
長男が中学生の時、中国のある友好都市へ
訪中団の一員として、参加する機会を得ました。
来たる出発までには、学校へ提出する書類があり
その際、提出先の校長先生に、軽い気持ちで書いた拙い手紙を添えました。
書類のチェックのお願いや何かと御配慮いただいた御礼・・その程度の内容でした。
ところが、校長先生からは、上・画像のような手紙をいただいたのです。
当時・この一通の手紙は、誰に語るでもなく私を
ひっそり一人で感じる、晴れがましい思いにしてくれました。
どちらかと言うと前面に出れない性格で、
特にPTAなどでは、常に隅っこに居て目立たない存在の私ですから・・
校長先生から、これほど心を籠められた便りを、受け取るとは考えられなかったのです。
長男の通う中学校は、県下でも指折り?のマンモス校。
でも残念なことに、男生徒の非行が顕著で、抜きん出て有名でもありました。
一部生徒が原因で、授業崩壊・・先生が病気になったり、
自信を失くし、辞職を余儀なくされた教師もいました。
なにがそうさせたか・・知る由も無いのですが・・
時代だったのでしょうか。
16日の記事の大人になれない20歳より
ずっと手に負えない、年中ワルが君臨していました。
校長先生は、多くのPTAから支持をされていたと聞きます。
校長室を開放して
「いつでも開いている、来る人拒まず話がしたい・いつ何時でも校長室へ・・」
とのことでした。
悩める父兄や役員の方々が、多く通われたとも聞きました。

そして、今は遠い昔・・当時の話・・
ある親しい役員の方に、語られたらしい校長先生の一言。
「テメェの息子さえ、まともに教育できない人間が校長をやってるとは・・」
と、自嘲気味に言われたそうです。
校長としての立場と、父親という位置にいて・・・
非行の子供に悩まれる校長先生の一面を知りました。
私などには、雲上人だった先生が、
校長室を開放して、降りて来ていた?のだと気がついたのは
長男の卒業間際、非行の子供さんがいるというのを知ったその時でした。
思いついた時だけど、古い思い出の箱を、紐解くことがあります。
そう言えば、訪中団の壮行会で、校長先生に御挨拶した折に言ったことが・・
「先生に、いただいたお手紙は、我が家の家宝にします」・・と。

