只今家庭犬輸送中!

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世良田東照宮と長楽寺

2019-07-17 17:45:31 | ユリィ&ベッカム
寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。同21年(1644)10月11日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社でも高禄の200石の御朱印が寄せられた。以後、大小15回による社殿の修復は幕府の財政により賄われて来、世に 「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と俗謡を生んだ。

本殿ですが、当宮創建時に造営され、伝左甚五郎作、狩野探幽彩画の彫刻「巣籠りの鷹」が参拝者の家内を守護してくれます。
さっきの記事では記念写真に撮った門は、江戸時代家康公薨去日4月17日・正月17日開扉された。また、地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると伝えられてるそうです( ゚_ゝ゚)ノ


こちらの灯籠ですが、元和4年(1618)総社藩主秋元越中守長朝の命により造られた、高さ4.95mの当時とすると 日本一大きい鉄燈籠です!(*´ェ`*)っ
明暦4年(1658)当宮へ奉納される。

そしてこちらはその世良田東照宮と隣接している長楽寺!

1221年(承久3年)世良田義季の開山、臨済宗の僧栄朝を開山として創建されたという。早い時期から官寺として扱われていた。
室町時代初期(南北朝時代)には室町幕府から関東十刹のひとつに列せられた。
鎌倉時代の開基~江戸時代までは新田家および足利家(鎌倉公方)の帰依を得、臨済宗関東十刹中でも大寺院であったそうな( ´∀`)

長楽寺、、、なんかフラッと寄ったのですが、凄いパワーを感じた…………((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
ちなみに関東十刹とは、関東にある臨済宗の十個のお寺の事ね。
禅興寺、瑞泉寺、東勝寺、万寿寺、大慶寺、興聖寺、東漸寺、善福寺、法泉寺、長楽寺の十寺なんだってさ(⌒0⌒)/~~


シャンプーしたての犬散歩でした!

余談ではありますが、近くには『縁切り寺』というお寺もあるよ~!

新しく出来た上武大橋。

こっちのアーチ状の橋は旧上武大橋です。

狭かったんだよねぇ。
大型トラックで通ったことあったんだけど、狭くて怖い橋でした(笑)

今は広々~ヾ(・∀・)ノ

群馬県の徳川ゆかりの地、東照宮を歩いてみた!

2019-07-17 06:17:38 | ユリィ&ベッカム
セルフシャンプーの帰り道。。。

東照宮へ寄ってみたよ( ´∀`)
東照宮っていっても、あの日光にある東照宮ではなくて、群馬なんだけどね( ´,_ゝ`)
なんでも群馬県の東照宮は徳川氏発祥とか言われてます。

ここは車を清める場所。

ユリィとベッカム、そして優澄で来た記念写真Σp[【◎】]ω・´)


なぜここが徳川氏発祥の地と言われているのかと云いますと、徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘の内、当地「世良田」 他5カ郷を譲り受けた子の義季である。義季は5カ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、 徳川義季と称した。承久3年(1221)世良田郷を開発した義季は臨済宗長楽寺を開基し、世良田の義季とも称された。寛元4年(1246)頃、亡くなり同寺境内に葬られた。その後、頼氏・教氏・家時・満義と後継。 次の政義・親季・有親は、南北朝時代に南朝方として活躍したが、9代目の親氏に至り北朝の猛勢により徳川郷を追われ同志 や一族の居所を頼りに出国。諸国を流浪の後、松平郷に身をよせ郷主在原信重に入婿し、松平親氏と称した。 それから7代を経て家康公は誕生した。家康公は三河一国を統一した25歳の時、松平姓から 徳川・世良田を開発した徳川義季にあやかり、徳川に復姓した。
また松平家二代泰親は世良田三河守、同三代信光は世良田二郎三郎、同七代清康は世良田次郎三郎、家康公第四子忠吉は世良田下野守、尾張家三代綱誠は元服時に世良田、徳川七代将軍家継は幼名時に世良田鍋松君と先祖の姓である世良田を称していた。 

東照宮の説明です(*´・ω・`)b


縁結び門だって~(°▽°)

まだ続くよ(o゚з゚o)ノ