この歌をディランはよくライブで歌っており、ジョージ-ハリスンの「バングラデシュ-エイドライブ」に友情出演した時のがサイコーだと思います。
「ポーン」は捨て駒とか下級兵士の別称ですが、彼等もやはり人であり、現在では北朝鮮兵士がロシア軍で捨て駒にされていますが、いつかそうしたポーン達も強い遺恨を抱いて反乱するかも知れません。
これは「北」だけの話ではなく、中国の党(ドン)にとっても現実的な危機で、既に満洲と内モンゴル、ウイグルとチベットに於いてクーデター騒ぎが起こっているので、ドンは自軍の兵士達の心をどう引き留めるかに苦慮ました。
これは北京中枢を占拠した革命軍に対する包囲殲滅戦が、その包囲の外側を1000万もの民衆によって逆に包囲され、兵士達は民衆が打ち鳴らす圧倒的な怒りの打声に縮みあがらされたからです。
これらの民衆を扇動したのは「満洲馬賊隊」を率いる愛新覚羅傑で、彼の亡き息子-仁は「勝利の女神」の盾となって軍神と崇められ、その仁を育てた傑は武神とまで崇められる存在でした。
ポーン達はもしこの怒り狂った群衆に発砲したら、必ず滅多打ちに復讐される気がし、どうかそんなコトにはならない様にと祈りました。
これはドンの指導部も同じで、もしまた群衆に向けて発砲したら、70年前の天安門事件の衝突で3万人強が亡くなったよりも、遥かに悲惨な事態に陥って政権はもたなくなるだろうと考えました。
そのタメ、ドンの軍隊の包囲陣は非常に脆く、僅か十数名の馬賊隊が全方位30ヶ所から同時に突入して来た時、ほとんどの兵士はその士気に圧倒されて降伏しました。
降伏した兵士は民衆に暖かく迎えられ、それでこそ「人民の軍隊」だと賞賛されました。
こうして外からの圧力に恐れ慄いていた包囲陣は、内からの突撃隊によってたやすく破られ、突破した道には外からも民衆が押しかけて、その道は大きく押し広げられ100万人もの革命軍はエクソダスを果たします。
これは包囲軍にとっては必ずしも敗北ではなく、北京中枢を奪還するという任務は果たせましたが、ほとんどのポーン達は民衆に銃口を向けさせられたコトに対して、強い遺恨の念を抱きました。