カナダの至宝、Rush(ラッシュ)。日本には一体どれくらいのファンがいるんでしょう?
「Rushファンだ!」という方は相当マニアの方が多いと思う。私なんか全然難しいことわかんないし、歌詞はちゃんと読まないし、弦楽器やドラムはわからないから、全然詳しくない部類に入ると思います。
日本にはファンが少ない(他国に比べて、ね)ためか、Rushはたった1度の来日公演を1984年に行ったっきり、日本には来ていないんです(※1)。
つんでくる機材が多すぎるので、そこそこ大きなステージと、その費用をペイできる&そこそこ大きなステージを持つ大きなホールをいっぱいにできるくらいの観客動員ってことを考えると、どうしても日本で公演をすると大赤字になってしまうため、来なかったのでしょう(※2)。
しかし、昨年、『Snakes & Arrows』をリリースし、伊藤政則氏がしきりに「来日があるかも!」とか言っているらしいので、否が応にも期待が高まっちゃいます、来日公演の。
マジで、お金と暇が同時に出来て、そのタイミングでRushのライヴが観れる場所が合ったら、遠征しようと思ってましたもん。まぁ、近畿日本ツーリストのツアーを利用するという手もありますが。
まぁ、何が言いたいかっていうと、今年中に来日公演があるかと思うと、わくわくどきどきしてますねん!ってことです
では、上の写真にそってメンバー紹介をしていきますと(今回はかなり古いメンバー・ショットですが・・・)
<L→R>
Alex Lifeson(アレックス・ライフソン、G.)
ニックネームは”Lerxst”。本名はAlexander Zivojinovich、セルビア系カナダ人。Zivojinovich=生命の子=Lifeson、ってことなんだって。
Rushの唯一無二のギタリスト。正直言っちゃうと、ギターヒーロータイプではない。でも斬新かつ緻密なテクニックを持っていて、プロが聞いたらたぶんすごいギタリストなんだろうと思います(素人の私には「これってたぶん難しいんだけど、めっちゃサラっと弾いちゃってるなー」って程度しかわかりません)。
Neil Ellwood Peart(ニール・パート、Dr.)
ニックネームは”The Professor”。
Rushの曲のほとんどの詩はThe Professorによって書かれている。これが、詩のセンスが全くなく、難しい英語がわかんない私には難しすぎて意味不明なんだなー。
難しいといえば、彼のドラムプレイも難しい。だって、360度ドラムセットだもん、どうやって叩くねん!って感じ。え?想像つかないって?じゃ、イメージをどうぞ!
爆!!ありえへん!ドラムセット、セット完了!ってなったら出入りができないって(笑)。でも、1度も叩かないキットはセットしないというポリシーなんだとか。
全てのMusicianから尊敬されるべき、緻密テクを持ち、Powerfulなプレイを聞かせる完璧なドラマー。『School of Rock』という映画でも先生(ジャック・ブラック)がドラムの子どもにRushのCDを渡しながら「このバンドのドラマーは最高だ!手本にしろ!」みたいなこと言ってたなぁ。
Geddy Lee(ゲディ・リー、B.、Vo.、Key)
ニックネームは”Dirk”。
Rushの唯一無二のBassistでありながら、1人4役をこなす職人。顔も職人って感じだよね。何が4役かっていうと「①歌いながら②Bassを弾きつつ、③Keyboadも弾いて、④フットペダルでMIDIコントロールのキーボードも弾いている」という変態(笑)。80年代以降はシーケンサー(自動演奏)も多用するようになったけど、自分で演奏できる限りはしたいらしい。まさしく、リード・ベースといった感じで動き回るベースラインは躍動感たっぷりです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、Rushとの出会いは大学生になってしばらく経ったころ・・・だいぶクラスメイトやサークル友達とも仲良くなり、自分の趣味などを徐々に晒したあたり。
当時、軽音サークルでギターを弾いていたクラスメイトとRock話で盛り上がっていた時の話。
私が「最近、Dream Theaterがお気に入りなの~」と言うと、即座に
「じゃぁ、Rushって聴いたことある?」って言われ、「??なにそれ?」状態でした。
「ハード・ロックとかヘヴィメタって感じじゃなくて、プログレ寄りなんだけど、とにかく最高だから!たくさんアルバム出しているんだけど、その中でも聴きやすくて、かつ最高傑作の2枚を貸してあげるから、聴いてみなよ。」
と彼から薦められ渡されたのが以下の2枚。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もう、いい加減長くなってきたので、レビューは次回にしますけど、このアルバムたちを最初に聴いた時は正直「はぁ?」って感じだったのね、だって、それまでメタルやハードロックしか聴いてなかったわけだから。
で、プログレっていっても、今となっちゃー、この2枚はだいぶ軽いもんだけど、当時の私としては、「うへぇ~、これがプログレかぃ!」と”YYZ”を聴いた時に思ったものでした、そう、確かにとっつきにくかった。
でも、そのクラスメイトの彼が猛プッシュをしてくるもんだから(しかもその彼は当時学内で一番ギターが上手かったであろうという妙な納得感もあり)、何度も何度も聴いたのよ。そしたら、あら不思議。いつの間にかRush中毒に。それからはこの2枚のアルバムをかわるがわる毎日ヘヴィロテ。メロディを口ずさみ、手でパンパンとリズムを取りながら一生懸命聞いたものです。端から見たら危ない女子学生です。
それからというものの、大学時代4年間で、高校生んときにAerosmithに出会って以来、一生私のFavorite BandはAerosmithなんだろうなぁとおぼろげながらに思っていたのが、ガラガラと崩れ去りました。そりゃ、Aerosmith(Joe Perry)は大好きだけど、私の中では殿堂入りしてしまっていて、それ以外だったら私の一番好きなバンドは?って聞かれたら
「Rush!」
って即座に答えると思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、Rushはデビュー当時はLed Zeppelinのまねっこバンドとしてデビューしました。その後、プログレ色に目覚めて、カラフルなKeyをフィーチャーしたポップになって、原点回帰をしつつ、現在のRushに至る、みたいな時代の変遷とともに、微妙に(というか私にとっては相当大きな)変化を繰り返してきている。
私が一番好きなのは上記アルバム2枚の時代と、シンセ多用時代(というかアルバムで言うと『Power Windows』なんだけど(笑))。
The early years (1968–1976)
『Rush』~『Caress of Steel』の3枚。Zep色が濃い。ライヴアルバム、『All The World's A Stage』で締め。
The progressive rock era (1977–1981)
私の解釈で申し上げると『2112』~『Hemispheres』の3部作が前半、
『Permanent Waves』と『Moving Pictures』が後半2大作品かなぁと。
で、ライヴアルバム『Exit...Stage Left』で締め。
The synthesizer period (1982–1989)
『Signals』、『Grace Under Pressure』が前半で
『Power Windows』、『Hold Your Fire』が後半、ライヴアルバムの『A Show of Hands』で締め。
Returning to their roots (1989–1997)
『Presto』~『Test for Echo』の4枚。
なぜ、1997年で途切れているかというと、それ以降、ニール・パートに相次ぐ悲劇(※3)が起こり、休暇(というかBMWの自転車に乗って88,000kmこぎまくるという旅に出ていたからなのだが)を取っていたから。
Hiatus and comeback (1997–2005)
2002年『Vaper Trails』をリリースし、復活。
しかし、ライブアルバムやDVDを出しまくり、アルバムはというと『Feedback』という完全に彼らの趣味のカバーアルバムを出すなど、オリジナル・アルバム全然でなかった時代。
Snakes & Arrows (2006–present)
2007年『Snakes & Arrows』、ライブアルバム・ベストアルバムを除き、『Feedback』を入れると19枚目のフルレンス・アルバムとなりました。
あくまで整理するための区切りなので、人それぞれの解釈があると思いますが、私は上記解釈(ソース元はWiki)で合っているのかなぁと思うなぁ。
では、次回の記事から(いつのなるかわかりませんが)アルバム紹介をしていこうかなぁと。
←「私もRushファンなんだー!」という方、よろしければクリックとコメントをお願いデス
ほんと、どれくらいRushファンがいるか、わからんので・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
※1
1984年11月16日 名古屋(瀬戸市文化センター)、同18日 福岡(サンパレスホール)、同20日 大阪(府立体育館)、同21日 東京(日本武道館)ってスケジュールでした。。。っていうか、瀬戸市文化センターと日本武道館のギャップって何??(笑)
※2
1984年に行った来日公演でのオーディエンスの反応があまりにも鈍く(ノリが悪く)、それが気に入らなかったらしい、という説もある。
※3
1997年の夏、ニール19歳の娘が交通事故死。10ヵ月後の翌年6月、22年連れ添った妻ともがんにより死別。ニールは、娘の死で心を痛めた母(妻)による”無関心のゆっくりとした自殺”である(がんの治療をしなかった?)と著書で語っている。
「Rushファンだ!」という方は相当マニアの方が多いと思う。私なんか全然難しいことわかんないし、歌詞はちゃんと読まないし、弦楽器やドラムはわからないから、全然詳しくない部類に入ると思います。
日本にはファンが少ない(他国に比べて、ね)ためか、Rushはたった1度の来日公演を1984年に行ったっきり、日本には来ていないんです(※1)。
つんでくる機材が多すぎるので、そこそこ大きなステージと、その費用をペイできる&そこそこ大きなステージを持つ大きなホールをいっぱいにできるくらいの観客動員ってことを考えると、どうしても日本で公演をすると大赤字になってしまうため、来なかったのでしょう(※2)。
しかし、昨年、『Snakes & Arrows』をリリースし、伊藤政則氏がしきりに「来日があるかも!」とか言っているらしいので、否が応にも期待が高まっちゃいます、来日公演の。
マジで、お金と暇が同時に出来て、そのタイミングでRushのライヴが観れる場所が合ったら、遠征しようと思ってましたもん。まぁ、近畿日本ツーリストのツアーを利用するという手もありますが。
まぁ、何が言いたいかっていうと、今年中に来日公演があるかと思うと、わくわくどきどきしてますねん!ってことです
では、上の写真にそってメンバー紹介をしていきますと(今回はかなり古いメンバー・ショットですが・・・)
<L→R>
Alex Lifeson(アレックス・ライフソン、G.)
ニックネームは”Lerxst”。本名はAlexander Zivojinovich、セルビア系カナダ人。Zivojinovich=生命の子=Lifeson、ってことなんだって。
Rushの唯一無二のギタリスト。正直言っちゃうと、ギターヒーロータイプではない。でも斬新かつ緻密なテクニックを持っていて、プロが聞いたらたぶんすごいギタリストなんだろうと思います(素人の私には「これってたぶん難しいんだけど、めっちゃサラっと弾いちゃってるなー」って程度しかわかりません)。
Neil Ellwood Peart(ニール・パート、Dr.)
ニックネームは”The Professor”。
Rushの曲のほとんどの詩はThe Professorによって書かれている。これが、詩のセンスが全くなく、難しい英語がわかんない私には難しすぎて意味不明なんだなー。
難しいといえば、彼のドラムプレイも難しい。だって、360度ドラムセットだもん、どうやって叩くねん!って感じ。え?想像つかないって?じゃ、イメージをどうぞ!
爆!!ありえへん!ドラムセット、セット完了!ってなったら出入りができないって(笑)。でも、1度も叩かないキットはセットしないというポリシーなんだとか。
全てのMusicianから尊敬されるべき、緻密テクを持ち、Powerfulなプレイを聞かせる完璧なドラマー。『School of Rock』という映画でも先生(ジャック・ブラック)がドラムの子どもにRushのCDを渡しながら「このバンドのドラマーは最高だ!手本にしろ!」みたいなこと言ってたなぁ。
Geddy Lee(ゲディ・リー、B.、Vo.、Key)
ニックネームは”Dirk”。
Rushの唯一無二のBassistでありながら、1人4役をこなす職人。顔も職人って感じだよね。何が4役かっていうと「①歌いながら②Bassを弾きつつ、③Keyboadも弾いて、④フットペダルでMIDIコントロールのキーボードも弾いている」という変態(笑)。80年代以降はシーケンサー(自動演奏)も多用するようになったけど、自分で演奏できる限りはしたいらしい。まさしく、リード・ベースといった感じで動き回るベースラインは躍動感たっぷりです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、Rushとの出会いは大学生になってしばらく経ったころ・・・だいぶクラスメイトやサークル友達とも仲良くなり、自分の趣味などを徐々に晒したあたり。
当時、軽音サークルでギターを弾いていたクラスメイトとRock話で盛り上がっていた時の話。
私が「最近、Dream Theaterがお気に入りなの~」と言うと、即座に
「じゃぁ、Rushって聴いたことある?」って言われ、「??なにそれ?」状態でした。
「ハード・ロックとかヘヴィメタって感じじゃなくて、プログレ寄りなんだけど、とにかく最高だから!たくさんアルバム出しているんだけど、その中でも聴きやすくて、かつ最高傑作の2枚を貸してあげるから、聴いてみなよ。」
と彼から薦められ渡されたのが以下の2枚。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
Moving PicturesUniversalこのアイテムの詳細を見る |
Permanent WavesMercuryこのアイテムの詳細を見る |
もう、いい加減長くなってきたので、レビューは次回にしますけど、このアルバムたちを最初に聴いた時は正直「はぁ?」って感じだったのね、だって、それまでメタルやハードロックしか聴いてなかったわけだから。
で、プログレっていっても、今となっちゃー、この2枚はだいぶ軽いもんだけど、当時の私としては、「うへぇ~、これがプログレかぃ!」と”YYZ”を聴いた時に思ったものでした、そう、確かにとっつきにくかった。
でも、そのクラスメイトの彼が猛プッシュをしてくるもんだから(しかもその彼は当時学内で一番ギターが上手かったであろうという妙な納得感もあり)、何度も何度も聴いたのよ。そしたら、あら不思議。いつの間にかRush中毒に。それからはこの2枚のアルバムをかわるがわる毎日ヘヴィロテ。メロディを口ずさみ、手でパンパンとリズムを取りながら一生懸命聞いたものです。端から見たら危ない女子学生です。
それからというものの、大学時代4年間で、高校生んときにAerosmithに出会って以来、一生私のFavorite BandはAerosmithなんだろうなぁとおぼろげながらに思っていたのが、ガラガラと崩れ去りました。そりゃ、Aerosmith(Joe Perry)は大好きだけど、私の中では殿堂入りしてしまっていて、それ以外だったら私の一番好きなバンドは?って聞かれたら
「Rush!」
って即座に答えると思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、Rushはデビュー当時はLed Zeppelinのまねっこバンドとしてデビューしました。その後、プログレ色に目覚めて、カラフルなKeyをフィーチャーしたポップになって、原点回帰をしつつ、現在のRushに至る、みたいな時代の変遷とともに、微妙に(というか私にとっては相当大きな)変化を繰り返してきている。
私が一番好きなのは上記アルバム2枚の時代と、シンセ多用時代(というかアルバムで言うと『Power Windows』なんだけど(笑))。
The early years (1968–1976)
『Rush』~『Caress of Steel』の3枚。Zep色が濃い。ライヴアルバム、『All The World's A Stage』で締め。
The progressive rock era (1977–1981)
私の解釈で申し上げると『2112』~『Hemispheres』の3部作が前半、
『Permanent Waves』と『Moving Pictures』が後半2大作品かなぁと。
で、ライヴアルバム『Exit...Stage Left』で締め。
The synthesizer period (1982–1989)
『Signals』、『Grace Under Pressure』が前半で
『Power Windows』、『Hold Your Fire』が後半、ライヴアルバムの『A Show of Hands』で締め。
Returning to their roots (1989–1997)
『Presto』~『Test for Echo』の4枚。
なぜ、1997年で途切れているかというと、それ以降、ニール・パートに相次ぐ悲劇(※3)が起こり、休暇(というかBMWの自転車に乗って88,000kmこぎまくるという旅に出ていたからなのだが)を取っていたから。
Hiatus and comeback (1997–2005)
2002年『Vaper Trails』をリリースし、復活。
しかし、ライブアルバムやDVDを出しまくり、アルバムはというと『Feedback』という完全に彼らの趣味のカバーアルバムを出すなど、オリジナル・アルバム全然でなかった時代。
Snakes & Arrows (2006–present)
2007年『Snakes & Arrows』、ライブアルバム・ベストアルバムを除き、『Feedback』を入れると19枚目のフルレンス・アルバムとなりました。
あくまで整理するための区切りなので、人それぞれの解釈があると思いますが、私は上記解釈(ソース元はWiki)で合っているのかなぁと思うなぁ。
では、次回の記事から(いつのなるかわかりませんが)アルバム紹介をしていこうかなぁと。
←「私もRushファンなんだー!」という方、よろしければクリックとコメントをお願いデス
ほんと、どれくらいRushファンがいるか、わからんので・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
※1
1984年11月16日 名古屋(瀬戸市文化センター)、同18日 福岡(サンパレスホール)、同20日 大阪(府立体育館)、同21日 東京(日本武道館)ってスケジュールでした。。。っていうか、瀬戸市文化センターと日本武道館のギャップって何??(笑)
※2
1984年に行った来日公演でのオーディエンスの反応があまりにも鈍く(ノリが悪く)、それが気に入らなかったらしい、という説もある。
※3
1997年の夏、ニール19歳の娘が交通事故死。10ヵ月後の翌年6月、22年連れ添った妻ともがんにより死別。ニールは、娘の死で心を痛めた母(妻)による”無関心のゆっくりとした自殺”である(がんの治療をしなかった?)と著書で語っている。
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