わたしは人間は何かしら信仰心を持つべきだと思い、それは大きければ大きいほど良いと思っています。
ジャニス・イアンも「When Angels Cry」と言う歌で「can't believe God be that small」と唄っていますが、これは古い宗教(キリスト教)は神を余りに小さなモノと捉えていて信じるに値しない、というコトを詠っています。
これは「地球が丸くて太陽の周りを回ってる」と主張したダケで死刑になるような時代の神なので、現代人からすれば当然の感覚と言えます。
ニーチェは科学の進歩によって「神は死んだ」と主張しましたが、これは古い宗教のちっちゃな神が死んだというコトで、現代では地球人の発展途上の科学くらいで神を殺せると主張する人間は普通は居りません。
ここで例外として挙げられるのが「科学的歴史観」を掲げる中国共産党で、これは宇宙と生命の歴史は全て科学で解き明かせるので、神の介在は認めないとする哲学です。
これは一時、古い封建的な宗教を駆逐して進歩的な社会をもたらすモノとして歓迎されましたが、最近では科学の闇の面にも注意が払われる様になり、「科学者は何をやっても許されるのか?」と言った議論が起きています。
最近では受精卵時の遺伝子操作によってエイズに掛からないとする双子を誕生させたコトが物議を醸しましたが、これを発表した博士は国家の援助の元に研究していたのにスケープゴートにされました。
月の裏側に宇宙船を軟着陸させた科学的成果も問題視され、これは一切が秘密裏に行われたからで、宇宙開発の国際協調路線を無視しています。
ここで1つ疑問を投げかけると、「科学的歴史観」では国家という概念は古くて非科学的なので、いずれ無くなり地球は1つに統合されるだろうとしている点です。
今の中国はこの哲学に逆行している様に思え、それは見出し画像の人民解放軍のゲートの正面に大きく「聴党指揮(党の指揮を聴け)」と掲げられていたコトからも伺えます。
こうした写真はもちろん撮ってはダメで、門衛がケータイをよこせと追って来ましたが、わたしは自転車に乗ってたので(空港で拾ったブレーキの壊れたやつ)巻くコトが出来ました。
「国家の剣」とはこうした公安や軍隊のコトを指しますが、ウルムチではウイグル人もかなりの数がこうした武装組織に属しているので、影でクーデターを企む反乱軍が組織されている可能性も無きにしもあらずかと思います。