真の動物福祉牧場を目指して

自受法楽と生起次第

 あまりメジャーではない仏教用語をタイトルにしましたが、まずは旅の話からさせて貰います。

 わたしはまだ仏舎利塔を建てている山には登っておらず、それは低地のタライ平野で足止めを食って1日半を過した間に、かなりシツコイ下痢症を貰ってなかなか回復しないからです。

 下痢は長引くと体力を奪われ、今日はパシュパティナートでのハヌマヌーン祭に誘われていたのですが、とてもハシャぐ元気は出ませんでした。
 パシュパティで昼過ぎまで寝てようやくタメルまで歩く元気が出る有り様で、これではとても仏舎利塔建設の役には立てないので、宿を500ルピーで取って休むコトにしました。
 休んでる間にダージリン道場で頂いた「密教(松永有慶)」を読了したので、そこで特に心に残った用語について語らせて貰います。
 
 まずは「自受法楽(じじゅほうらく)」について述べますと、仏教では「真理」のコトを「法身」と呼んでおり、それは人(変化法身)や動物(等流法身)として現世に現れるとしています。
 そうした「法身」は何故この世に現れるのかと問うた時に、それは法身みずからの楽しみのため(「密教」)とされ、これを「自受法楽」と呼びます。

 わたしもこの密教の思想に共感する者で、全ての生きとし生ける者には「真理」が宿っていると考えます。
 それらはみんな雄弁に「法楽」を語っていて、それを理解するコトが悟りかと思います。

 次に「生起次第(しょうきしだい)」について述べますと、「密教」では「絶対の世界から現実世界へと展開する観法」と説明されており、「絶対の世界」は法身(真理)が法楽している世界を指しています。

 わたしもそうした「絶対の世界」を惑星「萌」として描こうとしていますが、ここで少し「密教」からアイデアを頂こうかと思います。
 「父タントラ系-秘密集会-聖者流」に於ける「生起次第」の観想法では「三三摩地(さんさんまじ)」が説かれており、第1の三摩地は「結界(戒)、空(智慮)、方便(実践)」と解され、第2の三摩地で観想法の仔細が述べられています。

 その「絶対の世界」では「三十二尊」が現れて法楽し、それは「五仏、四妃、八菩薩」の17人と十二支(動物)、あと3つは無生物によるとされますが、わたしならば3つの微生物(光合成細菌、酵母、乳酸菌)を加えたく思います。

 わたしが書いている「Sun」の物語でも、五仏として「勝利の女神ドゥルーガ(徳流河)」、「美の女神パールワティー(八路和提)」、「戦いの女神カーリー(跏哩)」、「富の女神ラクシュミー(楽須弥)」、そして「ネイティブのキリスト秀祥(しゅうしゃん)」を描いており、四妃としては「秀祥の12使徒」として「フランス人の踊り子シルヴィア」、「ネイティブ-サンの妹イブ」、「光の子カレン」、そして「ダキニ天ターシャ」を描きました。

 八菩薩もすでに出揃っており、それは12使徒で秀祥と一緒に天界へと旅立った「旅聖ウィリー」、「学聖アゼル」、「聖戦士ミト」、「ネイティブ-サンの弟アダム」、「パレスチナの王子タハ」、「賢者ユパ」、そして秀祥の恋人「使徒ジャック-ブラウン」で、あとの1人はカーリーと共に「Two of the Exodus (二人のエクソダス)」を果したコードネーム「クリシュナ」のビジェイとします。

 「変化法身(人)」は出揃ったので、次に「等流法身(動物)」を観想に入ようと思いますが、犬と牛についてはもうかなり語ったので、次回では猿の法身について探究してみようと思います。

 最後に今回改めて「密教」を勉強して、それはチベットと日本でのみ発展したコトを知り、チベット仏教への興味がより高まった点をまとめてみます。

 密教はちっぽけな自我を打ち破って宇宙的な自我(法身)を得るコトを目標としており、欲望すらも宇宙の法身の現れとして肯定し、みずからもそうした法楽を体現しようとします。
 
 しかし現実の世界では法身が遺憾なく法楽しているとは言えず、そこには常に「苦」が見て取れます。
 密教ではそうした衆生を済度するコトを「戒」としており、その「心の結界」さえ失わなければ他の戒律には捕らわれなくても良いとしています。

 何故ならば全ての生き物は法身を宿しており、それらは互いに縁をつないでこの世界を創っているので、この「絶対の世界」を否定せずに済度するコトこそが仏への道と説いています。
 
 
  
 
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