まず遺される法具からで、この法華太鼓というのは世界一コンパクトで精巧に作られた太鼓と言われ、永年打ち続けると当然穴が開くので、十年おきぐらいに皮を張り替えます。
皮には南無妙法蓮華経の七文字の題目が書かれており、打ち方と唱え方は前に書いたので省略します。(六拍七音 一呼吸)
お坊様は百歳までこの太鼓を打ち続け、歩けないので道場の中のお勤め(唱題)を担い、身体が不自由でも指だけで打ちつづけられ、その声は最後まで元気でした。
この太鼓は、雑音の無い明け方と夜に打たれ、その音は周囲5キロまでも届きます。
これに、お寺で育つ子ども達の作った変てこな太鼓も加わって、毎日途切れる事のないお勤めは、徐々にその輪を広げて行きます。(中国でも唱題は馴染みある)
外の行進(2時間程)はずっと新之助が担って来ており、これに慎語とセラ達も加わるようになって俄然活気が出て、クリスチャンの子ども達も何のこだわりもなく参加する様になります。
お葬式の行進でも当然太鼓が打たれ、それは数百人の行進でありながら、みんなが同じ祈りの言葉を唱和する、一種のたましいの結晶として描き出したいと思います。
しかし実際に、この平和行進を延べ日数で二年程やって来た感想として、祈りの心を合わせると云うのはとても難しいと感じます。
それはまず、祈りの言葉の意味を理解し共有する事が必要かと思えますが、その理解度というのは人により千差万別だからです。
千年前の天台大師は妙法を120通りに説きましたが(「法句玄義」)、それは現代人に通じる解釈ではないので、新たな妙なる法の解釈がどうしても必要だと私は考えますが、そうした考えに賛同して下さる学会員(創価)の方がどれだけいらっしゃるかは疑問です。
それはともかくとして、1945年1月の浦上での特別な葬儀では、この七文字の祈りが人々の心に共通のモノとして響き合い、それは永年太鼓を打って歩き続けた老師の心として、子ども達にもハッキリと伝わります。
お勤めは毎朝だいたい決まった道を行くので、待ち構えた人々も手を打って唱和し、中には食物を用意してご供養してくれる人達もいます。(休憩はし放題)
そんな接待を受けてみたい方は、ぜひネパールのルンビニか、インドのダージリンの日本山のお寺で修行してみて下さい。