28.瞑想
① 仕事中毒になってしまうと、目に見えるもの、計れるもの、比較できるもの、計算できるものが大事になってきます。地位や権力や学歴や才能、富、誰の目にも見えて比較できるからこそ、人はそれにしがみつこうとします。
② しかし、それらはみな、人間の外にあるもの。人は目に見えるものだけにエネルギーを使いすぎると、人間の内なるものを失うのではないか。根に水をやらず、咲いた花だけをよしとすると、自然にその木全体が枯れていきます。
③ 旧約聖書でいうところの偶像礼拝は、目に見えるものにすがるというものです。旧約の人々は、権力、才能、富、生殖力、地位、学歴を象徴するものとして、偶像を造り拝みました。
④ 潜在意識こそが、人類と大宇宙をつなぐ大きなパイプ。瞑想に入り、潜在意識とのコンタクトを行うと、自分を超えた人類の知恵、大宇宙の知恵に通じ、本当の自分を得る。
29.ビーイング
① 無意識の世界の深い部分に入っていくと、全人類が共につながっている共同意識というものがある。
② 表面に現れるもの、つまり、容姿や学歴、行動などを見れば、人は千差万別で、皆バラバラに生きている。しかし、無意識を突き抜け、共同意識の世界に入ると、人は皆、一つに結ばれている。
③ この見解を更に深く掘り下げた概念として「コミュニオン」がある。これは愛による魂のつながりを意味する。
④ この見える世界をドゥーイング行為と呼び、人類が一つに結びついている世界をビーイング存在という。
⑤ ビーイングの世界、無条件の世界では、人は誰でも許され、充足感や安堵感、親密感、自分をとても大切に思える尊重感、自尊心、自分はこれでいいのだという自身を持つことができる。そして思いやりとか無上の喜び、すべてが満たされたような感じ、穏かさ、感謝の思い、至福の思い、そういったものを味わうことができる。
⑥ 実際に多くの人は、この世界を意識すらせずに生きている。
⑦ しかし、生活の中でも、ビーイングの感覚を味わうことがある。
⑧ たとえば、子どもが交通事故で今にも死にそうだというときに、もっと勉強して欲しいと思うような親はいない。夫が重篤の時に仕事をがんばって豊な生活をさせて欲しいと思う妻はいない。成績が悪くても、うだつがあがらなくても、命さえあってくれればいい、生きてさえいてくれればいいと思うはずだ。
⑨ これは根源的な愛から生まれる感覚であり、ビーイングである。そこには、がんばったら愛する、能力があるから愛する、といった条件の介在しない無条件の世界だ。私たちは、愛する者や自分自身の死に直面したとき、初めて根源に立ち返れる。
⑩ しかし、日常生活の中で私たちは、Beingを忘れ、コミュニオン、つまり、条件で動く世界に埋没してしまいがちだ。
⑪ たとえば、あなたは勉強するからご褒美をあげます、あなたがそんな悪いコ子なら、お母さんはあなたのこと知らないわ。つまり、いいことをしたらご褒美をあげます、悪い子だったら愛情はあげません、と。
⑫ 私たちは、この条件の部分で生きていこうとする。そしてDoingの世界でよりよくと願う思いは、人を束縛していく。もちろん、生きていく上の環境や条件に恵まれることは、行きやすさを与えてくれる。しかし、Doingの世界にのみエネルギーが注がれると、深い愛と調和の世界から切り離されて、どんどん分裂していく。
⑬ そうした分裂は、争いと不調和を生む。助け合うはずの夫婦がもっとも嫌いな存在に、仲のいいはずの兄弟が、遺産相続でいがみ合う。さらに人間がグループになると、差別が始まる。
⑭ 人は条件の部分のみの充足を追うと、飽くことなき欲望の虜になり、分裂していく。
⑮ 本当の成長とは、分裂への傾きに気づきながら、その傾向にとらわれることなく、一致と調和をめざし、あらゆる行動が一致の方向に向かうことである。
30.コミュニオン
① コミュニオンは、誰もが苦しみから自由になる知恵を与えてくれる。そのためには気づきを得ることが重要。
② 気づきの根幹は、「あなたは愛されています。大切なかけがえのない尊い存在として、あなたは深く愛されています。」「あなたは許されています。あなたが後悔や自己嫌悪で自分を苦しめているときも、あなたは許され、温かく見守られています。」「あなたには価値があります。たとえ自分には何もできず、何の価値がないと思っていても、あなたには生きていく価値があります。」
31.あなたは愛されています。
① 私たちは、人に満たしてもらおうという願望を持っている。しかし、他の人にそれを満たしてもらえるはずと思うのは錯覚にすぎない。
② 人間の欲求の根には徹底した孤独があり、徹底した「満たされなさ」がある。だから、もっともっと大きなもので満たされたいと思っている。そして、その結果、私たちは十分には愛されていないという思いを抱きがちだ。
③ その一因が、愛というものは、強烈に感じることができ、陶酔させてくれるものだという勘違いだ。愛というものは、本当はもっと静かで、大きく深すぎるので、なかなか掴みようがないものなのだ。だから確かに実感することは難しい。
④ あなたは愛されているといっても、実感できないはず。
⑤ しかし、実は生きていること自体が、愛されている証なのだ。誰も命を作り出すことはできない。いま、あなたは生きているということ、守られて生きているから生きている、ということ。
⑥ あなたの子どもが突然死んだとする。そのときその子のかわりに容姿も知能も高い子が養子として与えられたとしても、その子のほうがいいと誰が思うだろう。一人ひとりが固有の存在として地上に生かされている、かけがえのないあなたが死んだら、誰も取って代わることなどできない。
32.あなたは許されている。
① 悪いことをすれば、幼児でも悪いと自覚する。あなたは許されていますというのは、Doingの世界、行為の世界ではない。
② どんな行動をとっても許されるというのではないことは当然の理だ。
③ 行為の世界では、気高い、こうありたい自分を考え、その通りに生きたらどうだろうと考えることが大事だ。
④ 愛するということは、実は、素晴らしさを味わうことではない。嫌なところを受け入れることだ。いいところを好きになることなど、誰にでもできる。最も醜く、最も嫌なところを受け入れるのが本当の愛である。
⑤ あなたは、自己嫌悪によっていかに自分自身を苦しめているかをしらなければならない。後悔や自責の念を良くないことと認識し、罪の意識を捨てるべきだ。
⑥ では、誰があなたを許すのだろう。それは神だ。
⑦ 一見、矛盾するような聖書の聖句「天の父が完全であるが如く、あなた方も完全でありなさい」の意味は、神は、私の最も醜悪な部分や、目を覆いたくなるような欠点をもすべて見抜き、知り抜いて、その上で、私の罪を許し、私をまるごと受け入れてくれているということである。
⑧ だから、完全になるということは、神がなさっているとおり、他人の醜悪な部分や、目を覆いたくなるような欠点をもすべて見抜き、知り抜いて、その上で、人の罪を許し、人をまるごと受け入れるということである。
⑨ この愛に目覚める時、人は自分をがんじがらめにする自責の念ではなく、「こんなにも惨めな私を愛し抜いてくださる方に、私はどうお応えしていこうか」という方向に向かっていく。神の愛に背を向けていた人が、神のほうに向かって歩みだすのが回心である。
⑩ 聖パウロは、愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は妬まず、高ぶらず、誇らない。見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない、不正を喜ばない人と共に真実を喜ぶ、と語っている。
⑪ 聖パウロは、高ぶり、誇り、見苦しい振る舞いをし、自分の利益を追求し続けるのが人間の本質だと、よくよく知っていた人である。
⑫ 飽きることなく自分の利益を求め、自分が不快になると怒り出し、人の悪口をいっぱい言い立て、人の不幸を喜び、不正なこともする。そんな性向を、自分も持っていることを認めることから、私たちは出発する必要がある。
⑬ なぜなら、自分の良くないところを受け入れるのが、自分を愛することだから。
⑭ 許す、という行為は、決して易しいことではない。特に自分を許せるか否かは、人生最大の課題だ。
⑮ 自分自身を許すということは、自分自身を愛すること、寛容と慈悲深さを時分に向けることを意味する。
⑯ そのためには、自分を見つめることが重要だ。自分を理解せず、自分を誤解し、それによって自分を攻撃するケースは非常に多い。
⑰ 良くないもの、未熟なものを持ちながら、それにわずらわされず、それを受け入れることが大切。たとえば、手にこぶができたとしよう、年中、それを引っ掻き回し痛めつけるよりも、醜くうっとうしくとも、手が十分働いてくれればいいと思えるかどうかにかかってくる。
⑱ こうした自分に欠けている点を受け入れるためには、あなたはすでに許されている、という確信を持つ必要がある。
33.あなたには価値がある。
① あなたは自分が価値のない、つまらない人間だと思うことがないだろうか。みな、あたかも自分がかなり立派でなければ生きる価値、資格がないかのように信じているかのようだ。また、今の自分はつまらないが、もっと先になれば、自分ははるかに素晴らしい人間になると錯覚している人も多い。
② そうではない。今のあなた自体が大事なのである。あなたの価値を認めるのは、他人ではない。あなた自身である。まずはあなた自身と仲良しになるべきだ。そのためには、あなたの存在の尊さをあなたが認め、大切にしてあげることだ。自分を大切にすれば、知らないうちに隣の人をも大切にしているものだ。
③ 誰も波動を出して生きている。だから周囲に影響を与える。
34.愛を悟る。
① 寝たきりになってしまうことは高齢者であっても自分が無価値になったようと思い込む危険な状況だ。まして、若者なら、自分の生に価値を見出すのはとても難しい。
② しかし、体が動かないということにも価値がある。体が小さい、勉強ができない、外見がさえない、およそネガティブに評価されることにも、全て価値がある。
③ それ以上に、命を与えられた時点ですでに価値がある。その価値はどのような外的要因によっても損なわれることはない。
35.無意味なものはない。
① 偶然は一つもない。無意味なものは一つもない。
② 私たちは、この世に来るとき、人生を完了するまで自分の歩む道を書いた設計図を携えてくるといわれる。
③ 人はそれぞれ、自分らしく成長するためにこの世に生まれてくる。自らの魂を磨くために、それが喜びであれ、苦しみであれ、必要なことを自分で自分が引き寄せる。自分に起こることがどんなことでも、自分の益になるように、自分で選択し、引き寄せているのである。
36.病気を乗り越える力
① 幸せになるにはどうすればいいですか?今やっていることを誠実にやりなさい。
② 病気を乗り越える人の共通点の第一、病気も意味があって起こると考え、病気になったからといって不幸とは限らないと考える。こうした思いを持つためには、現実を受け入れ、現実と戦わない。苦しみは現実と戦うことからくる。
③ 第二は、自分の運命は引き受けるという覚悟があっても、それでも生きる意欲に溢れているということ。生きたいという力強さを失わない。それは、生かされていることへの感謝である。命を与えてくれる神への感謝である。
④ 第三に、もし、病気が治り、生きることができるなら、与えられた時間を、人のために活かしたい、人に尽くしたい、という強い願望を持っていることである。
① 仕事中毒になってしまうと、目に見えるもの、計れるもの、比較できるもの、計算できるものが大事になってきます。地位や権力や学歴や才能、富、誰の目にも見えて比較できるからこそ、人はそれにしがみつこうとします。
② しかし、それらはみな、人間の外にあるもの。人は目に見えるものだけにエネルギーを使いすぎると、人間の内なるものを失うのではないか。根に水をやらず、咲いた花だけをよしとすると、自然にその木全体が枯れていきます。
③ 旧約聖書でいうところの偶像礼拝は、目に見えるものにすがるというものです。旧約の人々は、権力、才能、富、生殖力、地位、学歴を象徴するものとして、偶像を造り拝みました。
④ 潜在意識こそが、人類と大宇宙をつなぐ大きなパイプ。瞑想に入り、潜在意識とのコンタクトを行うと、自分を超えた人類の知恵、大宇宙の知恵に通じ、本当の自分を得る。
29.ビーイング
① 無意識の世界の深い部分に入っていくと、全人類が共につながっている共同意識というものがある。
② 表面に現れるもの、つまり、容姿や学歴、行動などを見れば、人は千差万別で、皆バラバラに生きている。しかし、無意識を突き抜け、共同意識の世界に入ると、人は皆、一つに結ばれている。
③ この見解を更に深く掘り下げた概念として「コミュニオン」がある。これは愛による魂のつながりを意味する。
④ この見える世界をドゥーイング行為と呼び、人類が一つに結びついている世界をビーイング存在という。
⑤ ビーイングの世界、無条件の世界では、人は誰でも許され、充足感や安堵感、親密感、自分をとても大切に思える尊重感、自尊心、自分はこれでいいのだという自身を持つことができる。そして思いやりとか無上の喜び、すべてが満たされたような感じ、穏かさ、感謝の思い、至福の思い、そういったものを味わうことができる。
⑥ 実際に多くの人は、この世界を意識すらせずに生きている。
⑦ しかし、生活の中でも、ビーイングの感覚を味わうことがある。
⑧ たとえば、子どもが交通事故で今にも死にそうだというときに、もっと勉強して欲しいと思うような親はいない。夫が重篤の時に仕事をがんばって豊な生活をさせて欲しいと思う妻はいない。成績が悪くても、うだつがあがらなくても、命さえあってくれればいい、生きてさえいてくれればいいと思うはずだ。
⑨ これは根源的な愛から生まれる感覚であり、ビーイングである。そこには、がんばったら愛する、能力があるから愛する、といった条件の介在しない無条件の世界だ。私たちは、愛する者や自分自身の死に直面したとき、初めて根源に立ち返れる。
⑩ しかし、日常生活の中で私たちは、Beingを忘れ、コミュニオン、つまり、条件で動く世界に埋没してしまいがちだ。
⑪ たとえば、あなたは勉強するからご褒美をあげます、あなたがそんな悪いコ子なら、お母さんはあなたのこと知らないわ。つまり、いいことをしたらご褒美をあげます、悪い子だったら愛情はあげません、と。
⑫ 私たちは、この条件の部分で生きていこうとする。そしてDoingの世界でよりよくと願う思いは、人を束縛していく。もちろん、生きていく上の環境や条件に恵まれることは、行きやすさを与えてくれる。しかし、Doingの世界にのみエネルギーが注がれると、深い愛と調和の世界から切り離されて、どんどん分裂していく。
⑬ そうした分裂は、争いと不調和を生む。助け合うはずの夫婦がもっとも嫌いな存在に、仲のいいはずの兄弟が、遺産相続でいがみ合う。さらに人間がグループになると、差別が始まる。
⑭ 人は条件の部分のみの充足を追うと、飽くことなき欲望の虜になり、分裂していく。
⑮ 本当の成長とは、分裂への傾きに気づきながら、その傾向にとらわれることなく、一致と調和をめざし、あらゆる行動が一致の方向に向かうことである。
30.コミュニオン
① コミュニオンは、誰もが苦しみから自由になる知恵を与えてくれる。そのためには気づきを得ることが重要。
② 気づきの根幹は、「あなたは愛されています。大切なかけがえのない尊い存在として、あなたは深く愛されています。」「あなたは許されています。あなたが後悔や自己嫌悪で自分を苦しめているときも、あなたは許され、温かく見守られています。」「あなたには価値があります。たとえ自分には何もできず、何の価値がないと思っていても、あなたには生きていく価値があります。」
31.あなたは愛されています。
① 私たちは、人に満たしてもらおうという願望を持っている。しかし、他の人にそれを満たしてもらえるはずと思うのは錯覚にすぎない。
② 人間の欲求の根には徹底した孤独があり、徹底した「満たされなさ」がある。だから、もっともっと大きなもので満たされたいと思っている。そして、その結果、私たちは十分には愛されていないという思いを抱きがちだ。
③ その一因が、愛というものは、強烈に感じることができ、陶酔させてくれるものだという勘違いだ。愛というものは、本当はもっと静かで、大きく深すぎるので、なかなか掴みようがないものなのだ。だから確かに実感することは難しい。
④ あなたは愛されているといっても、実感できないはず。
⑤ しかし、実は生きていること自体が、愛されている証なのだ。誰も命を作り出すことはできない。いま、あなたは生きているということ、守られて生きているから生きている、ということ。
⑥ あなたの子どもが突然死んだとする。そのときその子のかわりに容姿も知能も高い子が養子として与えられたとしても、その子のほうがいいと誰が思うだろう。一人ひとりが固有の存在として地上に生かされている、かけがえのないあなたが死んだら、誰も取って代わることなどできない。
32.あなたは許されている。
① 悪いことをすれば、幼児でも悪いと自覚する。あなたは許されていますというのは、Doingの世界、行為の世界ではない。
② どんな行動をとっても許されるというのではないことは当然の理だ。
③ 行為の世界では、気高い、こうありたい自分を考え、その通りに生きたらどうだろうと考えることが大事だ。
④ 愛するということは、実は、素晴らしさを味わうことではない。嫌なところを受け入れることだ。いいところを好きになることなど、誰にでもできる。最も醜く、最も嫌なところを受け入れるのが本当の愛である。
⑤ あなたは、自己嫌悪によっていかに自分自身を苦しめているかをしらなければならない。後悔や自責の念を良くないことと認識し、罪の意識を捨てるべきだ。
⑥ では、誰があなたを許すのだろう。それは神だ。
⑦ 一見、矛盾するような聖書の聖句「天の父が完全であるが如く、あなた方も完全でありなさい」の意味は、神は、私の最も醜悪な部分や、目を覆いたくなるような欠点をもすべて見抜き、知り抜いて、その上で、私の罪を許し、私をまるごと受け入れてくれているということである。
⑧ だから、完全になるということは、神がなさっているとおり、他人の醜悪な部分や、目を覆いたくなるような欠点をもすべて見抜き、知り抜いて、その上で、人の罪を許し、人をまるごと受け入れるということである。
⑨ この愛に目覚める時、人は自分をがんじがらめにする自責の念ではなく、「こんなにも惨めな私を愛し抜いてくださる方に、私はどうお応えしていこうか」という方向に向かっていく。神の愛に背を向けていた人が、神のほうに向かって歩みだすのが回心である。
⑩ 聖パウロは、愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は妬まず、高ぶらず、誇らない。見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない、不正を喜ばない人と共に真実を喜ぶ、と語っている。
⑪ 聖パウロは、高ぶり、誇り、見苦しい振る舞いをし、自分の利益を追求し続けるのが人間の本質だと、よくよく知っていた人である。
⑫ 飽きることなく自分の利益を求め、自分が不快になると怒り出し、人の悪口をいっぱい言い立て、人の不幸を喜び、不正なこともする。そんな性向を、自分も持っていることを認めることから、私たちは出発する必要がある。
⑬ なぜなら、自分の良くないところを受け入れるのが、自分を愛することだから。
⑭ 許す、という行為は、決して易しいことではない。特に自分を許せるか否かは、人生最大の課題だ。
⑮ 自分自身を許すということは、自分自身を愛すること、寛容と慈悲深さを時分に向けることを意味する。
⑯ そのためには、自分を見つめることが重要だ。自分を理解せず、自分を誤解し、それによって自分を攻撃するケースは非常に多い。
⑰ 良くないもの、未熟なものを持ちながら、それにわずらわされず、それを受け入れることが大切。たとえば、手にこぶができたとしよう、年中、それを引っ掻き回し痛めつけるよりも、醜くうっとうしくとも、手が十分働いてくれればいいと思えるかどうかにかかってくる。
⑱ こうした自分に欠けている点を受け入れるためには、あなたはすでに許されている、という確信を持つ必要がある。
33.あなたには価値がある。
① あなたは自分が価値のない、つまらない人間だと思うことがないだろうか。みな、あたかも自分がかなり立派でなければ生きる価値、資格がないかのように信じているかのようだ。また、今の自分はつまらないが、もっと先になれば、自分ははるかに素晴らしい人間になると錯覚している人も多い。
② そうではない。今のあなた自体が大事なのである。あなたの価値を認めるのは、他人ではない。あなた自身である。まずはあなた自身と仲良しになるべきだ。そのためには、あなたの存在の尊さをあなたが認め、大切にしてあげることだ。自分を大切にすれば、知らないうちに隣の人をも大切にしているものだ。
③ 誰も波動を出して生きている。だから周囲に影響を与える。
34.愛を悟る。
① 寝たきりになってしまうことは高齢者であっても自分が無価値になったようと思い込む危険な状況だ。まして、若者なら、自分の生に価値を見出すのはとても難しい。
② しかし、体が動かないということにも価値がある。体が小さい、勉強ができない、外見がさえない、およそネガティブに評価されることにも、全て価値がある。
③ それ以上に、命を与えられた時点ですでに価値がある。その価値はどのような外的要因によっても損なわれることはない。
35.無意味なものはない。
① 偶然は一つもない。無意味なものは一つもない。
② 私たちは、この世に来るとき、人生を完了するまで自分の歩む道を書いた設計図を携えてくるといわれる。
③ 人はそれぞれ、自分らしく成長するためにこの世に生まれてくる。自らの魂を磨くために、それが喜びであれ、苦しみであれ、必要なことを自分で自分が引き寄せる。自分に起こることがどんなことでも、自分の益になるように、自分で選択し、引き寄せているのである。
36.病気を乗り越える力
① 幸せになるにはどうすればいいですか?今やっていることを誠実にやりなさい。
② 病気を乗り越える人の共通点の第一、病気も意味があって起こると考え、病気になったからといって不幸とは限らないと考える。こうした思いを持つためには、現実を受け入れ、現実と戦わない。苦しみは現実と戦うことからくる。
③ 第二は、自分の運命は引き受けるという覚悟があっても、それでも生きる意欲に溢れているということ。生きたいという力強さを失わない。それは、生かされていることへの感謝である。命を与えてくれる神への感謝である。
④ 第三に、もし、病気が治り、生きることができるなら、与えられた時間を、人のために活かしたい、人に尽くしたい、という強い願望を持っていることである。