真の動物福祉牧場を目指して

肌の色 みんな違って みんないい

インドにおいて、肌の色はずっとカースト(色という意味合いある)として実に大きな社会的意義を持って来ました。
肌の色は明るい程、高貴な身分を示し、大部分をしめる黒人層を、太陽の下で働かない白人系が支配し、混血は重大な社会的、宗教的な破戒とされて来ました。
この因習は、肌色による差別を憲法で禁じた現代においても残っており、それは黒人層と白人系の社会的な対立という、非常にネガティブな現象を引き起こしています。(一昔前のパンジャブ危機や昨今のカシミール問題など)

中国においても肌色はかなり重大視されており、テレビのドラマやバラエティーに出て来るのはやたら色白なモヤシッコばかりです。これは華人的な伝統からなのか、東南アジアでも同じ傾向が観られますが、それは発展途上国に共通の虚栄心からの様にも観えます。

この虚栄心を見事に打破したのはチベット人で、それは強烈な高山の日光とストイックな生活文化様式から可能となりました。
チベットでは子ども達は僧院に預けられて育ちます。よく外で遊ぶ子どもは日本人では観られない程の色黒となり、中に引きこもって遊ぶ子どもはモヤシッコになります。幼い頃から肌色の違いに馴染んで暮らし、それが一緒に暮らす仲間の中の違いならば、そこに差別意識が生じる理由はありません。
また、人々のお好みに合わせるように、お坊様の肌色を取り揃えるサービスを僧院が行っており、つまり冠婚葬祭に呼ぶ坊さんの色はそれぞれの法要に応じてチョイスする文化が在ります。
ずうっと引き籠もって瞑想や勉強ばかりしている坊さんも居れば、そんな足の痛くなる修行よりも身体を鍛える修行を選び、僧院の建築や五体投地の旅に出るお坊様も居られます。

さて、物語の登場人物の色を付けようかと思いますが、特別それが必要な人物以外は想像にお任せすることにします。
一番気になるのはガネシヤの色ですが、これは映画「ムーンライト」の主人公の様な、月の光で青く見える程度の白黒の混ざり具合にしようと思います。
ラクシュミーは真っ黒に修行焼けしたサドゥー(逃亡中の闘士)と結ばれ、彼女の破戒を完成させて、その贈り物(ガネシヤ)を大切に育てます。

もう一人、トゥルクの護衛2人の内のでっかい方の色として、東洋人では最深的な黒とします。
日本では色黒の男を恐れる傾向が強く、この護衛は二メートル程も身長あって、しかもハンパなく鍛えてて真っ黒なので、周りから怖がられますが心優しい子ども好きな男です。

肌色を付けるのはこんな所にしておきます。因みに私はよく肌色が変化する、変化に富む生活を送って来ました。

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