心思っているに違いない。しかし,今そういうと,私の逆切れが恐ろしいから言わないと決めている様子である。それが,また,なんか憎たらしい気もする。にゃんとさっさと寝てしまった!私は,余韻で目が冴えてしまった。妖怪珈琲のせいかも,今日は微妙に位置が変わっていたみたいだし・・・。失敗するたび,これからはもっと落ち着いて冷静に行動しよう,と思うけれど,そそっかしいのは,治らないみたいだ。


天神駅のきつねさん

2006-03-26 17:45:12 | 旅行記

 中州川端駅の近くのホテルから,るるぶ片手に天神駅まで歩き,きつねというお店に潜入。途中,『大福亭』というお店を発見し,しかもそこには,auの携帯電話を持ったツマブキ君の可愛らしい笑顔の垂れ幕まで下がっていて,ものすごーく,後ろ髪を引かれたが,きつねさんへ入る。

中はこんな感じ。 Qdainomukitune3 Qdainomukitune2

鯨のお肉とか,昔はよくあった鯨ベーコンなんかが添えられた,海の幸を堪能してきた。若い保育の先生は,鯨ベーコンの存在を知らなかった。複雑な表情で食べていた。私は食べない。昔から,きらいだったから。鯨のお肉も,あまり好んでは食べない。でも,父が昔,お酒のつまみに晩酌していたのを覚えていて,懐かしかった。

ちなみに,わたしは,焼酎は飲めない。日本酒の方が好き,ビールは,味の区別がつかないかも知れない。そして,ほとんど飲めない?しかし,連れの方たちはウワバミ少年,少女のようだった。クワバラ・クワバラ,である。


旅先にて2:角野栄子さんのイブニングレクチャー

2006-03-26 17:24:04 | 旅行記

『絵本の表紙と扉』

 九大で,角野栄子さんのイブニングレクチャーがあった。

楽しみにしていたが,所属している発達障害の分科会総会で最初から参加することができなかった(出るんでしょうね!あなた,と睨みをきかされるとハイ,とか言ってしまう。かなしい)。

ほとんど,終わりしか聞けなかったのだか,このようなことばが飛び込んできた。

 『とびらを開けて,ファンタジーの世界へ』

本の表紙を『とびら』と表現する国は,日本とあともうひとつぐらいなのだそうである。

そのとき,角野さんは,『勝った!』と思ったそうである。私も,勝った!と思った。何にかわからないけど・・・。

 絵本を手にし,その扉を開いた瞬間から,その人のファンタジーの世界が開かれる。扉を開いて旅に出るように,絵本の表紙を開いて,ファンタジーの世界を旅するのだ。角野さんは5歳でお母さんを亡くしたのだそうだ。お父さんが,お盆にお線香をたむけ,煙を見ながら,「お母さんが迷わないように」とかいうのを聞いて,子ども心に目に見えないけど,お母さんはここにいるのか?とか思ったのだそうだ。それが,角野栄子さんのファンタジーの旅の始まり。つまり,悲しみがファンタジーの扉を開いたことになるのだろう。

何か,不思議で,そして感慨深い。ジーンとこころに熱いものを感じる。

 悲しみやつらさ,そして苦しみは,時にそうした力を持つのだろう。

『風景のあることばを・・・。』

つまり,本は,舞台と舞台装置だ。そして演じるのはその本の登場人物と,とびらを開いたあなた自身なのだ!本のテキストは不変,しかし旅する人によってその本の1ページ,1ページに描かれた意味の世界は,異なるということなのだろう。

そんなふうに,聞こえてくる公演だった。風景のある文章,今,角野さんが一番にイメージできるのは,アンデルセン作『絵のない絵本』だそうだ。私も,もう一度,『絵のない絵本』を旅してみたい。

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