今回は秀祥が、「裸足の医者」として初めてチベットに現代医学を伝えた父(孫文徳)の後を次いで、チベット難民社会の医療も背負って立つ物語を描きます。
これは既に、文徳に弟子入りしたサラが背負って立っていますが、彼女は何もない難民キャンプで抗生物質を作り出すのにとても苦労しました。
抗生物質は放線菌(青カビ)の代謝物質で、漫画「仁」でも江戸時代に抗生物質を作り出す苦労が描かれていますが、それによって医療は格段の進歩を遂げました。
それまで江戸でもチベットでも、結核、梅毒、籟(らい)などの感染症は死の病で、盲腸炎でも手術すると破傷風になって死ぬ人が絶えませんでした。
それが抗生物質によって全て問題なく治せる様になったので、これを伝え広める仕事は実にやりがいが有りました。
孫文徳はとても多くのチベット人の命をボランティアで救い、その業績は「裸足の医者」として中国では伝説となっております。
これはアメリカのフォークソングでも謳われており、ブルース-スプリングスティーンのカバーがとても善いのですが、タイトルはすぐには出て来ません。
その歌では、死病に取り付かれた人の所にドクターが訪ねて行き、そこでドクターが患者に見せる笑顔がとても象徴的に謳われています。
サラが文徳にホレたのもその笑顔によってで、それにより秀祥は誕生したと言えます。
なので秀祥が、父の天職を次ぐのは自然な流れであり、彼女は医療の届いていないネパールの山奥にまで「裸足の医者」として訪れて、多くの命を救い笑顔を広めます。