真の動物福祉牧場を目指して

愛国心は教育できるのか?

先進国では昨今、ほとんど愛国心というテーマが学校で語られる事は無くなり、それは学校で宗教を教えないのと同じように暗黙の了解になっております。

これはかつての愛国教育が国家間の戦争を煽った事への反省と観られ、ヨーロッパなどでは特に過去の国家主義を強く批判する教育すら行われてると聞きます。

そんなグローバル(地球的)な時代に逆らうように中国では、愛国という言葉を街の至る所に掲げ(特に和諧壁に)、テレビと学校でも盛んに愛国を訴えております。

私は愛国心の必要性は強く感じる方で、新大久保(地元)のコリアンの若者達みたいな、祖国に愛想を尽かして海外で暮らす人々には根無し草的な哀れを感じます。

私自身も海外で7年間を過ごし、これからも積極的に国境を超えて行きたいと思いますが、その上で一番重要になるのはやはり日本人としてのアイデンティティ、つまり愛国心かと思います。

私の個人的な観察では、国家が国民に愛国心を押し付けようとする社会は、中国にしろアメリカにしろ、国民の間の断裂が深刻化しており、それをなんとか埋めようと愛国を訴えてる様に観えました。

私が観て来た国の中では、中国とアメリカが特にこうした断裂を大きく抱えており、アメリカではそれを埋める役割を宗教が積極的に果たしているのを平和行進(延べ一年間参加)で観れました。

中国では表向きには宗教が禁止されており、信仰心は裏手に潜ってしまって社会的な溝を埋める役割は果たせておりません。
国民の信仰すべき対象は国家だけであるべき、といった信条が社会主義であり、これは原始資本主義(略奪資本主義とも言われる)の世の中に変わってからも引き継がれております。

この改革解放政策により齎された儲け第一主義は、中国を地球上稀に観る格差社会に変えました。
それまで共産主義教育を受けて平等こそが社会の進歩だと教わって来た筈なのに、人民はそんな平等主義に嫌気が差していたのでしょう、反動で一気に弱肉強食の競争社会に変貌させてしまいました。
(これについては「激流中国」が良く描いてます)

昨今の中国はそのまた揺り返しで、資本主義よりもやっぱり格差の無い共産主義時代の方が良かった、と云った意見が前面に現れて来ております。

どちらの主義にせよ、肝腎なのは愛国心であり、それが無ければ日本の様な諧和(やわらいで調和した)社会は創れないでしょう。
では愛国心とはいったい何か?
それは人それぞれに違った個性あるモノで、国に押し付けられる様なモノではないと思います。
それは平等主義の理想のように、個人が持つ分には良いモチベーションとなりますが、国からそれを押し付けられたりしたら反発したくなるのが人間性かとも思います。

中国の愛国教育は何を生み出すのか?
それが日本の中国侵略の歴史を大いにフィーチャー(特に活用)している点が気になり、軍国主義時代の悪いカルマを引きずっている様に映ります。
前にも書きましたが、共産革命がチベットやモンゴル、ウイグルに齎した災禍も完全に美化しており、愛国教育は歴史の彎曲だと中国のネット世論で訴えている人々もおります。

最後にそうした活動を行っている日本人を紹介します。
私もちゃんと中国語を読み書き出来るようになって、彼を応援したいと思います。



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