前回、私が足を踏み込んだ事のあるプリミティブ(原始的)な思想を奉ずる組織(教団)について触れましたが、それらを一行でサラリと片付けてしまったので、流石にそれでは敬意が足りないかと思え補足いたします。
ここでは私が東洋大学で専攻した東洋哲学の中で、一番ポピュラーだった原始仏教哲学をフィーチャーして、ブッタが最初に説いた「4つの聖なる真理」について述べます。
この初転法輪として名高い教えは、インド最大の聖地ベナレスの郊外、鹿を放牧していた苑(鹿野苑)で説かれて、今ではここに日本のお寺が二軒建っています。
一軒は立派な日蓮宗のお寺で、日本山と提携して仏舎利塔も建てました。
もう一軒は個人の僧が建てた質素なお寺ですが、この僧は徳が高く多くの寄付を集めて学校を2つも建て、インドの地に仏教教育を復興させました。
最後にこの高僧を訪ねたのは四年前になりますが、その時はもう高齢のため歩けなくなっており、弟子のインド人子僧が数人いて介護は間に合ってましたが、日本は恋しくなるようで旅人は喜んで受け入れて色々話しをしてくれました。
話しを「4つの聖なる真理」に移します。
1つ目は苦聖諦と言われ、この世界には苦が蔓延り充満していると諦観するよう諭します。
具体的には生老病死がまず根源的な苦として挙げられ、そこに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦(躁鬱)が被さって来て四苦八苦となります。
2つ目は集聖諦で、こうした多くの苦が互いに合体する事で巨大な社会的苦を生むとする教えです。
そうした集苦は戦争などを引き起こし、人類を危機に陥らすモノとして厳かに警告します。
3つ目が滅聖諦で、個人的な修行により苦のカルマを解脱する方法を説きます。
これには長期の断食修行なども含まれ、私はほんのちょっとかじった位ですが、幾分かはカルマが軽くなった感はあります。
最後の4つ目が道聖諦で、全ての人が楽に苦のカルマから逃れられる道を指し示します。
それには諦める事が肝腎とされ、自己の欲に執着せず、自分が生かされている事を知足する事が肝要だと説かれます。
人間が生かされている事は、自分の細胞の百倍もの数の微生物達と共生して初めて生きられる事からも明らかで、全ての生命はシンバイオシス(共生)なしには存続し得ません。
ブッタは恐らくこうした共生を理解して縁起や依正の教えを説いており、人類がここまで進化して来られた因果を輪廻を遡って理解していたとすらされます。
この輪廻を遡るには、身体を極限まで死に近付けて中有に魂を飛ばす苦行が必要とされ、ブッタはその修行を誰よりも激しく行ったとされます。
そんなブッタの最期のバルドゥの旅はいったいどんなだったか、気になる所です。
ブッタは輪廻転生せずに、その魂は現世に留まり続けて人々を陰ながら応援してくれていると、プリミティブな仏教徒は今でも信じております。
私も実はそうした「成仏」を描きたいと思っておりまして、それは次の最後の「シャン」で語ります。