十五夜の忘れ物がまだ庭にあります 2020年11月21日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 今年の十五夜は何もしなかった。そんなに大げさに考えたわけではなかった。自分には必要ないと漠然と考えたのだと思う。 去年の十五夜はこころに余裕がなかった。忘れていたんだと思う。一昨年はススキを飾りお団子をお供えした。 庭に手入れもしてはいないから,剪定や草取りのお願いもしていないから,狭い庭はエセ熱帯樹林だ。秋のうちにお願いしなくては・・と連絡は済ませた。年末までにはなんとかなりそうだ。 天気予報が言っていた。寒くなりますよ,と。冷たいのはイヤだな。と思う。
閉じ籠もっているのと閉じ込められているのは違うこと 2020年08月21日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 とはいうものの,家の中にいる時間は多くなっていると思う。部屋の中にいる時間は長いと思う。 就寝前には森見登美彦を読む。読もうとしている。 けれど,私の目は横になった途端に閉じてしまうのだ。眠れないとか不眠症とか・・意味不明である。
テレビ局もお休みしてしまえばいいのに。 2020年04月27日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 あんなにたくさんのテレビ局いらない。と思いませんか。どこをまわしても同じような番組しかやってない。と思いませんか。 自分が正義だと思い込んでいるひとの顔って,自分は賢い,自分は正しいと思い込みたいひとの顔って,哀れだな,かわいそうだな,みじめだな,と思いませんか。 お家の中に家族が集まっていることは辛いことなのですか。苦しいことなのですか。お家は癒やされる場所ではないのですか。子どもたちはお家の中にいたくないのですか。旦那は帰ってこない方がいいのですか。 「団欒」っていうことばは死語なのですか。家族がそろっているのに楽しくないお家・・・想像するのが難しいです。 みかんの花にアゲハが遊んでいました。
鵜沢チエのことを突然考えた。 2019年12月15日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 たまっていた洗濯物を干しているときに突然彼女のことを思った。思い出した。いい天気だった。桜島の灰も今日はこちらにはこない。青い空で,そんなに寒くもなかった。 天気も気温も季節も関係はないと思う。そんなものと鵜沢チエに脈絡なんてないはずだ。彼女はとても美人で,長い髪で,チエがどんな漢字だったのかは忘れてしまっている。もしかしたらカタカナだったかも知れない。 けれども彼女の顔は,思い浮かべることができない。彼女のことは好きだった。彼女を苦手な女子もいた。彼女は男の子とは口もきかなかった。同年代の男の子のことはゴミくらいにしか思ってなかったと思う。 彼女は田中菜々と一緒にいることが多かった。学習塾のひとりの先生のことが好きだった。
連日流れている被災の画面 2019年10月16日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 「想定外」「予想以上」という単語を使えば免罪されると思っている「規準を決めた」「予想した」「想定した」いろんな分野の学者を私は許すことができません。認めることができません。 数字の決定に,経済原理を含めてしまう学者や,政治的思惑を慮る学者や・・・それはもう学者ではありません。 なんて・・・ネ。
ふらふらと街を歩いて 2019年07月12日 | 私が認識するのを忘れたら,世界は存在しなくなるのだ。 横断歩道をゆっくりと渡って,電車通りの工事だらけのビル,見上げると六月灯の献灯。六月灯の季節だ。忘れてた。考えてもいなかった。梅雨は・・明けたのかな。 季節をまるまるひとつ感じずに過ごしている無粋者だ。私は。