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和貴の『 以 和 為 貴 』

大阪経済と日本

『大阪経済がよくならないと日本の経済全体がよくならない。』

これは私の持論ではありますが、歴史を紐解けばその謎は解けます。

そして経済の仕組みというものは、そんなに難しいものではありません。

私は数字が苦手であります。しかも横文字が苦手であります。「マクロ経済」って何のこっちゃ?始めはマグロを食い続けると景気が良くなるんかい?と本気で思っていました。


それはさておき、経済とはそんなに難しいものではないのに、国民をはぐらかすため、官僚や知識人がわざと訳のわからない横文字や用語を多用しているだけなのです。さらにいえば経済というものを、政治が深く関与してはなりません。



では私なりに経済についてお話してみます。(高卒者が語る経済学)

1、そもそも経済って何?

経済という言葉の由来は、支那の古典に登場する「経世済民(ケイセイサイミン)」という 語で、「世を経(オサ)め、民を済(スク)う」から来ていますが、わが国においては経世済民ではなく"経国済民"と言われていたようです。

国というのは、現代の日本国のようなものではなく、大和国や武蔵国や越後国など、小さな単位のものでした。そして民というのは国民ではなく領民のことであります。

従ってわが国の経済とは、藩(国)がその領民を救済するためにとられた政策のひとつだったわけであります。

しかしながら元よりわが国には自国通貨もあり、生産や物流による売買は確立されてましたから、現代のような政治的な背景の経済ではありませんでした。

生産や物流による大規模な売買を商人たちが一手に賄い、財を分配する仕組みがわが国における経済の仕組みだったのです。

支那から伝わった経世済民ではありますが、わが国においてその言葉が浸透されはじめたのは、江戸時代後期であり、本格的な政府主導の経済というのは明治以降のことであります。


廃藩置県や士農工商の廃止、中央集権化への大改革により、現代における経済基盤が構築されました。

商人と呼ばれる人たちは大改革の後、財閥家となり、戦中戦後のわが国の政界や財界に大きな影響を与えることになります。

この明治大改革における商人の意識の変化にも注目しましょう。

江戸時代の商人たちは、その財を広く領民に分配することから、金銭面ではかなり恵まれておりました。大きな屋敷に大きな倉を構え、女中や世話人を抱え、まさに豊かな暮らしだったと思います。しかしながらその身は控え目であり、士農工商と言われるように身分自体は末端でありました。江戸時代の商人には儒学や朱子学などを学ぶ者も多く、商人としての哲学を築いてきました。
過去の私のGREE日記にも紹介させて頂いておりますが、石田梅岩や渋沢栄一などはその代表的な人物であります。

このように経済を語る上で、まずはわが国の歴史を知る必要がありますが、明治以降の資本社会はそれを許さず、ただただ目先の利益追求に酔いしれ、贈収賄や汚職など、利権の奪い合いに陥ってしまっているのが現在わが国における経済の一般的な仕組みであると私は考えています。


2、経済により國民の暮らしは良くなるの?

前述はわが国における経済についての歴史をザックリお話させて頂きましたが、とは言っても、現在の日本社会は自由資本経済が支配していますから、法に抵触しない限りの不徳な行いは許容されつつあります。


「勝つため、儲けるためならば手段は選ばない」精神には本当に頭が下がる想いであります。

財を多く所有することで豊かな暮らしが出来ます。資本社会ですから金が全てなのです。使い方も様々であります。海外旅行に高級外車、外国製ブランド品を身に纏い、子供には海外留学、そしてパーティー三昧・・・、現在の自由資本社会ならば暮らしは必ず良くなるでしょうから、是非とも頑張って頂きたいです。


ちなみにわが国の経済の中心は投資であります。その時その時に見合った質の良いと思われる企業の株を購入し、あとはその株価の売りの時期を見極めて頂ければ良いだけのことです。投資は本業の合間にでも出来るサイドビジネスとして活用可能であります。


一億二千万総国民が投資に成功すれば、本業も辞めて暮らしはより良くなること間違いなしであります。

そして、人員が不足した業種については、外国の方々に任せれば良いことですし、暮らしが良くなった日本国民は、国内で働く外国人労働者の代わりに、海外諸国に対する国際貢献に努めていけばいいのです。

これらは現在、日本政府や関係官庁などがこぞって推進しているものであり、是非とも励んで頂きたいものと思いますニッ


3、大阪経済が良くなれば日本が良くなる?

さて本題に入りたいと思いますが、かつて大阪は日本経済の中心と言われた時期がありました。


政治は江戸(東京)、経済は大坂と呼ばれ、永きに渡り大阪経済は繁栄していました。現在に残る商店街はまさに大阪が発祥であり、スーパーや百貨店も発祥であります。さらには財閥の多くも大阪が発祥でありました。


商業地や住宅地や工業地もきちんと区分けされ、大阪商人たちが他にない独自の都市を構成していました。

そんな大阪経済ではありましたが、やはり東京集中という時代の流れ(←あまり使いたくない言葉ではありますが)には勝てず、少しずつ大阪から東京へと移転する企業が後を断たなくなっていきます。


その理由には色々考えられますが、ここで指摘するつもりはありません。

重要なのは、現在大阪が抱える問題こそが、大阪経済の発展を足止めしているからであります。


それまで大阪経済を担っていた企業が中央へ進出してしまうと、経済分野を行政が担当せざるを得なくなりますが、それが長く大阪経済が発展しない最大要因だと私は考えています。

市や府が担う経済効果は、当初のうちはバブル景気の恩恵もありました。莫大な税金を使い第三セクターと言われるハコモノを次々建設、さらには関西国際空港建設に伴うりんくうタウン開発、そして五輪招致など、市も府も莫大すぎるともいえる税金を投入してしまったのです。


大阪に資本を置く企業に対する投入であれば話は分かりますが、東京資本の企業や、その他資本の企業に対し税金を投入しても、大阪府民に還元されるはずもないのですから、バブル崩壊後の大阪は、いまだその後遺症に苦しんでいるわけであります。

こうした例は大阪だけではありませんが、世界的な博覧会を二度も行い、日本経済の中心は大阪だと、世界の国々にアピールしていたことを考えますと、現在の大阪経済の疲弊ぶりは、まさに悲劇と言えます。

大阪近郊の自治体はさらに悲惨さを増していますが、先見性のある自治体(京都や滋賀)などは、早々に切り替えているようですが、奈良や和歌山に至っては大阪に依存することしか出来ず、そのため人口は流出し、高齢化が進み、産業も衰退しています。

大阪は再起をかけ、関西国際空港建設や南港の開発を急ぎましたが、企業が戻ってくることはありませんでした。残ったものは負の財産ばかりというものです。

大阪維新の党・橋下市長が目指す二重行政の廃止と大阪都構想は、ある意味魅力的な要素はあるでしょうが、その先のビジョンがまるで真っ暗闇であり、この都構想が大阪行政の中に経済を取り入れるものとするならば、行政と経済の二重構造となり、ほとんど何も変わることはないと思います。

日本の企業は、大阪を重要視していないことが、企業が大阪に戻ってこない最大理由でありますが、都構想よりももっと大事なことがあるということを、橋下市長や大阪府民の皆さん方には是非とも考えて頂きたいと思います。

大阪が経済の中心を担っていた頃の我が国は、政治と経済がきちんと役割を果たしていました。


行政が企業に口を出さず、企業も行政に口を出さない、それが可能だったのは、互いに秩序に従い、不正がなかったことを意味します。


おわりに、かつて大阪商人たちが独自の哲学と知恵を以て永くわが国の経済都市として発展させてきた大阪ではありますが、再び蘇ることを心から願います。


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