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真の動物福祉牧場を目指して

南無とオームについて

前回に引き続いて、洞窟での密葬とその儀式について述べます。

前回はこの儀式の核心である七文字のマントラの内、妙法蓮華経の五文字を解説してそのユニバーサル プレイヤー(世界共通の祈り)としての意義を書きましたが、細かい玄義については「5色の智恵の光の意図(糸)」で書いたので省略しました。

これはザックリ言えば五大(土、風、火、水、空)に南無(オーム)するという事で、チベットと日本の真言は同じコンセプトです。

更に言えばペメ(正確にはパトメ)は蓮華でフムは経を意味し、マニは妙法をよりマニアック(?)に形象化した表現なので、南無妙法蓮華経とオームマニペメフムは全くの同義と言えます。

物語ではどちらの発声を用いるべきか迷いましたが、行善と希聖はずっと南無妙法蓮華経と唱えて周って来ており、優樹の人々もそれを聞いているので馴染みがある事にして、太鼓のリズムとも良く調和する日本の発声を用いる事とします。

南無とオームで違いが有るとすれば、チベットではこのマントラを曼荼羅に投影している点で、日本の仏教では余り曼荼羅を観想する(瞼の裏に描く)修行は行われておりません。

しかし日本山の戒壇(祭壇)では仏の周りに四菩薩が配置されており、その性格はチベット曼荼羅で仏の周りに配される観音、金剛手、浄行、文殊の四菩薩と共通かと思われ、日本にも曼荼羅の思想は一応伝わってると言えます。

ここで南無とオームの意味についてもう一度述べますと、これは「一つになる」が一番適当な表現かと思え、「帰依する」とか「己を捧げる」なんて表現は大げさに思えます。

もともと五大と生命は一体であり、その命の本質(リクパ)を「思い出す」ことが南無かとも思え、そこには生かされていることを「感謝する」という意味合いも含まれています。

南無とオームの解説は以上としまして、日本で「オーム」と言えば避けては通れないカルト集団について言及しておきます。
地下鉄サリン事件が起きたのは私が中学生の時で、マスコミは数年間オームの話題で持ち切りになりました。
その頃にオームからの勧誘ハガキがマンションのポストに入れられ、それを見た私は好奇心から東京のオーム本部に出かけた事があります。

そこではとても純粋そうな男性が対応してくれ、彼はマスコミの報道は全てフェイクで真摯な宗教を貶めようとしている、と本気で語ってくれました。
しかしそれは、中学生の私でも容易に洗脳だと見破れて、情報統制の恐ろしさを初めて目の当たりにした経験となりました。

その10年後ぐらいに、日本での平和行進(延べ一年ほど参加)で元オーム信者だった人と仲良くなり、彼の元オーム仲間の家に招待されたりもしました。
この元オームの仲間はかなりの金持ちで、東京の一等地の立派な家の最上階を全て仏間にしており、奥さんはチベット人でした。

もう既にオームの事件から10年近く経っており、彼等は昔の事などもう気にしてない様に観られたので、私も当時の事を敢えて訊ねたりはしませんでした。
彼等は純粋に精神性の向上を目指して過酷な修行をし、その成果をある程度は誇りにしている様で、良い思い出としてオームを語っておりました。

いつか北朝鮮や中国の人々も、共産主義革命という過酷な修行をキチンと総括して、そこから良い思い出を汲み出せたらいいなと思ってます。




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