和貴の『 以 和 為 貴 』

個性も大事だが、感性はさらに大事!


その時代を創り出す原動力ではあるが、また逆に何者かによって、いいように利用される。

それが若者だ。

いつの時代もそれは変わらることなく、テレビもネットもない時代は新聞が彼らを動かし、テレビが普及すればテレビが彼らを動かし、ネットが普及されればネットが彼らを動かすのだ。

とくに戦後は、ネットが普及される50年以上もの永きに渡って、テレビやラジオから流れてくる耳障りのよいフレーズに彼らは耳を傾けた。

もし仮にテレビやラジオが流す情報が、戦前の古臭いものだとすれば、彼らは耳を傾けたりはしなかっただろう。

そのことを、何者かたちはきちんと理解していたのだった。

何者か」というと、すぐに「陰謀論か!」とか言われるかもしれないが、筆者はどのように言われようとも構いはしまい。

ひとりのひとりの感性の問題だからだ。

個性だ、個性だ、といいながらも"空気の支配"には逆えないのもまた、若者たちなのだ。

そんな筆者も、ほんの20年ほど前は若者だった。

いまでは自分の"死"を意識しながら日々を過ごす身であるが、やはりこの国や未来の子孫たちのことを想うと、どうしてもペン(キーボード入力)を止めることができない。

思いやりだとかそんな耳障りの良い胡散臭いものではなく、先人・先祖に対する感謝と反省から生まれる真心からであろう。

いまではネット主流派の「自分たちこそが中心だ!」の若者たちと、テレビ・ラジオ(新聞も含め)主流派の「自分たちこそが中心だ」の高齢者(いまでも若者)たちとのいがみ合いが続いている。

それもこれもみな、何者かが仕掛けたことも分からずにだ。

仮に分かっていたとしても、結局のところは"空気の支配"には逆らうことができないでいる。

個を大事にしよう!とか言いながらも所詮は全体主義者なんだから、笑いが止まらん。
 
だから言いたい。


 「個性も大事だが、感性はさらに大事!」だと。

 
でなければ、自分たちがいずれ高齢者(そのときも若者?)となったとき、現在と同じように(次世代の)若者たちといがみ合うという事態になるやもしれない。


※ 今回は生意気にも先輩面して敬語を省いてしまったことに反省・・・。




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