今回の希聖の回想シーンは、国共内戦で満洲が最初の主戦場となり、それにより清朝が完全に滅ぼされた事から、満州貴族として唯一生き延びた愛新覚羅傑仁の戦いと死までを物語ります。
仁については既に亡くなっているので何でも語れますが、行善が仁と共にチベットで自治国を治めた事については伏せ、この同行の僧侶はあくまで毒ガステロの犠牲者で貴重な生き証人であるとだけ伝えます。
回想の時代背景としましては、45年8月に原爆が落とされて日本が降伏すると、フライング(条約違反)でソ連が満洲に雪崩れ込んで来て、50年かけて築き上げた一等国としての社会資本は全て奪われました。
そうして奪った武器や食料、発電所や工場などは共産党に供与され、毛沢東は本拠地を辺境の延安から満洲に移します。
共産党が国民党に勝てたのはこうした社会資本のお陰であり、沢東も日本のお陰で天下が取れたとよく発言していました。
しかし国民党も大人しく満洲を譲った訳ではなく、45年当時では共産党の三倍強の軍事力を誇っていたので、熾烈な奪還戦が繰り広げられました。
物語では国民党に奪還された首都新京(長春)を、共産党がぐるりと包囲して一年間に渡り兵糧攻めした「長春包囲戦」をフィーチャーしており、それを指揮した希聖の回想から入ります。
しかし街を外から包囲している視点だけでは迫力に欠け、それでは数千の聴衆の心を揺さぶる事は出来ません。
希聖は後に仁と共に人民解放軍と戦うので、仁から長春の街中で起こった悲劇を聴く機会があり、彼はそれを贖罪の気持ちを持って丹念に聞き取りました。
そこから唯一生き延びた仁の物語を聴く事も出来、十代の紅衛兵達にとってそれは同年代の若者の物語であり、その余りにも重たい戦いの使命に圧倒されます。
仁は古くからの満蒙同盟を頼ってモンゴルに逃れ、そこで独立戦争に荷担します。
モンゴルは結局ソ連と中国によって分割されてしまい、かつてユーラシアを支配したモンゴル民族の主体性は喪われてしまいますが、モンゴル騎兵隊はチベットに落ち延びてそこで最後の花火を散らします。(これについては「チベットに舞う日本刀」が詳しい)
希聖はその戦いに加わったので顛末まで語れ、愛新覚羅傑仁が如何にチベットで善戦して国を守り、原爆によって敗れたモノのその後に収容所で繰り広げられた闘いの奇跡により、人民解放軍に大きな精神的動揺をもたらした事を語ります。
この闘いは、当時チベット方面軍に潜り込んでいた(左遷されていた)清の末裔たちの心に火を付け、75年頃にはそうしたチベットに左遷された元敵軍の兵士達が文化大革命に乗じて反乱を起こしておりました。
この反乱(革命)は実に混沌とし、清の末裔たちだけでなく国民党の残党や、もちろんチベット軍の残党も加わって、文化大革命の混乱はチベットで1984年までもの長きに渡って続きました。
いや、「1984年」というのはオーウェルの小説に因んだ話で、実際にチベットは未だに革命の最中と言えるのかも知れません。
それは2008年の北京オリンピック時の争乱以来、観光客が自由にチベットを旅行できなくなった事からも想像され、かつてチベットで一緒に麻雀を打った漢族の開拓農民達は、今何を思っているのか気になる所です。