日記録 -日記のような記録のような?- (旧:anotherside of LUKE♂@今はもう9歳)

始まりはワンコ日誌でしたが、人生の変更につき、内容も変更。今は子供が主かな。諸々スマホに対応したようなので再開♪

成長したな(シミジミ

2008年03月26日 | タロちゃんのコト(~一歳)
もうお店にあるベビーカートに乗っても全然平気♪
なんてったって、もう10ヶ月ですから~。w

もうすぐ赤ちゃんから子供ちゃんになるねぇ~。
色々と大変だったけど、意外とあっと言う間だったような気がする。…いや、おそらくもっと先に思い返すと本当に「あっと言う間」になるんだろうけど、今はまだそこまではね。w
まだまだしんどいけど、このしんどさも将来はきっと良い思い出になるんだろう。
時間の経過というのは、なんとも不思議なもんだよなぁ…。(シミジミ

しかし、そろそろお酒が飲みたくなってきたりもしないでもなく…。(爆
いやいや、もう少しのガマンだ!


信仰の不一致?

2008年03月26日 | 日々の雑記
先日の日曜日、久々に教会に足を運ぶことができた。
うちの教会ではないが、牧師が進めてくれた近所の教会。韓国の教会で日本語担当をされていた牧師…と言うことで、かなり超教派っぽいヨカーン。と期待しつつ、タロちんダッコして行ってきました。
この日がイースター礼拝だったとは行くまで気が付きませんでした(爆)が、自分の意思で一人ででも教会に行こう!行かねば!と思い、その行動がとれたこの日がまさにイエスキリストが復活した日だったなんて…!
もーびっくり。
なんという祝福。
感謝以外のなにものでもないデスね。
主の導きってこーゆー事なのね。w
建物の中に入ったとたん、賛美が流れていてそれを聞くと涙があふれてきました。
聖霊に満たされた瞬間でした。

ここ最近、願っていたダンナと信仰をすり合わせる時間が少~しだけでも持てる時があります。その後、一致を感じ一緒に祈る…とか、そういうとこにはまだまだ届いていません(苦笑)が、それでも主を前にしてひとつのものをわかちあえるチャンスが与えられています。ありがたい。何にも変えがたい感謝です。
しかしその反面、あまりの信仰の、神様への思いが驚くほどに違うことが判明しつつもあり、逆に試練でもありそうな、そんなヨカーン。
…いや、そうだとは思っていた。
ワタシが認めたくなかっただけか。www

クリスチャンになったあとのダンナの態度をみていて、感じていて、どうも自分とはシックリこないような気がしていた。自分が正解というのではなくて、あくまでも『違う』という感覚。それだけならまだマシだけど、不品行や偽りを繰り返すダンナ。
今も、そういう方面に対していまだ興味を捨てることができない様子は間違いなく『すきあらば』って感じ?w
そして、その隙を狙ってサタンが足がかりにまた彼の心に触れ、いずれ再犯でまた繰り返す…っと。
まぁ、欲望の方向やカタチが違うだけと言われればそれまで(笑)なんだけど、そこまでしても、主を求める必要はない。自分は渇いてない。霊には餓え渇いてないと言う。
…そうなんだ。

欲望が人それぞれなら、信仰も十人十色。
それに対する神様の処置(笑)も接し方も、うける掲示も信仰もひとそれぞれ。
人間には神のご計画を推し量る術はない。
ただ、神の意思はひとつしかない。
神様が喜ばれることもハッキリと聖書に書かれているし、主がワタシたちをどう愛してくれているのかも具体的に書かれている。
人間側からの表現は多少違っていても、個人が主の喜びを前提に行動すれば、おのずと一致するものだと思っていたのだが…そうではなかったのか?
少しお互いの信仰を告白しあっただけなのにダンナには「自分とは違う」と否定されてしまった。いったい何が違うのか、ワタシもよくわからない。
求める者と求めない者(←主にあってクリスチャンとなった身で、なぜコレなのか理解できないのだが、彼はそんな私を理解できないと言う。)が主の導きで夫婦になった。
そんな二人が信仰を一致させるのは生半可では無理な気がしてきた。
二人の、霊の戦いがついに始まったのだろうか。

以前牧師に、ウチのように五代も六代も続いてきた家系と、主にあって新たにされた一代目のクリスチャンでは、受ける祝福も信仰も役割も違うと聞いた事がある。三代続いた家系には、以後、あふれんばかりの祝福がある…と。それを聞いたダンナは「それって選民思想だ。ありえない。祝福は平等だ」とも。
二人の考え方に、大きな川が、溝が、壁があった。
そのとき、ふと思った。
今、実はすごくヤバくて、でもってかなり大事なタイミングなんじゃないのか?と。
浮気とか風俗(ソープもしくはデリ。w)とか、確かにワタシは大嫌いだけど、そういう所詮肉の身の欲望でしかないショボイ(←コレが真実なんですよね。w)問題でワタシがクヨクヨするよりも、今、神様にあってもっと大事な二人の信仰の一致が試されているときなんじゃないだろうか。
そう考えると、前の問題を乗り越えたことなんかよりも、ここが勝負どころ、二人の関係が立て直される本番じゃないのか?と。
うぅ、どうしよう。
ワタシに何ができるだろう。(爆
あまりの考え方の、求めるものの違いに正直ショックだったけど、肉の身の思いや「自分がどうこうしよう」というのでは、絶対に解決できない問題なのは間違いなとオモタ。
なので、全て主の御心のままに。
主よ。わたしたちに信仰の一致と、それによる主の勝利を宣言します。
わが主、わが神。
あなたがわたしの全てです。

主はわたしの羊飼い。(それゆえに)わたしは乏しいことがありません。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりの伴われます。
主はわたしの魂を生き返らせ、御名のために、わたしを義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、わたしはわざわいを恐れません。
あなたがわたしとともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それがわたしの慰めです。
わたしの敵の前で、あなたはわたしのために食事を整え、わたしの頭に油をそそいでくださいます。
わたしの杯は、あふれています。
まことに、わたしの命の日の限り、いつくしみと恵みとがわたしを追って来るでしょう。
わたしはいつまでも主の家に住まいましょう。
(詩篇23編)

悪霊との戦い、勝利はイエス・キリストにあり。
主の御名によって、我が家を、その周りの人々全てを祝福します。アーメン。