まず始めの一週間では、産まれた瞬間から幸福だった15歳の頃までの、優しい光に溢れている時代を追体験します。
秀祥はバルドゥをよく理解しており、その世界を自在に旅する術も知っていたので、彼女が知りたいと願っていた過去の実相を知るチャンスとして、積極的に深く入って行きます。
それは産まれた瞬間からで、自分が如何に多くの人々から祝福されて産まれて来たかを「思い出し」ます。
因みにこうしたファンタジーは、中島みゆき「誕生」でも謳われており、産まれた瞬間を覚えているも主張する作家も居ります。(日本では三島由紀夫)
秀祥の出生はかなり特別なケースで、チベット人と漢民族の結婚はそんなに珍しくありませんでしたが、母親がトゥルク(転生者)であるのはとても異例です。
トゥルクはチベット人にとって神聖な存在なので、普通の男は妻にしようなどとは思わず、特例的に外国人とだけ結婚が認められていました。
その相手は当然、チベット文化を深く知って愛している者でなければ、民衆が納得しません。
その点で、孫文の孫に当たる文徳は民衆の支持を得ており、その「裸足の医者」(ボランティア医)としての活動は大いに尊敬を集めていました。
優樹の民衆は2人の結婚を大いに祝福し、その愛の結晶である秀祥を、チベットと中国との間の「平和の象徴」として特別大事にします。
そうした生い立ちの記憶は、普通に秀祥も覚えていなかったので、若き日の父母の姿を初めて見るコトとなり、その2人の仲睦ましさに感動を覚えます。
秀祥はその「愛の光」に満ちた世界に出来るだけ永く留まりたいと思い、その願いは生前に積んだ徳によって叶えられ、例外的な永さとなります。