真の動物福祉牧場を目指して

58年からの大躍進

この未曽有の死者数を記録した悪名高い政策が発令されたのは1958年で、これは後の文化大革命の引き金ともなり、76年まで中国の歴史は闇に閉ざされます。
これは前に「農聖サイオンの伝説」で少し触れましたが、今回は散文詩調でザックリ掘り下げてみようと思います。

58年はビートルズがマイナーで活動し始め、キャロルキングもデビューしてロコモーションを歌い、世界は明るい時代に開かれて行ってました。

一方、中国では資産階級が人民の敵として追放され、農民は一時だけ自分の土地を手にしましたが、すぐに農業は集団化され軍隊調の暮らしとなります。

お金の要らないユートピアを集団農業は約束しましたが、農民は自律性を失い只の奴隷にされ、1日中タダ働きさせられてろくに休みも与えられませんでした。

軍隊式生活なので家庭での食事は禁止され、家族はバラバラにされました。集団食堂の食事は始めは良かったけれど、食べ放題だったので無闇に豚などを食べ尽くしてしまい、すぐに不作になって貧窮します。

家庭の鍋釜はみんな溶鉱炉で溶かされました。鉄作りは夜通しやらされますが、素人技ではロクな鉄は作れず労力と燃料を無駄にして、村に木が無くなります。

木が燃やされ尽くすと、農地は吹きっさらしになって表土が飛ばされ、保水力も無くなり大雨で表土が流出してしまい、不作は避けられません。

もう一つ大きく破壊された生態系として、スズメを稲を食べる害鳥として完全に駆除し、逆にイナゴが大発生して遥かに多くの稲を食い荒らされました。
スズメが帰って来るまでには3年を要し、蝗害はその間ずっと続きました。

更に追い討ちで、農業に素人の共産党指導部が押し付ける農法は、土を深くひっくり返し過ぎて生態系を壊し、種は多く撒きすぎて生育に支障をきたします。

そんな出鱈目な農法で当然不作であっても、指導部の面子を立てる為に役人は大豊作を謳い、その嘘の収穫量に応じて徴収したので農民には何も残りませんでした。

農民は革命で共に戦った同志なので、まさか全部取り上げて餓えさせるなんて事は無いだろうと考えましたが、その期待はあっさりと裏切られます。

共産党は農民を兵隊としか思っておらず、それは絞れば絞るほどハングリーに戦う家畜であり、貧窮したのは階級敵の破壊工作のせいだとされました。

しっかり地に足のついた農業を行って来た富農はみんな西部の不毛の地の開拓に追われ、愚かなユートピア農法に不満を
示す農民もその餓死の地へ送られました。

ソ連の農業指導員も来ていて、その農法では大変な事になると警鐘をならしますが無視され、ソ連は怒って技術者をみんな引き揚げ、中ソ関係は敵対的になります。

もうその頃には既にソ連から核兵器の技術は教わっており、国民が餓えて死んでいってる中でもお金はみんな核開発につぎ込み、食糧は一切輸入しませんでした。

そもそも飢餓の現実を隠しており、逆に貧しい共産圏の国に食糧援助をしてました。これは首脳陣が農村の状況を把握していなかったからでもあり、真実を伝えようとした唯一の貧農出身の幹部(元帥)は軟禁されました。

こうした非道い政策に抵抗する運動は、漢民族のエリアでは起きませんでした。農民は共産党の政策に進んで協力し、その分だけ農地をダメにし不作で餓えました。餓死率が最も高かったのは、国の穀倉地帯とされる河南、安徽、山東、四川で、それぞれ三百万人程が亡くなりました。

安徽と山東を任されていた曹希聖は、その残酷な支配から魔王と呼ばれ、仕事をサボったり、村から逃亡した農民は容赦なく処刑しました。
希聖は諜報部の親玉でもあり、毛沢東の右腕と呼ばれ内戦を勝ち残れたのは彼の功績が第一だとも言われる存在でした。

しかし自らの統治で600万もの、共産党に献身的な協力をして来た農民を殺してしまった事で、とうとう彼の心も折れて農業を自由にやらせます。それで飢饉はすぐに改善するのですが、希聖は反逆者とされて西部に送られ消息を断ち、歴史からもその名前が抹殺されてしまいます。

元々彼は影の存在で、毛沢東による赤色テロの要として暗躍し、ライバルを葬る謀略にも荷担して来たので、歴史から抹殺したかった人物でした。
私は彼の為にストーリーを捧げたいと思い、希聖を日本軍への毒ガステロから長春包囲戦までを指揮した人物として描こうと思います。

西部に送られた希聖は、モンゴル-チベット反乱軍による収容所襲撃により脱獄し、彼等の反乱に荷担します。
この反乱軍の首領は長春包囲戦を生き残った愛新覚羅で、彼に王としての菩薩戒を授けた僧侶は毒ガス村の生き残りの少年です。彼は五台山で太鼓を打ってお題目を広めていた日本山僧侶の元に預けられ日本風の行善と僧名を与えられ、五台山の頂上に広がるチベット寺院でも修行を積んで真の僧となります。

だいぶストーリーに脱線してしまいましたが、私が香港でこの大躍進に関する書籍を一通り読んだ限りでは、まだ誰もこの未曽有の歴史を物語にした作者は居ない様です。フィクションにするにはテーマが重過ぎるからかも知れませんが、無念の内に亡くなった4000万もの命を蘇えらせて弔う必要があるかと思います。

これを慎語に託すのは余りに荷が重たいので、彼にはほんの触りだけ関わらせてインドに亡命させる積もりです。
チベット侵攻にはこうした中国全体の動乱が直接的に影響しており、チベットの暗黒時代は華人エリアよりもかなり長く80年代初頭まで続きました。
これは現在でも、外国人が自由に旅行出来ないエリアが大半のチベットになってしまっている原因であり、闇はまだ払われておりません。




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