真の動物福祉牧場を目指して

私の酪農遍歴 (福島編)

このブログを読んでくれている、私が引き継ぐ予定の永原牧場の親方から、もうちょっと酪農の現場の話を書いてー、とリクエストを頂いたのでそれに答えます。
私が最初に働いた酪農場(牧場といった趣はない)は、EMボランティアとして飛び込みで行った私を受け入れてくれた、当時の南相馬の鹿島区で唯一、自主的な農業経営を続けている所でした。

私は鹿島区にてEMを使った(無料提供)ヒマワリプロジェクトを行っていた米農家グループの縁で、廃屋にタダで住まわせて貰い、そこから毎日その唯一働いている酪農場に自転車で通いました。

まだ放射能の影響で田畑は作付け出来ない状態であり、その酪農家さんはかなり手広く田んぼを請け負って、そこで飼料米を作ってその転作助成金を主な収入源としていたのが途切れ、飼料も全て輸入物に頼らなければならずに経営は苦しい状態で、給料は月1万円だけ貰いました。

因みに当時の私は月1万円で十分の生活をしており、お米は放射能の懸念で出荷できなくなったEM農家さんの古代米をいくらでも頂けたので、修繕して何とか住めるようになった廃屋はちょっとしたボランティアセンターとなりました。
この酪農場には一年あまり通ってEMを牛に飲ませ、糞の臭いが気にならなくなったと喜んで貰えました。福島だと酪農場の周囲百メートルに家が五軒程あって、夏場は臭いがそこまで広がるので肩身の狭い思いをされていたようです。
また、畑に堆肥を放置していたらその周りからキノコが生えて来て、こんな事は初めてだと驚いておられました。
しかし残念ながら、ご高齢のために自主的にEMを活用してくれるまでには至らず、私は別の酪農場でも働き始めて(こちらはハローワークを通して)、掛け持ちは病気を持ち込む危険性があるので出来ない事となりました。

二軒目の酪農家さんは篤農家と言ってよいお爺さんで、堆肥作りにも力を入れており、それを周囲の家庭菜園を有機で行っている人々に無料提供しておりました。もちろん私が堆肥にEMボカシ(米糠をEM発酵)を混ぜるのも許可してくれ、いいボランティア活動が出来ました。

しかし息子さんが病弱で酪農に向かず、その奥さんは千葉県の都市部の方で、妊娠されたので揃ってそちらに引っ越してしまい、その穴埋めに募集をかけた形でした。

ここでは半年程働き、牛にとても良い発酵をしたビールの絞りかすを食べさせていたので糞は臭わず、牛乳の質も良くて酪王と言う高級ブランドの乳業会社に卸していました。
しかし酪王は放射能のせいもあり経営難で、この篤農家さんの所にもよく相談に来てました。私はブランドにEMの名を付け加えれば(酪王はCR活動でEMによる河川浄化を行ってる)、消費者に訴えるかと進言しましたが、福島では沖縄ほどEMが生活に身近ではないので却下されました。(沖縄ではEM牛乳が人気)

その後、私は福島市に立ち上がったEM研究機構福島支部(社員は私も入れて3人)で一年間働く事となり、現場とは離れて研究がメインとなりますが、酪農関係の研究では成果を残す事が出来ました。
それはEM堆肥、普通の堆肥、カリウム化肥、普通の化肥の4つで作物への放射能の移行率を調べるもので、EM堆肥はカリウム化肥よりも高い移行抑制が得られ、生育では普通の化肥と同等の効果が得られた。というもので、これは国際的な論文誌に載せられました。
放射能対策の話はまた別の機会に回しますが、私はこの実験にEM堆肥を提供してくれた瀧澤牧場で後に一年半働くこととなります。

この牧場は放射能による強制避難エリアと隣接した場所にあり、土地の放射能レベルも高い為にEMの支援を最も積極的に受け入れ、地区の農業の復興に尽力してくれました。
瀧澤さんはまだ五十代前半と若く、水にエレクトロンチャージャー(前述)を使うような探究心のある方で、酪農飼料は全て自給しており、更に堆肥で米作りも手広く行って、自ら脱穀精米して個人販売と近所の食堂に卸している、正に地区の農業を支えている存在です。

また瀧澤さんは、私のボランティア仲間の人が普及していた営農発電も取り入れられ、当時は国の方針でかなり買取値段が高かった事と、牧草畑での営農発電がとても楽(収穫を7割キープしなければならない) だった事から、非常に良い収入源になったと喜ばれてました。
私はこの頃、5年ぶりに戻れるようになった南相馬市小高地区で新規就農を目指しており、もちろん始めは収入がなく大赤字(一人雇ってた)のなか、続けて行く為のお給料を貰いながら色々と経営のアドバイスをして頂きました。
瀧澤さんは酪農家の全国的な勉強会に参加しており、そこでは牛を長生きさせて子供を沢山産ませる事(長命連産) によって収益を上げる研究が行われており、その中には平均7産を達成(全国平均は3産)している酪農家も居て、そうした人の収益は自給換算で三万円に達すると言われ、それを目標にしておられました。
牛をいかに健康に長生きさせるかは、動物福祉の観点からも重要であり、それが経営を良くする道筋でもある酪農に好感を抱き、北海道では酪農家の離農が相次いでいて後継者を募集していると聞いて、次は北海道だと歩みを進めました。


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