それほど当時、革命を成し遂げる道は険しく、既に多くの同士が命を捧げておりました。(戦死よりも処刑が多かった)
共産党が国民党に勝つにはまず、日本軍を国民党と戦わせて弱らせる必要があり、その為に希聖はテロで日本軍を挑発しました。
国民党は自力では日本軍にとうてい敵わず、アメリカに支援を乞います。
ちょうど日米も戦争を始めてたので、アメリカはガッシリと国民党を強化するようになりました。
このビルマからの支援ルートを断とうと、日本軍最強と呼ばれた「菊と龍」(本のタイトル)の部隊が雲南省まで攻め上りますが、アメリカから送られた圧倒的な物量によって打ち負かされます。
こうして日中戦争に勝利した重慶軍は、その力を過信して楽に中国の天下を取れると考えましたが、その予想はソビエトが共産党のバックに付いた事で覆えされます。
この日中戦争のすぐ後に続いた米ソ代理戦争(国共内戦)は、だらだら15年続いた日中戦争よりも多くの戦死者を3年程で出し、その苛烈さは日中戦争をして内戦のインターバルに過ぎなかったと言わしめる程でした。
希聖は地下に潜って工作を指揮し、日中戦争中に重慶の国民党から別れて日本と和平を結んだ南京国民政府とも接触します。
現実にはこの平和主義の政府は共産党との共闘を拒みますが、48年に国民党左派は寝返って共産党に付いたりします。(孫文の妻がリード)
日中戦争中は、この100万人もの軍隊を擁した南京国民政府は平和主義を貫き、兵隊はずっと麻雀でもしてたの?と疑問視される程のどかなモノでした。
麻雀と言えば、私は田舎の家が民宿だったので(北海道 斜里)子供の時からお客さんと打っており、中国各地でもよく人民と打ちました。(公園や食堂、歩道でもよくジャラジャラやってた)
中国麻雀は牌を打つのにも狡知が要り、日本の様にきっちり並べずバラバラに打ち、周りの牌と混ざって分からなくなるように打ちます。(切られた牌の順番で手役が透ける)
しかしこの間に、共産党は着々とソ連から軍事教練を受けて強化されており、米ソ代理戦争は共産主義勢力が資本主義勢力を凌駕する結果となります。
次回は日本が敗れて満洲を失い、そこを国民党と共産党のどちらが取るかの壮絶な戦いが始まる所から回想します。